「森の中のモンテーニュ」

目次  前書き(2009.9.14.)  「天地同根」「万物一体」(2009.9.14.)  矛盾、もろ刃の剣(2009.9.19.)  小説 (2009.9.30.)  森有正、林達夫 (2009.10.4)  田舎暮らしに殺されない法 (2009.10.8.)  音楽 (2009.10.12.)  国誉め(一)(2009.10.14.)  ヴィヨンの妻(2009.10.20)  森の中/自由と孤独(一)(2009.10.23)  森の中/自由と孤独(二)(2009.10.25)  「閑」のある生き方(2009.10.30)  坐禅会・総持寺(2009.11.6.)  クセジュ(1)/三島由紀夫(2009.11.26.)  だめもと(2009.12.1.)  詩について(2009.12.4.)  角を曲がれば(詩)(2009.12.7.)  昨日買った本(2009.12.18.)  毎日の富士、一昨日の富士(2009.12.21.)  バンビ(2009.12.26.)  陶淵明にならって(詩)(2009.12.31.)  蕪村再発見(2010.1.16.)  「モンテーニュのシャトー」へ(2010.2.6.)  タオイスト(2010.2.9.)  地球に死なれてしまうよ(詩)(2010.2.11.)  立松和平 死去(2010.2.27.)  ニーチェ、西田幾多郎、鈴木大拙(2010.3.22.)  桜の季節(2010.3.26.)  生死を生死にまかす(2010.3.28.)  他者について(一)(2010.4.9.)  他者について(二)(2010.4.14.)  鳥の巣箱、権力の意志(2010.4.30.)  陶淵明「子を責む」(2010.6.2.)  草いろいろおのおの花の手柄かな (2010.6.4.)  「サヨナラ」ダケガ人生ダ(2010.6.5.)  大学の闇(2010.6.6.)  ゆるやかな懐疑主義..など(2010.7.16.)  永平寺(2010.8.7.)  プラグマティズム(2010.8.8.)  プラグマティズム(続き) 鶴見俊輔の本・到着(2010.8.18.)  季語について(2010.9.14.)  「自己探求」、「懐疑」、「万葉」、「漢詩」、「白川静」、「空海」、「ユング」、「俳句」(2011.3.3.)  東日本大震災(2011.4.11.)  ドラッカー(2011.5.9.)  富士登山(簡単な報告)(2011.8.15.)  戦争についてのありふれた思い(詩)(2011.8.25.)  錯覚、錯視、思いこみ、懐疑論(2011.12.3. 2012.1.7.)  大用現前、軌則を存ぜず(2012.2.15.)  『菜根譚』(2012.3.20.)  自由と覚悟(2012.7.29.)  あおいくま(2012.12.10.)   久しぶり(2013.5.8.)  久しぶり・とりあえずハイデッカーなど(2013.8.4.)  久しぶり・とりあえず詩のことなど(2014.6.15.)  『寝るまえ5分のモンテーニュ』(山上・宮下訳、白水社)を薦める(2015.4.19.) 
 これからのテーマ(次回以降)
   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆   前書き(2009.9.14)  森の中で定住をはじめて半年になる。十年前家をたて、週末の別荘として過ごしてきた。 この五月一ヶ月は、フランスで過ごした。今は、時々静岡に行ったりする他は、基本的には 富士山麓、朝霧高原の一隅のこの森の家で過ごしている。  モンテーニュの『エセー』中の言葉、    先頃わたしが、できるだけ他のことにはかかわらず、ただわたしに残されたこの僅か        な歳月を独りで静かに送ろうと堅く決心して、この家に引込んだ。                           (モンテーニュ『エセー』Iー8) に近いといえば大げさになるのだろうか。  ついでに、次の文章も引用しておこう。    私の意図は、余生を楽しく暮らすことで、苦労して暮らすことではない。そのために   頭を悩まそうと思うほどのものは何もない。学問だってどんなに価値があるにしても、   やはり同じことである。私が書物に求めるのは、そこから正しい娯楽によって快楽を得   たいというだけである。勉強するのも、そこに私自身の認識を扱う学問、よく死によく   生きることを教える学問を求めるからに他ならない。                                                    (モンテーニュ『エセー』IIー10)    モンテーニュが、自分のシャトーで書く「試み(エセー)」をしたように、シャトーとは 程遠い(この五月にはモンテーニュのシャトーを訪ねた。寒い、雨の日であったが、温かい 経験をした。このことはまた別の機会に書いて見たい)森の中の小さな我が家で、モンテー ニュの文章を読みつつ、時には引用し、あれこれ考えたことを、気ままに東洋的知恵に関わ ることをも織りまぜたりもしながら、エセーを書く試みをしようと思うのである。  テーマとしては、多様性を旨とする。  「もっとも美しい精神とは、もっとも多くの多様性と柔軟性をもった精神である」という モンテーニュの言葉をあらためて引用して、この不定期な連載を始めよう。                         目次へ        「天地同根」「万物一体」(2009.9.14.)  森の中に住んでいるせいだけでもないが、「天地同根」「万物一体」という言葉が気にか かる。禅に関心があるだけに禅語でもあるその言葉は長く気になっている。最近あらためて、 大森荘蔵の最晩年の「天地有情」の言葉に接してよけい気になってきた。  「事実は、世界そのものが、既に感情的なのである。世界が感情的であって、世界そのも のが喜ばしい世界であったり、悲しむべき世界であったりするのである。自分の心の中の感 情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景にすぎな い。             (中略)  簡単に云えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。その天地の地続きの我々 人間も又、その微小な前景として、その有情に参加する。それが我々の「心の中」にしまい 込まれていると思いこんでいる感情に他ならない。」                           (「大森荘蔵「自分と出会う」)  この大森の文章に触発されて、大森の著書をあれこれ読んだが、頭が痛くなった。この文 章を追体験できるような易しい文章にはあまり出会わなかった。哲学向きでない頭にはやけ に難解ないわゆる哲学の文章が多かった。彼自身もそれにうんざりして、上で引用したよう な晩年の平易な文章になったのだろう。大森も他の所に書いているのだが、哲学は哲学病に かかった人がやる特殊なジャンルのようにも思える。果たして大森は哲学病から回復したの であろうか。哲学病はそんなに簡単な病気ではない。哲学病にかかるのが、運命としかいえ ない人がいる。しかし、人はそれぞれ、色々な病気にかかる。大抵は不治の病であり、その 病を通じて彼は彼なのである。自分を棚にあげて言うと、文学病におかされている人も結構 多いのである。  さて、文脈的にはややちがうが、花鳥諷詠(自然諷詠)の俳句の高浜虚子の俳句のバック ボーンに「天地有情」があるのは、『虚子俳話』などにも「天地有情」についての文章があ るのを見ても明らかである。    「天地有情といふ。(科学は関せず)  天地万物にも人間の如き情がある。  日月星辰にも情がある。  禽獣蟲魚にも情がある。  木石にも情がある。  畢竟人間の情を天地万物禽獣木石に移すのである。  詩人(俳人)は天地万物禽獣木石に情を感ずる。          (中略)  天地有情といふ。(遠き未来には科学もまたこれを認めるかもしれぬ。)」                    (『虚子俳話(続)』)  稲畑汀子は『虚子百句』の「あとがき」で虚子のアニミズム的な目にふれて「そのことは 虚子のおはこのスローガン、「天地有情」を見ても明らかである」と書いている。そして虚 子のひ孫の坊城俊樹氏は「虚子伝来」と副題のある「空飛ぶ俳句教室」(インターネット版) で、  「「天地有情」という言葉。     (中略)   これが虚子の遺言であることは、私の勝手なる想像だけれども今まで誰も言ったことがない。 かなりお買い得な情報と思うけれど。」 と素直に述べている。  たしかに、ぼくにとっては「花鳥諷詠」より「天地有情」の方が、広がりが大きい。  なお、天地有情は、禅などでよく使われるいわれる天地同根、万物一体と重なるものでも あり、今までも別な意味で大いに気になってきた。全面的に論を展開するには時期尚早だ。 まだ、自分の中で醗酵させる必要がありそうだ。  現在、フランス文学の読書では、モンテーニュに集中している。東洋的な思想と通底する 面の多いモンテーニュを浮き上がらせるためにも、もともと東洋思想には関心が深かったせ いもあり、東洋思想関係の書物の読書もすすめている。今は、陽明学に集中していて、王陽明 『伝習録』にも「万物一体」(「万物一体の仁」)がでてくる。これもそのうちに触れてみた い。宿題である。  いずれにしろ、天地、万物と一体になって生きる広がりの大きさを思う。なにもかも一体 となっている大宇宙を思う。  禅における呼吸もその大宇宙とのつながりの一つとして大事にしたい。  さて、上の記述とは直接の関係はないが、女房の友だちが、映画『ヴィヨンの妻』が、モ ントリオール映画祭で、監督賞を受賞した旨の新聞記事の切り抜きを妻にわたしてくれたと のことだ。『ヴィヨンの妻』の映画が作られていることを知ってはいたが、監督賞とかそん な受賞にいたっているとは知らなかった。『ヴィヨンの妻』は、わが著書『ヴィヨンとその世界』 の「第六章」でも扱っている。この機会にわが著書『ヴィヨンとその世界』がすこしでも関 心をもたれたらなあとついつい思ってしまう。                       目次へ    矛盾、もろ刃の剣(2009.9.19)    誰でも矛盾を抱えている。弱点を持っている。これこそ真実だと断定的に語られることがそ うでもないことは普通によくあることである。言ってしまえば、人が議論するあれこれのどれ が正しいかは、結局のところ、局面や文脈によって変わり、また人の性癖というか好みを反映 するので、これこそ正しい、真実だというものはない。  もっとも、人は生まれた以上必ず死ぬといったことは、真実といっていいだろう。ついでに、 人間は矛盾した存在である、というのも真実といえるだろう。  最近、『論語』、『老子』、『荘子』を読むことが多い。自分のはまっている世界の奇妙さを 思わないではない。老子や荘子の世界では、自由に遊ぶことができる。一方、孔子は刺激的な文 章も多くその豊かさにはひかれるが、総体的にはやや自由さに欠け、苦手としか言い様がない。  さて、最近読んでなるほどと、その箇条書きによる図式をおもしろいと思った本に『「中国 古典」7つの発想』(村山まこと著)がある。  その著書で村山さんは、中国古典を「心の漢方薬」とし、その効用と副作用を述べている。 たとえば、ぼくの大好きな老子については、  『老子』   効能   ・本当の意味の自由人となる。   ・ただ我慢するのではなく、あらゆる欲望・執着から自由になる。   ・自然に順応しながら、その力を逆用する。。   ・自己主張しないのに、主体性を持つ。   副作用   ・討って出ようという積極性がなくなるおそれがある。   ・読み方によっては、達観したつもりで実は中途半端に終わってしまう。   ・忍従する口実になる場合がある。 と言っている。定年生活の今では、「討って出ようという積極性がなくなるおそれがある」は あまりこたえないが、「達観したつもりで実は中途半端に終わってしまう」のは自分でも完全 に否定できないだけに自戒しなけらばならない。  