佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓(第二期)』(隔月刊)


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2017年八月号にて、<第一期>終刊としました。 第二期として2018年二月に『富士山麓(第二期)』再出発しました。よろしくお願いします。 なお、刊行過去5年間の個人誌『富士山麓』発表の句から選びまとめて、 続 佐々木敏光句集『富士山麓・晩年』(邑書林) として発売中です。タイトルは「晩年や前途洋洋大枯野」に由来します。   ☆第二期について☆ ○『富士山麓(第二期)』のとりあえずの副題は「(続佐々木敏光句集以降の)「百八句」へ向けて」 となります。 ○更新は原則的には隔月刊とします。                             ○掲載している掲載句のなから最終的に取捨して句集として「百八句」を作ります。   なお、途中で百八句候補句を限定的に掲載することもありますが、あくまで途中経過を示すものです。      *********    《目次》 俳句個人誌『富士山麓』<第二期>

 2018年  四月号(新刊)  二月号       ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆    **** 四月号 (2018年) **** (2018.4.5. 発行) ****** 桜山老樹の花の蕊の燦 白き桜わが家をめぐり浮く夕べ 窓枠の内は日本画桜の夜   地球はいつか絶滅すると 絶滅は桜吹雪をあびてから 胸の上春の星ある地球かな 順番を待ちて餌をとる春の鳥 キリストはいつものお顔カーニバル   四十雀は普段遠慮がちだ 山雀に挑む四十雀繁殖期 さへづりや父母のなければわれもなし 春天や浮かびて富士の白き雪 山肌は空の色なり春の富士 梅の香や天の高みを富士の山 林尽き切岸よりの春の景 若葉着け大樹の洞の深き闇 風狂や春の落葉は踊り舞ふ 邯鄲の夢のさめたる桜かな ぼんぼんと昔時計の春の夜 四方より来餌(えさ)競い合ふ春の鳥 春の朝湖の沖ゆく一人鴨 美しき虚空の遊ぶ春の野辺 春の蝶枯山水の山河こゆ 水草のビロード揺らす春の水 水音の高まるあぜ道春をゆく 遠景やときどき落ちる夏みかん 春の朝森より満ちて来たるもの 亀一族つどいて春日あびてゐる 決意してぶらぶら歩く春の野辺 照葉樹かがやく春の朝日浴び 森の空春の小鳥が降つてくる 春風や笹藪神経ふるはせて 小綬鶏の家族の散歩春そぞろ 新築の縄文住宅春の風 カモシカはテラスの下や春の雨 桜散る谷の底ゆく修羅の列 黒土やしづかに眠る落椿 わが影がくる春昼の森の道 大空に春の富士ある脂肪かな 芽吹きたる春の枝枝鳥舞へり 老年や心の皺に散る桜 眼据ゑ勘助坂の椿かな 笹たちのミニマル楽のひびく春 春の森つぶてのごとく小鳥たち 正面に春の朝日やわが林 腰だまし耕す春の黒き土 光満つ春の畑に鍬おろす 春風やビル街なればビル風に 巨大なる器を俯せて春の富士 春の闇われらそれぞれ島宇宙 春を待つ剪定薔薇の棘たちも 半島と島を浮かべて春の海 白糸の端の風流小滝かな 落花する春の水なりわが眼下 命山命の土筆伸びゐたり 沖よりのひかりを浴びてシヤボン玉 春憂ひベランダの椅子そのために わが涅槃春のベツドの上にかな 春の風森に生まれて吹き来る 曇天や真紅の椿重く散る 菜の花の中に富士立つ安堵かな わが庭を一日照らして春夕日 紅梅と白梅ともる靄の中 春雨や欺瞞の議事堂傲然と 春雨や官邸にらむ一警官 めまとひや国会議事堂見えず居る   皇居 堀 水面を拝するごとき桜かな   池袋 初夏のサンゴ揺れゐる妖艶に   代々木上原 春雨や天に消へゆくミナレツト ビル風や風筋沿ひに散る桜 春の土手ゼンマイ平凡繁栄す 春の野や天より雅歌の降り来る 世代とは受苦の歴史や春の風 断崖を桜おちゆく気楽さよ 春の日や総じて笑みの羅漢たち 春眠や長き眠りのリハーサル 清明や歩幅広げて歩みゆく 春風やさざ波たてて逆さ富士 春の空富士をうかべて「いい感じ」   今度は檜だ 気楽にも花粉飛びこむわが眼 近づけば小綬鶏飛び立つ桜かな 定住や流浪の時空とぶ桜 正面に真白き富士や春の風 春の鷹富士の高みを荘厳す 豊かなる春のひかりを浴びるのみ さへづりの耳底にひびく朝寝かな 久方の春の日ゆつたりあびるかな 春天へ心の道の伸びゆける 芽吹く木々明るき日浴び輝けり 無人駅春日のなかにおりたちぬ 生命の大地を踏んで春の人 春山路春の空気が転がり来 躍動や春の小川のその光   養鱒場 幾千の鱒稚魚ピチピチ春の池 夕闇やわが家を囲む桜花 答え無き世界生きるや星月夜 霊魂ののぼりて月となりにけり ☆☆☆☆☆ 後記 ☆☆☆☆☆  隔月刊ということで、二か月ぶりの刊行です。