『論語』は以下の通り。   効能   ・ともすれば状況に流されそうになる心にけじめをつけるのに役立つ。   ・「目先の利益に目がくらんで一生を棒にふる」ようなことがことをしなくなる。   ・組織的にも、目先の利益で戦略的な失敗などをしないようになる。   副作用   ・タテマエだけ立派にして本音は別物という偽善者になる可能性あり。   ・形式主義におちいりやすい。   ・体制に順応しすぎ変化をきらうようになる。  効能についての記述はやや荒すぎると思う。豊かさをたっぷり含む論語のを二、三行の箇条 書きで済ませようとすることが、そもそも土台無理なことである。副作用の「タテマエだけ立 派にして本音は別物という偽善者になる可能性あり」「形式主義におちいりやすい」という指 摘は、今までも大学教師という正論を言い続ける正しい人達にかこまれて、やや疲れていたの で、その通りと思ってしまう。また「体制に順応しすぎ変化をきらうようになる」は儒教の影 響の強い日本の歴史をみればよくわかる。  歴史的には中国人は、儒教、老荘をうまく使い分けてきた面があるが、本当にうまかったのだ ろうか。いずれにしろ、新しい時代にはおのずから、その時代なりの使い方があるはずだ。                       目次へ    小説(2009.9.30.)    そのうち小説を書こうと思っている。小説の構想作業にとりかかってはいるが、執筆自体と なると「いつのことやら」と思わないでもない。  たとえばゲーテの「詩的作品は理知でつかめなく、測りきれなければきれないほど、よりよい」 という言葉は、芸術を目指すものは、それなりにも自覚していることだ。理屈の世界を離れた世 界の構築、そうした離れ業にともなう苦行を覚悟しなければならない。そうした苦行もまた楽し く行うようにしたい。 しばらくは、この「森の中のモンテーニュ」を通じて、「人間の不思議さ」をすこしずつ書 いていきたい。人間の崇高と愚劣を。人間存在の悲喜劇を。  運命は我々を幸福にも不幸にもしない。ただその材料と種子とを我々に提供する だけである。それらを、それらよりも強力な我々の心が、自分のすきなように、 こねかえすのである。これが我々の心の状態を幸福にしたり不幸にしたりする・ 唯一の・おもな・原因なのである。        (モンテーニュ『エセー』Iー14)  わたしは人間だ、人間のことで、何ひとつわたしに無関係なものはない。    (テレンチウス−−モンテーニュの書斎の天上の梁に刻まれた文章のひとつ)  人間は実に狂っている。虫けら一匹造れもしないくせに、神々を何ダースとでっち上げる。                         (モンテーニュ『エセー』IIー12)  ひとは、もっとよい時代にいないことを残念に思うことはできても、現代の時代を のがれるわけにはいかない。            (モンテーニュ『エセー』III−9)  人間の先入見は、ひとそれぞれの性格にもとづき、その人の状態と密接に結びついているため、 これを克服することはおよそ不可能である。これにたいしては、明白な証拠も分別も理性もまっ たく影響を与えることができない。          (ゲーテ『箴言と省察』)  ある種の欠点は、その人の存在にとって不可欠である。 (ゲーテ『親和力』)  さて、今の若者たちは桑原武夫という名を知っているだろうか。文学衰退の時代、フランス文学 に興味を持つ若者、俳句に興味を持つ若者がもしいれば、その内のごく一部の者は知っているかも しれないが、ほとんど絶望的だろう。『広辞苑』には「仏文学者・評論家。福井県生れ。隲蔵の子。 京大卒。スタンダールらの翻訳紹介と広範な評論活動で知られる。また、京大人文科学研究所教授 として中江兆民その他の学際的な共同研究を主宰。文化勲章。(1904ー1988)」とある。不思議な ことに文化勲章までもらっているのだ。「俳句も芸術になりましたか」と虚子が言ったという「俳 句第二芸術論」では、日本固有の短詩型に対する感受性のなさと無知をさらけ出しているが、考え ようによっては面白い。駄句が圧倒的に多いといううんざりする面もないわけではない。  さて、ぼくが京大文学部に入り、仏文に進んだのも、その選択の一部に桑原武夫の存在があった からかもしれない。ただ、桑原武夫を大いに尊敬し、それに近づこうとはしていたわけではない。 漠然と小説家になりたいと考えていただけだ。学には志そうとはしなかった。やがて東京の出版社 にはいり、しばらくしてやめ、京大の大学院にはいりなおすことになったが、それでも学に志した わけではない。時代の活力もあり、若い時の気楽さで、別な人生があるように思って、楽天的に、 会社をやめたのだった。  その桑原武夫、往時の影響力(実際はどの程度の影響力があったかどうかはともかく)はすっか りなくなってしまっているようだ。死後まで影響力を持つ、希有な存在が時々いるが、どうもそれ にはなれなかったようだ。ぼくも関心が違っていたのかあまり重要視していなかった。  最近、『論語』を読むことが多いが、その論語の読み方で、桑原武夫を見直すことがあった。さす が桑原武夫。だてに桑原武夫ではないと思った。フランスのモラリスト文学に連なるというか、人間 をよく見ていると思った。ついでに言っておくと、フランス文学では、モラリストとは、道徳家を指 すのでなく、「人間性と人間の生き方とを探求し、これを主として随筆的・断片的に書き著した人び と」のことである。モンテーニュ、パスカル、ラ=ロシュフーコーなどがいる。  桑原武夫の記述を引用してみる。例の有名な「天命を知る」を含む箇所である。一応この章の解釈 を述べた後、つぎのような感想をつけくわえる。  「最後に、冒涜的と見えることを恐れずに私の感想を一つつけ加えると、人間の成長には学問修養 が大いに作用するが、同時に人間が生物であることもまた無視できないであろう。「天命を知る」と いうのは、自分がこの世で完遂すべき使命を自覚することであると同時に、五十の衰えの感覚から自 分としてはこうしかならないのだということを認め、その運命の甘受に中で生きようと思うことであ る。自信であると同時に諦念である。「耳順」は、自覚的努力というより、生理の作用する寛容、あ るいは原理的束縛からの離脱であることが少ないないのではないか。よく言えば素直さだが、あくま で突進しようとするひたむきな精神の喪失ともいえる。「心の欲する所に従いて矩を踰えず」という のは、自由自在の至上境といえるが、同時に節度を失うような思想ないし行動が生理的にもうできな くなったということにもなろう。それは必ずしも羨ましい境地とは言えないのではないか。(中略) そう思うのは、いつまでも悟れない人間の愚かしい感想だろうか。しかし孔子もまた人であって、彼 の発言が無意識的に彼の生理的諸段階を反映しているかもしれないのである。」(桑原武夫『論語』 筑摩書房)  河合隼雄は、「心理療法・ライフサイクル」の観点から、桑原のこの発言を援用している。「わが 国の「儒教的道徳」を重んじる人は、その点、『論語』を誤解して、厳しい意志的訓練によって、こ のような境地に到達できると考えている人が多いのではなかろうか。孔子の述べているようなライフ サイクルは、いわゆる「学問修養」のみによって到達できるようなものでないところにその特徴があ るとさえ考えられる。それは、桑原の言を借りれば、「人間の成長には学問修養が大いに作用するが、 同時に人間が生物であることもまた無視できない」ことをよく知った者でないと到達できない位相で あると思われる。」(河合隼雄『心理療法コレクションIII 生と死の接点』岩波現代文庫)  むべなるかなと思うと共に、桑原まんざら捨てたものではないなとついつい思ってしまう。                       目次へ    森有正、林達夫(2009.10.4.)    森有正、林達夫といっても、森有正論、林達夫論を書くわけではない。  この森の家に最終的に引っ越してきたのはこの3月の下旬である。まず本の整理の仕事があった。今 はもう片付いてしまったたわけではない。まだ、庭の小屋に段ボールにいれたまま積み上げられている 本もある。これからも読むことはないと判断した本などは市立図書館の市民が勝手にもっていけるコー ナーに機会があるたびにもっていった。結構な量にはなると思う。屋根裏部屋の書斎の床に積み上げら れている本もある。  中には、もう書棚におさまっているものもある。森有正、林達夫の本もそうである。二人とも妙に気 になる著者である。そういうわけで気になる本として書棚におさまっているのである。そのくせ特別に きちんと読んできたわけではない。ぱらぱらとめくってみるだけで、本棚にならべる。段ボールにしま い込まれることもない。  この二人について動きがあった。あらためてぱらぱらとページをめくったのである。きちんと読んだ わけではない。もちろんそのうちにはじっくり読んでみたいとは思っている。動きの原因は、森有正で は、NHKの「知る楽しみ」という4回の教養番組で森有正を対象とした番組があったからである。まさ か森有正の番組が企画されようとは思ってみなかった。油断していた。「世界の中心で、愛をさけぶ」 の原作者・片山恭一が、「孤独」「絶望」「経験」「感覚」「出発」「死」などをテーマとして、死に 至るまで「人間の本質」を求めた森有正を《生涯自分が戻っていく場所を探し続けた思索家》として、 その孤高の世界を4回にわたって語った。はたして焦点がしぼりきれていたかどうかは別として、パリ でのロケもあり、パリそのものを反芻する機会にもなり、結構次の回を楽しみにしている内に終わって しまった。そして、終わりの無い問いが残った。解決できる問いは問いではないともいえるが、終わり のない問いにとりつかれた代表選手のひとりとしてパリで客死した。ただ、現パリ大学都市の日本館の 館長の発言はおもしろかった。森も晩年は日本館の館長をしていた。「ほんとに変わった人でしたね。 オルガンを持ち込んで、ひいていた。上の部屋の人なんかは大変だったのではないかな。」人に迷惑を かけるぐらいのことを気にしていては、真の意味での孤独な人にはなれないのである。東大助教授とし て留学してきたパリから帰ることも無く、日本に残してきた奥さんとも離婚をして、たいへん「変わっ た人」であった。  さて、林達夫であるが、西洋的リベラルな批判的精神をいかんなく発揮したということで、確かにそ うであるし、気質的にも好感度を持ち、森にくらべたら少しはよんでいるが、今まで読んだ割にはあま り頭には残ってはいない。最近文庫本も新しくでているので買った。その中でこれまであまり気づかな かっことを知って、興味が増してきた。ただ、あれこれ読んでまとめて書く段階には無い。そこで、少 しだけ触れておくだけにする。  林達夫が第二次大戦中、対外宣伝誌『FRONT』を出版していた東方社の理事長をやっていたことを 知って(山口昌男著『「挫折」の昭和史』(岩波現代文庫))、時代の皮肉を感じた。東方社は軍部の 後ろだてがあった。微妙な時代であり、別に非難すべきかどうかは判断できない。東方社には他の知識 人も関わっていたようで、また次元が違うが白州次郎も赤紙がきた時、こんな無益な戦争で死ねるもの かと、その筋の人に赤紙をとりけしてもらったようだ。ほんとに悪い時代だった。ただ、庶民には他に 逃げ道がなかった時代でもあった。  「林達夫は一九四三(昭和18)年三月、二代目理事長に就任して以来、やめる機会をずっとうかがっ ていたのではないか。林の信条、生き方、性格から推察しても、このような組織の責任者としての立場 は、針のむしろに座っているような辛い毎日だったであろう。」と『戦争のグラフィズム 『FRONT』 を創った人々』(平凡社)の著者で、『FRONT』の制作にも参加した多川精一は述べている。  一方、医学生、そして医者であったゆえに徴兵を逃れることが出来た加藤周一の時局便乗座談会「近 代の超克」(小林秀雄も参加)に対する批判なども考えあわせると、超えがたい大きなテーマを含むこ とになり、考えるべきことは多い。  加藤周一がでてきたついでに書くと、NHKでは最近「プラハの春」についてのドキュメンタリーが多 い。中国国内の異民族への弾圧など人間の愚かさは、止むことがない。                          目次へ    田舎暮らしに殺されない法(2009.10.12.)      タイトル「田舎暮らしに殺されない法」は丸山健二の刺激的な著書のタイトルを拝借している。「あ なたの大切な「第二の人生」を悪夢にかえないために」とその本の帯にある。丸山健二のこの著書は、 悪夢にもなりうる田舎暮らしに安易に入ろうとする人への警告として、特筆に値すると思う。目次の一 部だけでも、書いておく。        確固たる「目的」を持て        「自然が美しい」とは「生活環境が厳しい」と同義である        「孤独」と闘う勇気を持て        「妄想」が消えて「現実」が始まる        田舎は「犯罪」の巣窟である        田舎に「プライバシー」は存在しない        「付き合わずに嫌われる」ほうが底が浅く、           「付き合ってから嫌われる」ほうが数倍も根が深い        あなたを本当に救えるのは、あなた自身である  独特な小説世界を作り上げてきた著者だけにさすがに鋭い指摘だ。またなによりもプライバシーに注 意を払い、具体的でありながら、特定の個人を中傷する書き方になっていない。  自然に満ちた中で、マイペースの生活を送ろうと思っていたが、「悪夢」になりかねない経験があっ たということを書きたい。  プライバシーの問題もあり、書き方が難しい。ただ、単なる一般論では何もいわないとと同じだ。  犬のことでだ。特に妻が娘と二人だけでいた時に犬を自由に放しているひとにそのことを注意すると 「自然の中で、犬を放し飼いにするのは自然なことだ。自然が好きでここに住んでいるのではないか」 とすごまれた。他の脅し文句もあり、ほんとに恐かったらしい。その後、犬を放すことはなくなったが、 妻はそのことにおびえ、「恐い。ここには住みたくは無い」と訴えるようになった。挨拶もまともにし ない、得体の知れない人という思いはぼくにもあり、恐いという思いもよくわかる。  自然に囲まれた庭で食事をし、畑の夢などを色々語っていた妻が家の回りに出たがらなくなった。そ の人といつ出会うかと考えると、恐いとともにおぞましいと思えるのである。時間がたつにつれその 感情は少しは和らいでいったが、おぞましい感情は消えない。ただ、後を引かないようにこころしたい ものだ。  犬が自然の中を駆け回るのが好きであろうが、塀のある私有地以外で犬の放し飼いをするのは危険な ことだ。幼児などは犬がじゃれついたりするただけでも、何がおこるかはわからない。その時責任をと れるのだろうか。この市にも犬の放し飼いを禁止する条例がある。近くのキャンプ場をもつ公園でもた とえ超小型犬でも、放して散歩させていると管理人が注意する。子犬までもと思わないわけではないが、 ここの管理人は放し飼いを注意するまでの気配りは無い。なぜ管理人がいるかといえば、ここは一応別 荘地ということになっているからである。ただここ最近は地価も極端にさがっていて、雰囲気からいっ てもおせじにも別荘地とはいえないのが現状である。  あまりくわしく書くと中傷ととられかねないので、やめておく。自然を大切にすることについて、は き違えないことだ。 (追加:「塀のある私有地以外で犬の放し飼いをするのは危険なことだ」と書いたが、不十分だった。 数日もたたないうちに、塀のある私有地で犬の放し飼いをしていて、幼児が噛み殺される事件が起きた。 2009.10.14)                       目次へ    音楽(2009.10.10.)  音楽については書けばきりがない。過去、未来と長い人生にかかわることでもあるから。たとえば森 の中での暮らしでいえば、最初は楽器の練習をしようと思っていた。若い時代ブロックフレーテをやっ ていたので、その再開を、いや新しくフルートだとか考えていたが、結局は他に何かとやることが多く、 なかなか時間がとれない。無理をして時間をつくるより、静かに過ごす時間を持った方ががいいとも思っ たりする。考えたことを無理に実行しようとすることも、余裕のないことだ。  そういうわけで、この前(7日)に行った「関東学院創立125年記念祝祭コンサート」について 少々。横浜みなとみらいホールで行われた。関東学院大学とは縁がなかった。こちらに引っ越して来 る前から、女房は地元の合唱団に参加したいと、紹介されていたのが、市民合唱団だった。その合唱 団がそのコンサートに参加するのだ。女房は今回は練習参加だけで、本番は客席から聞くことにした。  久しぶりの横浜だった。久しぶりの実演だった。結論をいえば、生の演奏はいいものだという当たり 前のことを実感した。いつしかCDやテレビでの演奏でなれっこになっていた。  金昌国の指揮によるアンサンブル of トウキョウ、実際の楽器の広がりはすばらしいものがあった。 べ−ト−ヴェンの「レオノーレ」にあらためてべ−ト−ヴェンの優しさと激しさを感じた。メンデルス ゾーンのヴァイオリン協奏曲に、ロマンチックな夢想とドラマチックな展開を見た。歌もよかった。永 井和子の「フィガロの結婚」のアリア、そして「祝祭合唱団」のモーツアルトの「荘厳ミサ」、「祝祭 合唱団」には市民合唱団も加わっており、なかなかの出来だった。たしかに超一流とはいえなかったか もしれないが、一流といえる感動を与えてくれた。  結論はすでに言った。生の演奏はいいものだ。森に閉じこもるのではなく、なるべく外に出かけるこ とも心掛けて、その一つにコンサートをいれたいものだ。                         目次へ       国誉め(一)(2009.10.14.)  万葉集は、国誉めの歌にはじまるといわれているが、なかんずく定年後、富士のそばの豊かな森に定 住しはじめたぼくとしては、国を誉めることは義務のように感じる。豊かな森とは、やや言い過ぎかも しれない。花粉症などいろいろ問題のある杉を主とする森である。手入れも行き届いていない。しかし、 自宅は地元の桜、マメザクラに、春の一時期はとりかこまれる桜の園でもある。  国を誉める義務といっても狭義のナショナリズムからそういっているのではない。駿河からはじめた い。駿河は、「○○するが」と、かつて「独吟駿河四十首」と、俳句を作り出す前に短歌を試みた時に 使ったように、独吟をするけれども、四十首だよ、といった具合に言葉遊びもできるぼく好みの地名で ある。    田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける(山部赤人)  一週間前、遠出の散歩をしていて、田子の浦港にでて、万葉仮名も書かれているこの歌の石碑に久し ぶりで出会った。富士は見えなかっが、雲に隠れて富士がそびえたっているのは実感していた。  数日前、初冠雪だった。娘も孫をつれて我が家にきていて、一緒に見た。ゴマ塩頭というべきかうっ すら白く雪におおわれていた。  国誉めの一環として、「富士百句」を考えている。それが国誉めのすべてではないが、自然を味わう 中で、自然に心に浮かび上がってくるもの、それらを見つめていきたい。  すでに、他のところで書いたが、    「桜の季節だ。我家も視角300度にわたって、咲き満ちる桜、桜の世界だ。 ついつい一茶の「此のやうな末世を桜だらけかな」が思い出される。  ただ、もっとポジティブなものを追求したいものだ。せっかく生まれてきたのだ。 生きていることをことほぐことがあってもいい。せめてこの自然、この大宇宙を。」  といきたいものである。                       目次へ     ヴィヨンの妻(2009.10.20.)  先日、「ヴィヨンの妻」を見た。映画である。モントリオール映画祭で監督賞をもらった とのこと。これは、女房の友だちが、新聞記事を切り抜いて、女房に渡してくれていたので その時知った。ぼくの著書『ヴィヨンとその世界』に「太宰治『ヴィヨンの妻』」の一章が あるのを覚えてくれていたことによる。映画が準備されているのは、去年から知っていた。 副題は「桜桃とタンポポ」となっていて、短編小説「ヴィヨンの妻」を中心に他の太宰作品 を取り入れてできるらしいことも知っていた。  静岡市の七軒町の東宝でみた。静岡は平均すると一週間に一回はいく。気分転換に時々は 森の外へもでたくなる。原則的には、女房と自動車ででかける。次女が静岡市に住んでいる ので会ったりする。娘夫婦はヨークシャー・テリアを飼っているので、そのプリちゃんに会 うのも楽しみだ。女房は、友だちとおしゃべりを兼ねブリッジをする。ぼくは、県立図書館 に行くことが多い。地元の図書館では探しているものがないことが多いせいだ。本屋にも行く。  その日、女房はブリッジの会へ。ぼく一人で映画に行った。  映画は、それなりに面白かった。「それなり」はぼくのよく使うせりふだが、「それなり」 であった。短編小説としては傑作と思うが、映画化するには、「ヴィヨンの妻」では単調に なってしまうのはわかっていた。そこで、他の作品を取り入れたわけだが、それでいいのか 本当のところよくわからない。映画として、短編小説「ヴィヨンの妻」とは違うコンセプト でつくられたものと考えるよりない。  ただ、最初と最後は、短編小説「ヴィヨンの妻」にやや忠実であった。正確に言うと、最 後は少し違う。ただ「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればよいのよ」 というセリフが、最後の決めゼリフになっている点では同じで、このセリフによって、短編 も締る。映画も締って終わった。  ぼくの『ヴィヨンとその世界』の第六章「太宰治『ヴィヨンの妻』」は、  「軟派的無頼派太宰と硬派的無頼派、不敵なヴィヨンを「単純にくらべる」のは無理のようだ。 特に『ヴィヨンの妻』の太宰の分身といえる大谷男爵の次男たる脆弱な詩人(もちろん「弱さの 強さ」という逆説的テーマもありうるが)とはかけはなれた社会の底辺に近い庶民の出(「子ど もの時から、おれは貧乏だ/貧乏たれのちっぽけな家の生まれさ/親父も大金を持ったことは一 度もなかった。『遺言書』)であり、芥川のいう「人生のどん底」におちる「エネルギー」に満 ちあふれたヴィヨンと比べるのは.. たしかに両者共、自己愛に満ちているが、太宰は自己否 定とヴィヨンは自己肯定と方向性が真反対ともいえる。もちろん、人間である以上それぞれ自己 否定と自己肯定が奇妙にまじりあってはいる。また、通底するものが大いにあるのも事実である。 共に状況の悲惨さにかかわらず、読んでいるとついつい笑いたくなってしまうのである。つらい 状況の中でも笑みを失わない「ヴィヨンの妻」とヴィヨンになりきれない夫の『ヴィヨンの妻』 の家庭劇をファルス(笑劇)として、また太宰作品を、明るいカラッとした視線で再読しなおす のも悪く無いと述べてこの論を終える事とする。」  という文章で終わっているが、映画の最後のセリフに伴う妻の笑みは、一部通じあうものを出 していたような気もする。                        目次へ     森の中/自由と孤独(一)(2009.10.20.)  引退後は、すぐ小説は無理としても、エセ−だけは書きはじめようと思っていた。モンテーニュ にも関わるエセ−を。タイトルをとりあえず「森の中のモンテーニュ」としたのは、森の「も」と モンテーニュ「モ」の頭韻を使って遊んでみようと思っただけのことである。実際、森の中に住む ことになるからであった。  今はすでに、森の中に定住している。富士山の山麓、朝霧高原の一隅の森の中である。個人情報 保護というほど大袈裟では無いが、あまりくわしく伝えることもないと思い、くわしくはかかない けれど、近くには、田貫湖という湖がある森である。田貫湖はダイアモンド富士でカメラ愛好家に は知られている。  森といっても、白樺などといったしゃれた森ではなく、最近よくあるように、杉と檜の森である。 枝打ちされない杉と檜の森に囲まれている。