体調をふくめいろいろな意味で調子はまだまだとしか 言いようがないですが、少しずつ精進を積み重ねるより他はない。  劣化の時代である。AIをはじめ新技術はどんどん進んでいるようにみえるが、人間自体の劣化は、政 治などの劣化を含め歯止めがきかない。新技術にしてもはたして、人間の真の幸福に役立つのかと思わ ざるを得ない。  自分を棚上げして言うと、俳句の世界も、劣化の時代なのだろうか。  いずれにしても、無数の有名無名の俳人があらわれ、無限に近い句がつくられ、やがて大きな闇にの みこまれていく。  『俳諧問答』に芭蕉が凡兆に言ったという次の言葉あり。「一世のうち秀逸の句三、五あらん人は作 者なり。十句に及ばん人は名人なり。」  そういった余計なことにはとらわれず、とにかく「この今」を生きてそれぞれ自分なりに作句してい くことだ。  フランスのモンテーニュは隠居中のつれづれ(というには、あまりにも宗教的戦乱に満ちた時代であっ たが)、読書の忘備録的なところから書きはじめ、やがて大部になる「エセー」を出版したが、その中 に次の言葉を残している。  「たとえだれひとり私を読んでくれるものがいなくても、暇な時間をたっぷり使って、これほど有益 で、これほど愉しい思索を続けたことが時間を無駄にしたことになるのだろうか。」                        (モンテーニュ『エセー』IIー18)    目次へ **** 二月号 (2018年) **** (2018.2.8. 発行) ******   白糸の滝 千本の糸に彩なす虹の弓 敗戦日そのとき一歳半のわれ   カルメン幻想 血の薔薇が富士蒼天を荘厳す 捨て猫についてゆくのは烏の子 森の奥阿頼耶識燃ゆ秋の暮 五大なる闇より浮かぶ望の月 栗剥きて指も剥いたる仔細かな 枝豆は宇宙空間旅行中 樹海抜け樹海見下ろす霞かな 薄野のけもの道なりわれ進む 後悔の無い生皆無星月夜 吐いて吸ひ呼吸しづかに今朝の秋 それぞれはそれぞれ正し秋の暮 身の内を銀河通過す生きてゐる ほどほどに生きていつしか秋の暮 日を食らひ熟れゆく干し柿童子かな 迷い子のまま歳取れり秋の暮 その答すでに納得除夜の鐘 悟りとは悟れぬ自覚秋の暮 神死せりニーチエも死せり大銀河 その角をまがれば光満つ枯野 てふてふを追ふて渡るや雪の原 夢の世を夢へと戻る蒲団かな 寒林に透けて花火や遠記憶 冬晴や三日の留守の雨戸閉づ 風に雪飛ばされ黒き富士の嶺 幽明や大地より湧く冬の靄 立冬の輝く海や峠こゆ 去年今年罪作りな人罪作る 長き夜や宇宙へわが脳たたせんと シヤツター街曲がり真冬の冥途道 ラプソデイーインブルーの街落葉舞ふ 冬日浴ぶ斜面広大巨大墓地 騎士団長雪の峠に凍結す わが体わが宇宙なり冬銀河 予想より多き家ある枯木道 犬はなす枯野の果てのそのはてへ 寒月の蕊降るごとき光かな 人日や機械のごとくたちあがる 初日さす森は神殿木漏れ日の 冬薔薇真青な海に白い舟 栗鼠狙う冬の猫なり森の黙 冬の日や定住の森漂泊す 枯れ枝を飛び立つ小鳥万華鏡 滝落下うたるる岩は浮揚する 長き夜の飛行機音は耳に消ゆ 初日あび総身かがやく枯木かな 響きたる雪解の水や鱒育つ わが胸のか黒き湖を泳ぐ白鳥 好き好きの蓼の花なり滅びるか どんど火に奇あり怪あり富士の空 落葉踏み軽きリズムのなかをゆく アフリカの大陸形の春の雲 天と人敬愛すべし福寿草              この腰が痛く候ふ四方拝 冬の庭亡き人すわる白き椅子 走馬燈俳人つぎつぎ回るかな 激浪や湾の向こうの雪の富士 真直ぐな道の終りの春旋風 目の前の冬芽の尖り目に迫る   近所の田貫湖 懐に六つの湖や雪の富士 脱走や暗黒宇宙月あかり 銀河より大き流れに流されて 永遠の眠り待ちゐる星月夜 人生やみんな齢とる秋の暮 息を吐きマインドフルネス除夜の鐘 コーヒー店師走の闇の中を浮く 雲裂けてアルプス思ゆ雪の富士 厳寒の坂の上にて光る海 