ただところどころは、杉は全伐が行われていて、我が 家の北側を除けば、三方の区画は全伐されていて、雑木にまじって地元もマメザクラも咲き、春の 一時期は、三方サクラに囲まれる桜の園にもなる。区画の向こうは、いわずとしれた杉檜。  森についてはすでに色々いわれていて、平凡なことしかいえないのでわざわざ言わない。緑に囲 まれた生活の新鮮さは、いいだすときりがない。森の中の散歩といきたいところだが、あまり近く は散歩はしない。もったいないことである。あまり歩く気がしないのである。町で犬などを飼って いて問題を起こし、ここなら大丈夫とおもったのか、移り住んでいて、周りに配慮がない。そんな 人もいたりして、歩くのも心地よくない。  そのかわり、田貫湖の周囲を歩いたり、なるべく体は動かすようにしている。田貫湖へは車で行 く。森の中の自動車ばかり走っている道だ。田貫湖の周りには、遊歩道が整備されていて、歩きや すい。最近案内板には一周4キロと書いてあるが、この前は3.5キロと書いてあったきがする。 最近時々スロージョギングしたり、歩いたりと交ぜている。  今日ははじめて、スロージョギングだけでまわった。半分の所ですこし休憩し、実走には30分 かかった。女房は、歩きとスロージョギングを組み合わせ、40分だった。  森の生活の自由さ、それはリタイア−後の気楽さが裏打ちさせてくれているものである。やがて 年齢が増すとともに孤独の問題が大きくなってくるだろう。体も動きにくくなってくる。自動車の 運転はどうする? 自動車なしでは移動できない所なのだ。しかし、その時はその時と割り切って、 今を生きるしか無い。  自由と孤独の問題を須賀敦子の文章を使って少し展開しようと思ったが、あんまり深刻ぶっても 仕方ない。「なんとかなる」と、すでに気楽な覚悟を決めいることを記しておくだけにする。                        目次へ    森の中/自由と孤独(二)(2009.10.25.)  森の中で、木に囲まれて生活をしていながら、木々や森そのものについて、深く考えてきたわけ ではない。これからだと思っている。一本一本の木について深い知識があるわけではない。名前を 知らない木も多い。これもこれからだ。  周りの木々は、紅葉、黄葉している。ことに赤いのは、当たり前のようだがハゼの木だ。モミジ の木はまわりにはもともとない。庭に植えたドウダンツツジも赤い。ツタ類が黄色になっている。 それらを杉や檜が取り囲む。秋だ。  手許に『古代ケルト 聖なる樹の教え』(杉原梨江子著)がある。ケルトについては、かねてか ら関心があった。中世フランス語で、ケルト世界のアーサー王物語、森の中をさまようトリスタン とイズ−(イゾルテ)の物語をよく読んでいた時期もあった。  万物一体、天地有情につながる世界が、ケルトにはある。山川草木の世界とつながる世界だ。自 然と解け合う世界、一神教キリスト教の伝播する前の豊かな多神教的世界、このことについてはま たそのうちに書くことにする。  森は生きている。森の中に、自由と孤独はある。人生も森だ。そこには自由と孤独がある。森が 死につつあると言われている現代、森を、そして人生を殺してはならない。                        目次へ    「閑」のある生き方(2009.10.30.)  中野孝次を読み直すことになった。手持ちの何冊かはすぐ見つかったが、肝心の『「閑」のある 生き方』が見つからない。結局、図書館で借りることにした。(後で、出てきた)  小説家中野孝次の小説は、ほとんど読んでいない。読んでいるのは、随筆といっていいのか、かつ てベストセラーになった『清貧の思想』につながる本である。だが肝心の『清貧の思想』はきちんと 読んではいない。自分に向けて清貧などを使うのは気恥ずかしい。晩年の中野はこの種類のエセ−を たくさん書いた。重複が多く、どの本のどのページをあけても、すでにどこかでおめにかかった文章 に出会う。ことほど左様に、中野には何度でもぜひ言っておきたいことがあったのだ。  ぼく自身禅をながくやってきたせいか、中野のバックボーンの一つをなしている「足るを知る」な どは、ぼくもぼくなりに意識していて、中野の世界に安心感を感じて読んできた。  中野には清貧などを含め直球を使う頑固で激しい面もあり、それは次のような文にあらわれる。  「諸縁を放下すべし」  私は定年を迎えたときに、この言葉が本当に身に沁みて、道を歩きながらでも、  「吾が生既に蹉ダたり。諸縁を放下すべき時なり。」(『徒然草』) を護符のように絶えず口ずさんでいました。実際、その頃から冠婚葬祭に出かけるのをやめました。 (中略)六十歳を過ぎてまですべて世間のしきたり通りにしていたのでは、つまらぬ雑事に明け暮れし て、一生が空しいままに終わってしまいかねません。       (『生きる知恵』)  「吾が生既に蹉ダたり。諸縁を放下すべき時なり。」は、何度も引用される。その一つ、  「義理や礼儀よりわが心一つに生きる」  五十を過ぎたころからわたしは何かにつけて、『徒然草』第百十二段の   −−吾が生既に蹉ダたり。諸縁を放下すべき時なり。  を口ずさむことが多くなった。        (『生きる言葉』)    *「蹉ダ」 (『広辞苑』)     (1)[楚辞九懐] つまずくこと。足をとられて倒れること。     (2)ぐずぐずして時機を失うこと。     (3)[張九齢、詩] 不遇で志を得ぬさま。徒然草「わが生既に―たり」  中野について述べようとすることは簡単では無い。別に中野をまねようとしてきたわけではない。 ぼくは三十代の半ば、ユーレルパスを使い列車で、ボッシュ、ブリューゲルの絵画を求めて、ヨーロッ パ各地の美術館を訪れた。あとで中野の『ブリューゲルへの旅』を知り、同じような人もいるものだと 思ったことがある。道元、良寛、モンテーニュへの関心、ギリシャ・ローマの文人たちへの関心、古代 中国の思想家への関心なども中野と通底する。中野ほどはげしくはないが、定年後のフランス語の非常 勤など断って、森の中にいる理由につながるものがあることをとりあえず述べておく。  『「閑」のある生き方』ついてだが、ある意味では自分で追い込んだ森の中での「閑」ある生活を 生かすもころすも佐々木本人次第だというわけである。  中野の本の中に良い引用を見つけた。    鉄斎     山に居るは、あに山の為ならんや     ただ此の中の閑を愛すればなり                        目次へ    坐禅会・総持寺(2009.11.6..)  土曜日(10月31日)から日曜日(11月1日)へかけて、一泊坐禅会に行ってきた。横浜鶴見の 総持寺へである。総持寺は永平寺とともに曹洞宗大本山である。森も残っていて森を残すという社寺の 役割をあらためて感じる。  実は永平寺での3泊坐禅会に参加したかったが、11月分はうまく予約できず、冬になると寒くて体 にこたえるので、来年の春から夏への時期にと思い、とりあえず総持寺にすることにした。当日集合に 時間があるので、境内をあるいた。「裕ちゃんの墓」と矢印がありそれをたどっていくと、立派な、壮 大な墓があり、石原裕次郎の墓だった。石原軍団の意向というか思いが結実しているような広く、豪華 な墓であった。  坐禅会には久しぶりの参加で、内容も充実していた。老師の生き生きとした講話のあと、茶話会があっ た。参加者のなかに、千葉から来た医者がいて、キリスト教には、ホスピスというものがあるのに、仏 教では、一部に仏教ホスピス「ビハーラ」があるにしろ、ないにひとしく、死のうとしている患者へ向 き合う姿勢が弱いのでは、云々といった意見が出たり、結構活発なものであった。  自力といわれている禅は、他力といわれている浄土真宗などにくらべると、「今、ここに」と自分を 「生きる」ことが中心になり、また「平常心これ道」といった考えがあるが、現に「死につつある」、 平常心ではおれない人のレベルにおりていくのは難しいといえる。  最近は禅の中にも他力、念仏などを考える人がいるが、禅には大宇宙の生命を、大いなる宇宙一杯と なり生きる、大宇宙と同化して生きる、万物一体という考えがあり、人間は大いなる宇宙そのなかに生 きている万物の一つとして、最終的には大いなる世界にまかせるといった姿勢も、終末医療には必要に なってくる。少なくとも死んで骨と灰と煙(二酸化炭素、水分)となり、分子レベルでは、循環する。 人間は山川草木の一成分として輪廻を続けることになるのである。  茶話会では看護師の女性がいて、「若い時代は、とくに生き続けるというか、生かし続けることが最 良と思っていたが、いまでは、安らかに眠りたいと思っている患者をゆっくりと眠らせてあげるのもひ とつの方法ではないかと思うようになっている。ただ、医療従事者として、そんなことはできないのは、 十分わかっている。」といっていたのが、印象的だった。安楽死、脳死などの問題には、深いものがあ る。                  目次へ    クセジュ(1)/三島由紀夫(2009.11.26.) クセジュ(1)  モンテーニュといえば、クセジュということになっている。僕自身まだ、モンテーニュについて、長 い文章を書く状態にはない。長い文章は、そのうちということにして、とりあえず、クセジュについて 書く。フランス語でかけば、Que sais-je ? である。英語の文法を考えずに逐語的に置くと、What know I ? 「私は何をしっているか」昔風に訳すと「われ何をか知るや」である。モンテーニュの懐疑 主義を表す標語のように説明されることもある。ここでは、懐疑主義については、堀田善衛の文を紹介 しておくだけにする。「要するに、不断の、生き生きとした好奇心に裏打ちされていれば、懐疑主義は すべてに対して開かれたものとなり、何であれ物事みも、また諸観念にも、またある種の人々にとらわ れて、その虜となることもないであろう。」(『ミシェル 城館の人』)  詳しく触れるのはまたにして、要するにちょっと勉強しただけで、いろいろ知っていると慢心しない こと。人生には正解があると思って他人を簡単に断罪しない。知識だけで知恵のない者たちに、あやつ られないこと。「人間はどこにいくのか」。クセジュ「そんなことはおれは知らない」。確かに大きな 問題だ。だが、それよりは今を生きることだ。完全な人間はいないし、完全な答えはない。そのことに 耐える。小さいことは仕方ないよ。大きく自己を、自分をいつわることなく今を大きく生きることだ。 生きながら考えることだ。常に好奇心を持ちつつ。  大学をでて勤めた出版社、白水社が、「クセジュ文庫」の翻訳をだしていた。「新しい世界の文学」 などの手伝いからはじめたが、「クセジュ文庫」の手伝いなどもした。見習いの段階で会社をやめてし まったが、四十年以上たって、クセジュについて書き始めたのもなんかの縁かもしれない。 三島由紀夫  山中湖の三島由紀夫文学館の開館「10周年記念フォーラム」へ行く。(11月21日) 講師は、 横尾忠則、ドナルド・キーン。横尾は、三島との出会いを含め死の数日前のエピソードなど、エピ ソードを色々語った。面白かった。盾の会には三島より身長の高いものはいれなかった。ほんとうだろ うか。やや自己演出過剰な三島、ついつい威張ってしまう三島を面白く語った。考えて見ると最後の死 を含めて三島にはどこか喜劇的というか滑稽味をまとっているように感じられる。キーンは三島の演劇 の優れた面を比較文化的視点をいれながら語った。ラシーヌに対する偏愛、研究者でない僕はそこまで 考えていなかったが、そういわれれば確かにそうだ。ぼくも一時はラシーヌを偏愛していた。抑えた情 念の爆発がそこにある。講演でもフェードルと懐かしい名が引用される。  面白かったのは、講演の前の休憩時間に、キーンさんが座っている机の前に、長い列ができたことで ある。それぞれキーンさんの著書らしいものを手に持って、サインをもらっている。さすがは文化勲章 受勲者のキーンさんだ。と共に、並んでいる人達とは趣味がちがうなあとついつい思ってしまう。すで に講演の終わった横尾さんは、後ろの方で知り合いと話していて、サインをもらう人は見当たらない。  講演の前、あまり時間はなかったが、一応三島由紀夫文学館にも行ってみた。初めて見る初期原稿や 写真などと共に、三島の原稿の丁寧な女が書いたような字にあらためて関心をもった。書斎の一部も再 現されていた。きちんとした事務机、書架にはなるほどといえる書物が並んでいた。日本、西洋の古典、 谷崎や天皇関係、また北一輝など右翼関係の本など。  いずれにしろ、小説家としては天才にまちがいがない。そのくせ色々問題も多い。三島文学をもう一 度、考え直してみようと思った。  まだ、十分な時間がないので、その後「考え直し」はすすんでいないが、ただ、奥さん(すでに亡く なっていた)のことを調べたが、ついでに貴族的雰囲気を見せる三島(「わたしは武家と公家の祖先を もつてゐる」「花ざかりの森」)の出自はついでに調べることになった。兵庫県加古川市の農民(塩屋 という屋号を持つ)で、天保年間「所払い」になり、当初は困窮したようであるが、やり手であった曾 祖父が農地の開墾などである程度の規模の農家となる。祖父は官僚として出世し、親父も官僚にという ことらしい。祖父の妻、祖母夏子を通じては武家につながる。なぜそんなことを書くのかというと、有 名な事実らしいが、ぼくは昨日(25日)の松本清張の番組で知ったのだが、かつて日本文学全集をだ すにあたって、谷崎などとともに三島も集まったとき、松本清張をいれるならおれは降りると三島が言 い張ったそうで、結局松本清張は入らなかったということを知って、「砂の器」などで、出自の問題を えぐった(勿論日本社会のそんなものにこだわらざるをえない面を問題にしたのだが)、また、目指す 三島の世界とは違う庶民の視点を積極的にとり、隠された自己などを暴く清張に敵愾心をもつ、隠され た出自にこだわる小さな三島が見えてくる。そこまで清張を嫌うのはやや子供じみたこととしか思えな い。他に子供じみたエピソードにはことかかない。  ○松本清張も、悪の仮面をひきはがそうという執念は、やや偏執狂的な面もあり、狂的なものを含み つつ信者を獲得している。文学というか、人を引きつけるものとしての狂気を思う。  ○なお、三島由紀夫文学館は「文学の森」にあるが、富安風生の俳句の館も同じ「文学の森」にあっ た。風生の「富士百句」のコピーがおいてあったのでもらった。すこしずつつくりはじめているわが「富 士百句」、小説の構想とともに、時間をかけて丁寧につくっていこう。                  目次へ    だめもと(2009.12.1.)  この四月、大学を退職して、森の中に移り住んでいる。大学時代は、静大宿舎にいて、どちらかとい うと均一な世界で、トラブルもなかった。  別荘地といえば、聞こえが良いが、最近は土地の値崩れで、別荘地と名のるのはおこがましい状態に なっている。もちろん土地が安いのはわるくない。自然が好きで移り住んだ気持ちのいい人達もおおい。 ただ、と悪口になってしまうおそれもあるが、何かトラブルをかかえていて、こちらに移り住んだので はないかと思える人達もいて、書きにくいことが多々ある。いずれにしろ、こちらがぶれない生き方を していれば、表面的な現象は、どうでもいい。  今日のタイトルの「だめもと」であるが、これはこれからやろうとしていることにかかわる。フラン ス語や国際理解の「欧米文化論」の非常勤もことわり、なにかに専念しようとしているのである。だめ でもともと。「だめもと」で。  なにかというと、何かを書くことである。「だめもと」で書く。小説はじめその他の書き物を、だめ でもともと、「だめもと」で。小説をといっても、時代がぼくの考えていこうとするような小説を必要 とする時代ではなくなっているかも知れない。今の小説はあまり読む気がしないとぼくがいったところ で、「それではお前のはどうなのか」といわれると、はたしてどうかなと自分に問わなければならない。 構想を立て直さなくなくてはならない。時間がかかる。結果はどうなるかわからない。だめかもしれな い。  そこで「だめもと」が登場する。「だめもと」でやってみる。何事も、うまくいくとはかぎらない。 大部分の場合はうまくいかないのが実情ではないのか。たとえ一時うまくいったように見えても、なか なか続かないのが人生だ。そこで「だめもと」となる。「だめもと」でやっていく。だめかも知れない といった悲惨な気持ちにならず、また、油断した安心にすがることなく、「だめでもともと」、「だめ もと」で、とすこしずつ進める。  生きることも含め、結果ばかり考えたら息苦しくなる。うまくいかない場合もありうる。仕方ない。 深呼吸をして体を整える。「だめもと」で、やるしかない。「だめもと」でやるのだ。  さしあたり、俳句、モンテーニュ、小説の構想、、、、「だめもと」で、長いスパーンで不易流行を 追求していく。  「だめもと」で、「だめもと」で、「だめもと」で。  中島みゆきばりのメロディーが頭の中に流れてくる。  「だめもと」で、「だめもと」で、「だめもと」で。                    目次へ    詩について(2009.12.4.)  「だめもと」でかくことについてだが、なかなか難しい。何をかくか。  今日買ってきた新潮文庫本の中に、宣伝のチラシがあった。「私がおすすめしたい作家」ベスト10 発表!! (1)伊坂幸太郎(2)宮部みゆき(3)村上春樹(4)東野圭吾(5)恩田陸と上位5位 までの中でかろうじて少しだけ読んでいるのは、村上春樹だけだ。時代はかわった。もちろん時代に迎 合することはない。もしかすると読んでくれるかも知れないだれかに向って書いてもいい。もちろんベ ストセラーがはやばやと色褪せることは、長生きをしてくる間に経験したことである。しかし時代がか わったことには、まちがいない。何がかけるか。何を書くか。  「まわるまわるよ 時代はまわる」  中島みゆきの歌が頭にあふれる。  中島みゆきを再発見したのは、ほんの少し前だ。最近、詩の不調というか読者が少なくなったことが いわれるが、シンガーソングライターが詩人のかわりをしているのは、ずいぶん前から気がついていた。 詩人がいなくなったわけではない。「時代がまわった」のだ。小説家がいなくなったわけではない、ア ニメ作家にかわったのだ。アニメ的小説家にかわったのだ。「時代がまわった」のだ。  もちろん、三島のある本について「まだ文学が神聖だった頃」と田中美代子が解説した、その神聖な 時代を大時代的に再興する必要もないかもしれない。しかし、文学の大切さを感じる人が生き残ってい るかぎりは文学の大切さを知る数すくないひとびとに語りかけるものは必要かもしれない。  さて、中島みゆきの「地上の星」の 風の中のすばる 砂の中の銀河 草原のペガサス 街角のビーナス 崖の上のジュピター  水底のシリウス・・・ ... は、詩句としても優れている。  また「誕生」 Remember 生まれた時 だれでも言われた筈(はず) 耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome Remember けれど もしも思い出せないなら 私いつでもあなたに言う 生まれてくれて Welcome  そして、「宙船(そらふね)」 その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな などは、ロマンチックな面を含みつつ詩そのものである。  さて、小説を構想しながら、詩をかいてみたいとも思っている。まさか、シンガーソングライターみ たいなものはかけない。最近よく思うのは、西脇順三郎である。個人全集はそれほど持っていないが、 不思議に西脇順三郎全集はもっている。俳句と通底するものがおおい。「芭蕉のイマジスム」などの文 も書いている。  あかのまんまの咲いている  どろ路にふみ迷う  新しい新曲の始め  他にも引用したい詩句は多いが、西脇順三郎論ではないのでやめておく。  だめもとの中に、吟行詩も加えることにするか。だらだらした詩はやめよう。簡潔にと思う。                  目次へ    角をまがれば(詩)(2009.12.7.)  角をまがったら  大きな富士がくっきりと  悠然とそびえていると  思いながら曲がると  富士はなく  常識常識と脈絡もなく無意味にわめき続ける  非常識人がいて  よけいな時間をくってしまう  相手にしてしまったのが不覚だ  しばらく歩いて  その次の角をまがると  富士はいた  真っ白な富士が広い裾野を左右に広げ  悠然とすわっていた                   目次へ    昨日買った本 (2009.12.18.)  週に一度は妻とともに車で静岡市へゆく。昼は娘に会う。娘夫婦の愛犬、プリとあう。  昨日は午前中は、県立図書館、午後は、散歩をかねて、本屋、古本屋をたずねた。たまには、買った 本についても書いてみよう。それらの本が、ぼくの最近の関心ごとを表現していることもある。その時 分の記録にもなりうる。毎回かくのは煩雑だが、今回は書いてみよう。  山城むつみ『文学のプログラム』(講談社文芸文庫)  今回買った本の中で、まず取り上げたいのが山城むつみ『文学のプログラム』である。山城むつみを 読もうと思ったのは、最近のことである。書評で、独創的な批評家と紹介してあった。  まだ、あとがきしか読んでいないが、十分面白い。要するに、他人の書いた「乗り物」によりかかっ て、読んだり、批評をしたりするのでなく、自分の足で「歩行」することを第一とする読書、批評する という態度の表明である。その唯一の先行者としての、小林秀雄を書いたようであり、その姿勢で自分 の批評を続けているようである。当たり前といえば、ごく当たり前の態度である。しかし、実際となる と、「論文」ということになると、先行論文に敬意を払うといいながら、それらに寄りかかって安易な 「乗り物」にしてしまうことになる。「乗り物」の立派さを誇る論文もある。いずれにしろ山城の論を 読もう。そして、これを機会に、小林秀雄も読んでみよう。三四年前、ひょんなことから、小林の講演 テープを聞き、落語家的な小林を発見して再読を断続的に続けていたところだ。  モンテーニュの言も引用しておこう。「乗り物」利用になるかな?  わたしは物を書くとき、書物の助けをかりたり、かつて読んだことを思い出したりすることをしない ようにする。書物がわたしの考え方に影響するといけないからである。                             (モンテーニュ『エセー』IIIー5)  まったく、いくら竹馬にのっても、結局は自分の脚で歩かねばならないからである。いや世界で最も 高い玉座に登っても、やっぱり自分のお尻の上に坐るだけなのである。                             (モンテーニュ『エセー』III−13)  ついでに、「コラボ抄」から追加しておく。  尽く書を信ずれば書なきに如かず            (『孟子』)  堀田善衛『天上大風』(ちくま学芸文庫)  堀田は、モンテーニュの評伝(『ミシェル城館の人』)を書いている。三巻にもわたる大部な著作で ある。所々に刺激的な示唆はあるが、時代背景をはじめ、詳しすぎるほどで、一般の読者が、読みおお せるのか心配である。要するに、手短かにはどう言っているかと思ってモンテーニュ論も入っている『時 代と人間』を求めることにした。絶版であった。県立図書館にあった。同時に古本をインターネットで 買った。便利なものだ。(同時に古本を求める人口もへり、古書店のやりにくさも聞くことが多い。昨 日はもうすぐ閉店する店にもいった。)このモンテーニュ論は通りいっぺんの書き方で、感動を与えな かった。  さて、『天上大風』、ぼちぼち読んでいこうと思うが、帯に「僕らは、堀田さんが最後に残してくれ た言葉を胸に、生きていくしかない」と宮崎駿の名があるが、そういう効果を与えてくれることを望ん でいる。  加藤周一『言葉と戦車を見すえて』(ちくま学芸文庫)  加藤については、すでに触れたことがあるが、戦争と戦後の混乱を生きぬいた希望の底力をよみとり たい。  