雪の日や諸鳥来訪あたたかし ロボツトや地球ににたる星の冬 山茶花か椿か眼前首の落つ 凍て滝へすべらぬやうに歩をすすむ つらら落つ頭頂撫でれば髑髏かな 枯野にて炎あがるをまつてゐる 枯蓮の水にうつれる富士の空 この森を眠りにいざなふ牡丹雪 雪の夜のマツチに踊る世界かな 白き雪白き山河に降り積もる 枝の雪つぎつぎ雪崩れ森こだま 雪の深さ何度もはかる無聊かな やはらかき雪の肌なり目で撫でる 寒気来る雪のはなびらちらしつつ 拍手なく終る人生冬花火 頼るにはあやうき記憶雪の道 その芽こそチューリツプなり予言する 山道の道の初めは狂い花 機首あげて富士の初日へ突入す 木に座り天使見てゐる雪の原 雪として白き地球におりたちぬ なんとなくすすむ手酌や春近し 森の奥春の女神の歌ふこゑ 雪はつか残れる庭の春日かな 寒月や枯木の影を踏めば鳴る 信じないものら行きかう冬の街   青年時代、京都 おけら火の懐に燃ゆ老年期 鮟鱇の胃の腑なかなかかみきれず        こころざし 熱燗や適度に熱き志 雪つもり太古の山河となりにけり 太古より言の葉雪とふりつもる 母の涙雪降るときは思ひ出す ふる雪や暗き宇宙へ雪がふる 細雪降るしづけさの中にゐる 絶滅は寒月光を浴びてから 大枯野地下ゆく水のこだまかな 冗舌の雪がしづかに降つてゐる 死によりて閉ざす眼や初山河 初富士の空荘厳の鷹一羽 新年と思はぬ小鳥へ初餌かな 初夢のブラツクホールに入るとこ お正月オストアンデルほお張れり 寒の水ヒネルトジヤーのいさぎよさ ジヨーカーの含み笑いの三日かな 枯芝に杭を打ちゐて春用意 骨壺のことり音立つ春隣り 豆撒くをついつい忘れ老夫婦 青空にみたされている春の脳 この森の奥は王国小鳥くる 本当かどうかは不明春を待つ モグラ穴連なる春の丘のぼる 春日浴び古いピアノが歌ひ出す 春空へわれの流離のはじまるか 飛びさうな春の鶏なり屋根へ飛ぶ   さへずり 鳴き声をきけば春なり四十雀 上流へ横一列の春の鴨  ☆☆☆☆☆ 後記 ☆☆☆☆☆  去年の八月号の休刊、いま<第二期>の刊行です。  今回は季が入り交じっていますが、自由な時間、自由につくったせいと思ってください。  総復習として、今まで学んだ俳人の句をよみなおしたりしました。芭蕉のどうしようもない大きさを あらためて感じた時期でもありました。  今回あらためて、すでに<第一期>でも引用していますが、気をひきしめるため、次の現代の二俳人 からあらためて引用しておきます。それだけがすべてではありませんが、ぼくの基本姿勢の一部として います。   飯島晴子  「こうして三十年間の句業の跡である作品を調べてみると、作法を決めたくないのが私の作法で   あるという観を呈している。しかしどの句も、その時の私自身に対してせい一杯忠実につくってき   たつもりである。そのうちに、俳句は事前に予定すると成功し難いという厄介なこともわかってき   た。    作法は選ばず、結局私がこだわるのは言葉だけである。俳句という特殊な詩形にのせて、言葉を   詩の言葉としていかに機能よくはたらかせるかという興味である。    俳句の場で、言葉、言葉というと、こころを軽視しているととられる。だが作品をなすにはまず   何らかの意味でのこころが在り、最後に又何らかのこころが出ていなければならないのは当然であ   る。」          (『飯島晴子読本』富士見書房)     田中裕明  「俳句は詩です。詩は言葉でつくります」  「詩はむりなくわかることが大切だと思います」  「俳句という詩は、ほんのささやかな営みですが、セオリーを身につけて、そしてセオリーを忘れる   ことが大切です」(『田中裕明全集』の栞にある宇多喜代子さんのメモから)    目次へ   **** 奥付 ***********

   佐々木敏光・俳句個人誌『富士山麓(第二期)』(隔月刊)  創刊  2012.8.31.  第二期再開 2018.2.  発行所 富士山麓舎 (富士宮市内野 1838-3 佐々木方)  メール st09st0143(アットマーク)live.jp  *********************  ご感想、ご意見ありましたら、上記メールによろしくお願いいたします。  *********************                             目次へ