開高健『人とこの世界』(ちくま学芸文庫)  以前、NHK教育の読書の番組で、佐野真一が、熱をこめてこの本について語っていた。帯にも「これ は開高健ノンフィクションの最高傑作である」佐野真一とある。対談集である。金子光晴、深沢七郎、 石川淳などぼくにとっても今まで特に興味を持ってきた、最善の部分をもっているひとたちである。読 んでいこう。  ジャック・ル・ゴフ『子どもたちに語るヨーロッパ史』(ちくま学芸文庫)  フランス史、特に中世史の碩学ル・ゴフのこの原著は、国際理解教育のヨーロッパ文化論の授業でも 大いに利用させてもらった。中世、ルネサンスは文学をはじめ、色々読んできた分野だ。文庫本になる とは思ってもみなかった。「若い世代に贈るとびきりの入門書」と帯にあるが、はたしてどれだけの若 い世代がよむだろうか。読書離れの時代、帯の文句が生きてくれたらと思う。  ジャック・アタリ『1492 西洋文明の世界支配』(ちくま学芸文庫)  書店にちくま学芸文庫新刊として並んでいた。モンテーニュの時代を扱っていて、当然買ってしまう 本である。しかし、買わなかった。実は訳者の斎藤さんは、知人で二三日前自宅に送ってくれていたの だ。もともと朝日新聞社刊行で、その時も贈呈をしてもらっている。活字が小さく、眼に関してはとも かく、洒落た、かわいい本に生まれ変わっている。ぼくは、大学時代の最後の紀要論文として、モンテー ニュについて初めて書いたが、そのときも大いに活用させてもらった。名著といってもよい。西洋文明 の世界支配の端緒の時期の諸相がよくわかる。また、新世界の人々に偏見のないモンテーニュ像につい て知らない人がいれば、その面でも参考になる。買わなかった本だけど言及しておく。  古本屋で買った本、簡単に触れておく。  村上春樹の『やがて哀しき外国語』を除き、全部文庫本である。この三月入りきらないほどの蔵書は なるべく図書館などを利用することにして、文庫本を含め思いきって整理した。ただし、文庫本は心残 さずに整理しやすいので、適当に買い、適当に整理することにすることにした。今回は三島由紀夫の『永 すぎた春』『宴のあと』『美しい星』と二度買いになってしまった。奥野健男『三島由紀夫伝説』は、 貴重な文庫本かもしれない。山中湖の三島由紀夫文学館のドナルド・キーン、横尾忠則の講演会以来、 三島由紀夫再読を初めているのはすでに書いたような気もする。谷川俊太郎『風穴をあける』、最近詩 もすこしずつ書こうというきになっている。ぼくの気になる詩人の文章も読んでみるのも悪くはない。 里見とん『道元禅師の話』、禅をはじめてからは長い、最初は臨済宗が好みだった、そのうち道元が僕 の中で大きくなってきた。『正法眼蔵』の豊かさ。この11月も、曹洞宗の大本山総持寺にいってきた。 この里見とんの本は、どれだけのものを与えてくれるかどうかはわからないが、静岡浅間神社の前の商 店街の古本屋に立ち寄った際、、来年一月閉店ということで、全商品半額、今まで気になっていたこの 本を買うことにした。他にも、大きい本で買っても良い本も何冊かあったが、場所ふさぎになり、図書 館にもあるので、岩波文庫のこの本だけにした。  県立図書館で昨日借りた本について書けば、これまたきりがない。20冊借りられるのだ。他に音声 教材を3点借りることができる。俳句関係とビデオだけふれておこう。  ビデオはそれなりに充実している。それなりとは、ないよりましだといった程度ではあるが。シェク スピアがある、オペラがある。BBCのシェクスピアだ。ただし「ヴェニスの商人」はない。十数種の代 表作がある。一通りは借りてみたので、今は二度目のサイクルに入っている。二度目は二度目なりの新 しい発見がある。二度目としては「リア王」「ヘンリ二世」こんどは「ロミオとジュリエット」を借り てきた。オペラの「ロミオとジュリエット」はすでに借りて見ている。「オセロ」のオペラもそれなり に良かった。シェクスピアの「オセロ」は、今度あらためて借りることにする。ワグナー「ニ−ベルン グの指輪」のオペラのビデオが壊れていて、貸し出し不能になっているのは残念だ。ぼくはすでに借り てみているが、再度観賞できないのはくれぐれも残念としかいいようがない。  俳句関係では『現代俳句体系第一巻』だけ触れることにする。この「現代俳句体系」(角川書店)の 全巻は「現代俳句集成」(河出書房新社)とともに所有していたが、図書館でかりる事ができるので、 友達にもらってもらっていた。さて、第一巻であるが、「龍雨句集」があるので借りた。増田龍雨の句 は名句集などでは、ふれていたが、句集レベルでは読んではいなかった。今回、『俳句界』12月号に 特集として「昭和俳句の巨星ベスト30」があり、そのためのアンケート「好きな俳人3人」に元「鷹」 の小澤實さんと加藤郁乎が、増田龍雨をあげている。思いかけなかったので、読んでみようと思う。久 保田万太郎にも通じあう世界のような気もする。  ただ、俳句にたいする思いとしては、ぼくとしては、最近「俳句雑感時々少々」にも書いたが、 「前々回、「どんなやりかたをしても総合的には虚子の1位は動かないだろう」と書いてしまったが、 反虚子の立場の人もいる。全員がそうであるわけではない。あくまでも、「総合的には」であり、総合 的はしばしば退屈である事も多い。虚子だけでことたりるわけではない。さまざまな俳句がほしい、退 屈になりがちな結社俳句は、日本人が持つ趣味の世界としては悪くはないが、なるべく言及はしたくは ない。  多様性、そこで真鍋呉夫の新・文人俳句や、金子兜太のやんちゃ俳句(金子の言によると「知的野 生」俳句)、三橋敏雄の新・新興俳句が必要になってくる。すこし、おどけて書いたが、この三人(他 にも多いがここでは三人)などの存在が必要になってくる。虚子だけでは困るのである。」                   目次へ    毎日の富士、一昨日の富士 (2009.12.21.)  前回のタイトルは「昨日買った本」であったが、今回は「一昨日」を使う。「一昨日の富士」である。 富士山の近くにすんでいる僕としては、富士は「毎日の富士」である。  昨日の富士も立派だった。雪煙りもなく富士そのものが晴れ渡っていた。一昨日の富士も立派だった。 白い雪をまとい、頂上近く軽く雪煙りをあげ、吹雪いているなと思わせた。優美で勇壮であった。その 優美さに、白い牙を隠していたことは、その後の報道で知った。  以前、俳句以前に短歌をつくっていたとき、なにげない風景の中に、牙、刃が隠されている歌をつくっ た。  乙女らはガラスふきおり 鮮血の刃かくして澄めるガラスを 久しぶりで、京都にいったとき、中学のなにげない掃除風景を見てよんだ。(「佐々木敏光ページ」参 考)その後、短歌の饒舌さに飽きて俳句に移った。小説創作はいつかはと思いながら、凍結状態のまま であるが。  白い牙は、元FIドライバー片山右京のグループを襲った。テントごと風にとばされた。死者二名。ぼ くは富士宮市から富士を見ていたので、軽い雪煙りとして見える牙は、御殿場方面の牙ではなかった。 富士登山のベテランは、こういう気圧配置のときには、登山しないし、まして、野営はしないとのこと である。油断があったとしても、油断を超えて、自然は恐ろしいものである。  自然の荒々しを、そして、悠然として立つ富士が、人智をこえた存在であることをあらためて思う。  なお、富士についての俳句創作は、すこしずつ続けている。インターネットなどでの発表は、しばら くは控えたい。「富士百句」または「そこにある富士」として、一二年かけて仕上げたい。あせらずに、 陳腐にならずに。                   目次へ    バンビ (2009.12.26.) 「ここは森? 森の中には、バンビがいるんだよ」東京から来た孫が真剣な顔をしていう。  森の中に住んでいる。野鳥が訪れることは多い。シジュガラ、ヤマガラ、エナガ、アカゲラ、メジロ、 ホオジロ、カケス、オオルリ、あげていけばきりがない。ホトトギスは飛びながらなく。珍しいといわ れるミソサザイが、我が家の庭に来たりする。  昆虫もアサギマダラなど、これらもあげていけばきりがない。また、団地住まいでは知らなかった、 カメムシが、越冬のためか、侵入してくる。触ると臭い匂いを発するので、僕を含む家人から嫌われて いる。そのかわり、ゴキブリがいない。  リスが小枝をあるいていた。ウサギが畑の野菜をくっていると思われる節がある。野菜畑には小さな 鼠がいる。散歩していたらタヌキが、犬にかまれたのか、瀕死の重傷でうずくまっていた。野ウサギは、 はっきりと死んでいた。近所では、鹿が、イノシシがあらわれたときいた。鶏をイタチにたべられたと もきく。一、二キロ離れた沢ではクマがでたという。こういったことは、田舎ではあまり珍しいことで はないかもしれない。  バンビに出会った。バンビといっても最初は、その仲間のカモシカであった。秋の終わり近所のバラ 園に見慣れない動物がいた。目があって驚いた。カモシカだった。子どもに近い目で、若いカモシカで あった。短い角もみえた。不思議そうにこちらをみて、バラの花をたべつづけた。ゆっくりと食べつづ け、結局妻とぼくの方が、さきに立ち去ってしまった。  それからしばらくして、富士山経由で、妻と御殿場にいった。西臼塚をすこしいったところで、バン ビに出会った。若い鹿で、やはり不思議そうに僕たちをみていた。正確にはホンシュウジカのようだが、 バンビとしかいいようがない。すこしやりすごしたので、バックをしたが、鹿はいなくなっていた。か わいいとしか言いようがない、かわいい鹿であった。  その後、田貫湖の自然塾の指導員と話す機会があったが、カモシカや鹿は、農作物を荒らすので、駆 逐の対象になったりするそうだ。すでに知っていたことだが、あの出会ったバンビがと思うと複雑な感 情に襲われる。ここにも、山をきちんと管理しない人間側の問題があらわれている。  「森の中には、バンビがいるんだよ」遅めの口調でしかも真剣に語る孫は、まだ、バンビを見ていな い。バンビが生き続けられる環境は、残されているのだろうか。人との調和ははかられるのだろうか。 森に侵入しているぼくらの課題でもある。                  目次へ    陶淵明にならって(詩)(2009.12.31.)  帰りなん、いざ、田園いま荒れなんとする。  はたして帰るべき田園はあるのか。  ぼくは次男なのだ。  帰ってもいいのかしれないけれど、  そこでは、長男が、田園のまん中にいて、知らぬふりをしている。  とりあえず、ぼくの帰るべき田園はない。  長男を恨んでいるわけではない。  その心もわかる。長男夫婦も両親を支え、つらい時を耐えたのだ。  田園といっても、ちっぽけなものさ。  ぼくは故郷から遠くにいて、少しは心配し続けたが  長男の苦労にくらべれば、ほとんど零だ。    帰りなん、いざ。田園いま荒れなんとする。  ぼくは田園に帰らない。  森へ帰る。森の中へ。  小鳥たちと虫たちと木々たちと野草たちの森へ。  そして妻の小さな菜園の野菜たちのもとへ。  田園の中にも鬱はある。鬱よりもみじめな躁も。  森の中にも鬱はある。鬱よりもみじめな躁も。  明るい躁を、田園に、森に、響かせよう。  小鳥たちと虫たちと木々たちと野草たちとともに。  そして妻の小さな菜園の野菜たちとともに。  悠々として見る、裏の山。  自ら楽しもう。  山河いま荒れなんとする。  荒れているのは山河なのか  人の心なのか。  躁・鬱の風が吹きまくる。  森の中に、そして田園に帰った人たちは  なにかを取り戻そうとしたはずだ。  取り戻した人もいる、取り戻せなかった人もいる。  そのさまざまな彼らにも、時は流れる。時は流れる。  帰りなん、いざ。田園いま荒れなんとする。  帰りなん、いざ。山河いま荒れなんとする。                  目次へ   蕪村再発見(2010.1.16.)  昨日静岡の古本屋で、「古典名句集」という本をパラパラめくり、蕪村を再発見することになった。 新発見といってもよい。柔らかいのだ。発想が自由なのだ。当然のように、蕪村はいろいろ読んできた。 本もたくさん所有している。あらためて蕪村の表現の柔らかさ、発想の自由さにふれた思いがした。じっ くりと再読したいと思った。パラパラとめくる一句一句に豊かな世界が、日常なんとなく見落としてい る世界がそういわれればそうだなというように次々と展開していた。時には絵画的に、また物語的に。  このサイトの俳句欄に「蕪村句集」があり、自分なりに選択した蕪村句を掲載している。今まで見落 としていた句の一つに   冬こだち月に隣をわすれたり があった。自然の中の生活をと思って森で住み始めたが、今隣とは思いもかけない微妙な関係になって いる。発端は犬を勝手に放し飼いすることを注意したことによる逆恨みである。関係性は違うとはいえ 蕪村も隣家とは微妙な関係になっていたことが、次の句      我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴ラす でもわかる。大先達の蕪村さん、ぼくたちも「月に隣をわすれ」る風流を冬木立ちのなかで持とうと思っ ていますよ。  今回の読み直しは、すでに読みつくしていたと思っていた句にも豊かなものをもたらしてくれた。理 屈は省略して、「蕪村句集」に追加する句をいくつかあげる。  草霞み水に声なき日ぐれ哉  二十五のあかつき起きや衣更  蛇(だ)を載(きつ)てわたる谷路の若葉哉  後の月賢き人をとふ夜哉  いてう踏(ふん)でしづかに児(ちご)の下山かな  冬ちかし時雨の雲もここよりぞ     (洛東芭蕉庵)  冬こだち月に隣をわすれたり                  目次へ   「モンテーニュのシャトー」へ(2010.2.6.)  桑原武夫全集6に「モンテーニュの城」という文がある。今回はこれから書きはじめる。戦前、一九 三八年のことである。桑原はパリにいて、モンテーニュの城を訪れようと思うが、出発前日になっても どこにあるかわかない。Guide Bleu で、フランス南西部のりブールヌ市の近郊、支線のラ・モット・ モンタンヴェール駅の北三キロにモンテーニュのシャトーがあることをどうにかつきとめる。りブール ヌで駅員にきくと、次の列車は一つ手前のカスティヨンはとまるが、当の駅は通過する。だが、カスティ ヨンには多分タクシーがいるだろうということで、カスティヨン駅におりたつが、タクシーどころか人 影もない。やっと見つけたが運転手がいない。近くのカフェでワインで好い機嫌になっている。四時過 ぎにつき、閉門であったが遠方から来たといい、特別にいれてもらったというわけで、見学した塔のこ となどおもしろおかしく書いてある。  かくいうぼくもおよそのことはわかっていたつもりだが、正確にはどこにあるかは知らなかった。 2003年ボルドーにしばらく滞在した時、東の方にあるワインのサンテミリオンには列車でいった。そ のすこし先にあるとはうすうす知っていたが、あえて調べていかなかった。また、1977年にフランス 中部のツールでフランス語教授研修滞在中、あとでもふれる斎藤広信さんがレンタカーでモンテーニュ のシャトーにいくことになり、さそわれた気がするが、よく覚えていない理由で参加しなかった。  2007年発行の新しい翻訳『エセー2』(白水社)のあとがきで、著者宮下志朗は経験をかたり、ラ・ モット・モンラヴェル駅に降り立ち、タクシーがなく歩いていく決心をしたが、結局はヒッチハイクと なり、帰りは歩きとなったようである。  2009年いよいよシャトーをたずねようとして、インターネットなどで本格的にしらべ始めた。地理 的な位置はわかったが、交通手段というか田舎では自家用車で動くのが当たり前になっている今、タク シーがはたしてあるかなどもしらべたがどうもなさそうだという以外はわからない。シャトーに近いホ テルも歩ける距離ではなく、レンタカーがなければ利用できそうにない。フランスの地方では、オート マのレンタカーを借りるのは至難の業である。ぼくも女房もオートマでなければだめなのだ。以前は、 酒飲みのぼくはもっぱら自転車で、車は女房が運転するものだった。女房もマニュアルでフランスの高 速を運転したりしていたが、いつしかオートマになれてしまって、マニュアルは怖いという。  斎藤広信さんに聞いた。斎藤広信さんは、モンテーニュの「旅日記」の訳者であり、他モンテーニュ の研究書やその時代に関する本も翻訳しているモンテーニュ研究者である。レンタカーをすすめられた。 また、斎藤さんはボルドーでのモンテーニュ学会などの時、学会員とバスでたずねたりしたそうだ。  結局、タクシーを見つけやすいりブルヌ市で宿をとり、そこからタクシーで行き帰りすることにした。  ボルドーの手前、りブルヌに朝10時ごろつき、駅ちかくにきれいで感じのいいホテルをとった。駅 前でタクシーをつかまえた。その運転手とのやりとりは、おもしろかったが省略する。サンテミリオン の南部を通ることになった。インターネットで調べていたレストランは、レストランといえるほどのも のではなく閉じていた。モンテーニュの館は昼休みで、雨の中、門前の広場で待つことになった。具体 的言えば、広場にあるサン・ミシェル教会の入口のひさし、また移動してそばの公民館的な建物のやや 広いひさしの下ですごす。寒かった。おなかがすいていた。再開の時間になり、門からすこし入った入 口の案内所の建物に向った。  案内嬢はアフリカ系の若くてかわいい人だった。愛想良く、日本語も勉強しているとのことで、たど たどしい日本語で挨拶してくれた。シャトーの主要部分は、今の持ち主の生活空間なっていて、見学で きるのは塔だけ(シャトーは火事で再建されていて、塔の部分だけ当時のものである)であった。三層 からなる塔の中には書斎もあり、モンテーニュの思索の場となっていた。塔について説明することは、 モンテーニュの知的生活を、宗教戦争という困難な時代を説明することになる。長くなるので今回は省 略する。  たのしかったのは、見学を終えて、案内所へ戻ってきて、ワインの試飲をしたことだ。モンテーニュ のシャトーは、モンテーニュの時代からワインをつくっていたが、今は一種のワイナリーとなっている。 良いワインもつくっているようであり、実際、すっきりとしておいしかった。案内嬢が気前よく勧めて くれて、量もはずんで、おなかがすいていたせいか、かなり酔ってしまった。特に美味しかった1本を かった。今は、CHATEAU MICHEL DE MONTAIGNE と、ワインのラベルだけ残っている。  携帯電話(国際用を用意していったが、フランスにつくと現地の時間を表示し、通話にも何の不都合 はなかった)で、来たときのタクシーを呼び出して、きてもらった。応対も良かったので、行き帰りと も多めのチップをあげてしまい、往復で百ユーロかかった。  その日は、りブルヌで泊まり、次の朝近くの市場で、土地の名産のフォアグラを買い、久しぶりのボ ルドーへと向かった。                   目次へ   タオイスト(2010.2.9.)  加島祥造先生(以下、日常的には加島といっているので加島とかく)はタオイストの端くれを自認さ れているようである。いずれにしろタオイストに限り無く近い人だと思う。彼の老子に関する本を読む ことをすすめる。ぼくが老子を本当に面白いと思ったのは、加島訳『タオ 老子』(筑摩書房)を読ん でからである。自由でイメージも結びやすい訳で素直にぼくに心にしみわたってきた。それまでも、た とえば学生時代ヘンリー・ミラーの『南回帰線』に触発され、ミラーの『わが読書』を読んでみた。そ の本で彼は自身影響を受け書物をあげていた。その中に『老子』も入っていて、ぼくも読んでみた。よ くわからなかった。若いぼくにはあまりに茫漠としていて、とりつく島がなかった。  若い時の読書は、ある本を中心に広がることが多い。たとえば、コーリン・ウイルソン『アウトサイ ダー』から、そこで触れられている本の世界が広がったいった。ただ『わが読書』から『老子』にはひ ろがらなかった。曖昧でとりつく島がなかった。しかし老荘の荘の『荘子』は、重要な本となっていた。 実は、中公新書の福永光司著『荘子』を読んで感動を覚えていたのだ。その本には副題に「古代中国の 実存主義」とあるように、当時流行中の実存主義の用語を使ってわかりやすく熱のこもった解説があっ た。そしてなによりも荘子の寓話の一つには解説をこえた、ぼくの気質に眠っていたものに直接訴えか けるものがあった。人間はだれしも七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり呼吸したりして いるが、この混沌にだけはそれがない。ひとつ試しに穴をあけてやろうじゃないか、と、日ごとに穴を 穿っていったが、七日めに死んでしまった、という話、  「(北海の帝王と南海の帝王は)混沌の徳(めぐ)みに報いんことを謀りて曰く、「人は皆七つの竅 (あな)有りて、以て聴き、食(くら)い、息するに、此れ独り有ること無し。嘗試(こころ)みに之 を鑿(うが)たん」と。日ごとに一つの竅(あな)を鑿ちしが、七日にして混沌死せり。」  学生時代この文章に接して以来、ことあるごとに、呪文のように、反復していた。要するに、表面的 な知恵とか理論で何事かを処理しようすることは、まるごとの生を殺しかねないという思いが湧きおこっ てくるのだった。禅に興味をもったのも、その延長のような気がする。  年をかさねたある日、加島訳『タオ 老子』と出会ったとき、解き放たれたような気がした。書いて あることは、すでに禅の本などで触れていたことだ。それらが、イメージ豊かな言葉で簡潔に語られて いるとあらためて思った。  たとえば、   「無為」―― 為スナカレ   これは何もするな、ってことじゃない。   余計なことはするな、ってことだよ。あんまり   小知恵を使って次々と、   あれこれの事を起こすな、ってことだよ。   そこに私たちの知らないタオの力が働いてる、   と知ることだ。   われらを運ぶ大きな流れがある   と知れば   小さな怨みごとなんて、   流れに流してしまえるんだ。            (『タオ 老子』加島祥造訳)  そして、   ぼくらはひとに   褒められたり貶されたりして、   びくびくしながら生きている。   自分がひとにどう見られるか   いつも気にしている。しかしね   そういう自分というのは   本当の自分じゃあなくて、   社会にかかわっている自分なんだ。    (...)   たかの知れた自分だけど   社会だって、   たかの知れた社会なんだ。    (...)   社会の駒のひとつである自分は   いつもあちこと突き飛ばされて   前のめりに走ってるけれど、   そんな自分とは   違う自分がいると知ってほしいんだ。        (『タオ 老子』加島祥造訳)  とらわれないこと(難しいことだ)をモットーとしているぼくがタオイストを、目指しているかどう かは、ぼく自身あまり関心はない。目下周りに引きずりまわされて生きることを強いられないようにす るだけである。  ところで、老子とモンテーニュを比較検討することは、一見奇妙に思えるかもしれない。フランス・ ルネサンス時代のモンテーニュ(1533〜1592)と中国古代の老子、あまり関係なさそうである。ただ、 モンテーニュはギリシア・ローマ古典の深い読書を通じ、自然と共に思索した古代の哲人たちの深い知 恵にふれており、東洋の自由に満ちた知恵と通底するものをもっているのである。たとえば『エセー』 の第1巻 第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」であり、扱い方は東洋的とは言えないが、 老荘思想には、生死を見つめ、生死を超える哲学の面もあり、この面においても通底するのである。  モンテーニュ研究の大先達である関根秀雄は、たとえば『モンテーニュ逍遥』において、モンテーニュ を脱西洋的な思想を展開する詩人としてとらえ直し、老荘の流れを意識しつつとらえなおすことを提案 されている。勿論、一筋縄でいくテーマではない。今すぐぼくが書こうとすることは、まだ早すぎると しかいいようがない。時間を必要とする。  他の所に掲載している文をコピーしておく。  「さらに、彼(モンテーニュ)が老荘哲学の信奉者として解釈されるのもほとんど時間の問題にすぎ ない。実際、彼は、その相対主義や自然への信頼や死の受容の点で、ほとんど老荘哲学の信奉者のよう である。」  これは、ピーター・バーグ著『モンテーニュ』(小笠原、宇羽野訳、晃光書房)からの引用である。 ぼくもそんな気がする。勿論、彼を老荘哲学の信奉者にしたてあげるつもりはない。共鳴する東西の智 慧の例として見ていきたい。もしかしたら、閉息状況にある人間の未来への可能性の一端が見えてくる かも知れない。(そんなに甘くはないかな。それにしても、世界各地での紛争は次々起こり、環境破壊 は止むことはない。こんな小さい地球で、小さい正義や能率ばかり主張していたら、どうなることか。 地球に死なれてしまうよ。)                   目次へ   地球に死なれてしまうよ(2010.2.11.)  多い。賢い人が多い、自分の方がすぐれていると思っている賢い人が。  少なくとも、自分はすばらしいグループに属していると思っている人が。  他のグループは劣っている。  それもいいだろう。  だが、あまり極端にはいきすぎないでよ。  本は書かれる。理論は生産され、増殖する。  哲学者は語る。哲学は、進まない。  政治家は語る。反対派を断罪する。断罪された側が相手を断罪する。  無限地獄の応酬だ。  世界経済の時代だと資本家たちはうそぶく。グローバルの時代だと。  貧しさを背景に、自分達だけの正しさを声高に叫ぶ宗派。  そして、貧しさを、滅び行く生き物を救おうと正義の人達がさらに破壊的になっていく。  環境破壊・・、関係者たちも、市民たちも、自分達以外のものたちの責任だと思い続ける。  人間って、弱いよな。  人間はしかたないのか。  普通のやさしさで生きることはできないのか。  比べながら生きるほかは。  非難しあいながら生きるほかには。  富士山は堂々とそびえている。  地球の上に根をはって。  だけれども、人間、こんなことやってたら、    そのうち    富士山だけでなく、  地球に死なれてしまうよ。                     目次へ   立松和平  死去(2010.2.27.)  すでに日がたってしまったが、立松和平が亡くなった(2月8日、多臓器不全)。突然の訃報であっ た。亡くなる数日前、NHKの番組「日めくり万葉集」に出ていた。高市黒人 の歌、    いづくにか 我が宿りせむ 高島の 勝野の原に この日暮れなば をあげて、正確ではないが「この日がくれて、どこに宿りしようかと途方に暮れるといった思いを今ま で感じなかったような人は信用できない」といい、「ぼくも去年、今年とこういった思いにかられてい る」と言っていたのが、印象的であった。62歳の若すぎる死は、本人にとっても残念なことであった であろう。学生運動、文学的野心、放浪と青春のさまざまな挫折のはて、いつしか誠実を絵に書いたよ うな存在として登場し、そうあり続けていた立松。自然保護に力をいれていた。盗作さわぎもあったが、 色々調べる過程での思い違い、ミスと思いたい。世間的には文筆家というより、テレビ出演で独特の調 子で語る好人物の印象が強いであろう。  早すぎる晩年であった。聖徳太子、道元など宗教に関わる文章が多くなっていた。現代的素材との格 闘から離れたという論評もありうるが、無益な競争の中で人心も荒れ、また世界的にもテロ等復讐の連 鎖という人命軽視の時代を書き手として原点に戻って引き受けようという思いのあらわれと思いたい。  日光を中心とした自然の中での人間の生きざまを追求した本もある。富士山麓で富士に向いながら、 自然の中で何かをと思っている、また禅を長く続けてきたぼくにも刺激の多い人だ。  成し遂げたかったことを残したままその生を終える無念さをあらためて思う。  最後に、立松の本(『道元禅師』)から。道元が語っている。 「人間というものの小ささ。自分に対する執着を離れた時、悠久の自然と一体になった本来のゆるぎの ない自分が生まれます。その時、心はなにものにもおびやかされることのない、まことの平安にやすら ぎます。澄み切ったさとりの境地になるのです。」      合掌。                               目次へ   ニーチェ、西田幾多郎、鈴木大拙(2010.3.22.)  「富士百句」の作業、静かにすすめている。少しずつためている。推敲を重ね、発表は慎重にと思っ ている。ただ、富士とともに生きることができる僥倖は大切にしたい。  と同時に、ニーチェ、西田幾多郎、鈴木大拙を主に読みすすめている。それぞれぼくの中では大きな 存在となっている。彼らへの読書はぼくにある種の充実感を与えてくれる。また、かねてから懸案のモ ンテーニュを豊かに読んで行くための基礎作業を兼ねることにもなると曖昧に答えておく。  ニーチェは、若いころよく読んでいた。読んでいた本の大部分は散逸した。手元に残っている『ツア ラトウストラはかく語りき』『善悪の彼岸』には、赤線がたくさん引かれている。若き日の自己陶酔の 日々が思われる。  アフォリスム的表現の多いニーチェが、フランスモラリスト(特にモンテーニュ)からインスピレー ションをうけていることからいつかはと思っていたが、最近再読を始めた。読み直してみると面白い。 色々考えさせられる。以前から疑問に思っていたことを、適切に問うている。述べるべきことは多い。 あらためて、読み直すと、よくいわれていたようにニーチェは決してナチ的な考えをもっていたわけで ないことがよく分かる。遺稿は民族的偏見に満ちた彼の妹により、編集されたのである。『権力への意 志』も『力への意志』といったほうがよく、現に『力への意志』として紹介される場合が多い。根源的 生命力への称揚である。ただここでは、  二つの言葉、  「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」 (『権力への意志』)、  「真理とは、それなくしてはある特定の生物種族が生きることができないかもしれないような種類の 誤謬である。生にとっての価値が結局は決定的である。」(『権力への意志』) に関わることだけ書いてみる。  今にはじまったわけではないが、人間それぞれの考え方の違いの大きさは、しばし呆然たる思いをさ せられることがある。現代思想においても、同じテキストをどう読むか、個人によってその違いは大き い。まさに、「解釈」は、さまざまである。恣意的という他ない場合もある。単純化していうと、ニー チェのさまざまな発言も「一つの解釈」として、あつかわれても仕方がない面もある。一つの解釈とし て、無視されることもありうる。勿論ニーチェはニーチェなりに、そのことをきっぱりとあきらめてい る。万人が同意できる合理的で中立的な説明はありえない。そのことに耐えること。世界が無意味であ ることに耐えること。そこから、「超人」や「永遠回帰」の思想がでてくる。  これらは、ここで描き切れるものではない。モンテーニュにからめて、このテーマを追求していきた い。そして、意味・無意味を超えた世界を見つめていきたい。「永遠回帰」といっても、「永遠」の循 環があるわけではない。「君を永遠に愛する」といった場合、人間に寿命がある限り、「永遠に」はあ りえない。「今」が「永遠」なのだ。「今」につながる刻々が永遠なのだ。  鈴木大拙は、禅を始めた四十年以上前から、時に触れ読んできた。今回再読のきっかけとなったのは、 書店の書架に『鈴木大拙の言葉――世界人としての日本人』(大熊玄著)と『西田幾多郎――世界の中 の私』(櫻井歓著)の二冊が並んでいて、同じ出版社の本であった。あとがきを見ると、もともと金沢 市の事業で、郷土の生んだ偉人である鈴木大拙と西田幾多郎の思想を中学生にわかりやすく解き明かす 書籍の制作で、この二冊のもとになる本ができたとのことである。今回はその改訂出版とのことである。 パラパラとめくってみた。平明をこころがけた記述であった。中学生云々という点にも興味がひかれた。  買ってよんだが、中学生対象というレベルに媚びず、要領よく書かれていた。  鈴木大拙は比較的読み親しんでいたが、西田幾多郎は気にかかりながら、あまりきちんと読んでいな かったなという思いがした。去年の春の定年退職以降、たまたま書店で『私と出会うための西田幾多郎』 (中岡成文著)に出会い、面白く読んだ。勢いにのろうと岩波文庫の『西田幾多郎哲学論集』I,II,III もそろえたり、何冊か西田関係の本を買ったりしたが、他の読書にまぎれて、しりすぼみになっていた。 とろ火状態を平常の火としてくれたのが、中学生用書籍として出発した『西田幾多郎――世界の中の私』 である。  小坂国継(『西田幾多郎の思想』講談社学術文庫)の指摘をまつまでもなく、大拙は勿論、幾多郎も 禅体験による啓示が随所にあらわれている。そして、大拙の「即非の論理」は、西田の「絶対矛盾的自 己同一」に示唆されたものであろう。  そして、「学問は畢竟 life の為なり、life が第一等の事なり、life なき学問は無用なり。」と言い 放つ幾多郎は<内部生命>をよりどころとして生きようとした、また自己を究明しようとした大拙の同朋 であり、東洋西洋と異なる文明圏にいるが、モンテーニュ、ニーチェの<生命の思想>と通底するものがある。    いずれにしろ、「ニーチェ、西田幾多郎、鈴木大拙」についてここで、全展開はできない。準備不足 であることも正直に言っておく。この森の中で「モンテーニュ」を含め、すこしずつすすめていきたい。  ただ、こういった視点では社会的な問題に関しては対応する力は弱いと指摘される可能性は高い。(実 際西田は時代的制約の中で十分その思いを発揮できなかった。)社会的な矛盾の問題に関しては、戦う 姿勢が大切な場合もある。寛容という一見脆弱に見える中庸という態度、テロを含む争いを起こそうと する左右のイデオロギーの暴力に屈しない、プラグマティズムが必要な場合もある。それは決して矛盾 することではなく、現実をみる目を養うよりほかはない。残念ながら、この点に関しての理論はないよ うに思える。錯誤しながら、あやまちながら生きる。その理論の無いことに耐え、暴走しない<生命の 思想>から発する「寛容」の精神が問題となるのである。                    目次へ   桜の季節(2010.3.26.)  桜の季節がまたやってきた。富士山麓へ引っ越してきて二度目の桜の季節だ。この家をたてて十年を こえる今、春の桜の季節を知らないわけではない。ただ、桜を見つめながらの文字通りの毎日は、二度 目の事である。  庭の一番大きい「富士桜」――辞書的にいうと「豆桜」というようであるが、富士周辺に多いという わけで、「富士桜」ともいわれ、小ぶりの可憐な桜である、可憐を通り越しているといえば誉めすぎで あろうか――は、今四分咲きである。満開が待たれる。その時は、まだつぼみだけの側の二番目の桜の 木を含め、我が家をかこむもろもろの桜の木の花も咲きそろい、我が家は桜の中を漂う思いで、その時 期を迎えることになる。桜の花弁の妖精が舞う。その時期ももう少しだ。  後でまた述べることになるが、桜にかこまれた時期、昔から気になっていた一茶の句がある。「此の やうな末世を桜だらけかな」である。もともと桜は、末世の花かもしれない。自然そして宇宙は生まれ、 成長し、成熟し、やがて老い、死へと向かう。それらを凝縮して桜の美はある。この世もその過程をた どるのかもしれない。この世の末世は常にある。桜の美も常にある。滅びに至る時まで。  今日は、雨のち晴れ。晴れたので近所の田貫湖へゆく。春寒の中、久しぶりに富士の全貌が見える。 田貫湖の桜は、つぼみのみ。やや遅い。食事処というか土産物屋にはいる。  レジの後ろに、次の句が、洋紙に書かれ、貼られている。誰が文字をかいたのかきくと、「おれだ」 とレジの親父がいう。「俳句やってるの」ときくと、「いや」とそっけなく答える。選句として悪くは ない。  さまざまの事思ひ出す桜かな 松尾芭蕉  下下に生まれて桜桜哉    小林一茶  蝸牛そろそろ登れ富士の山  小林一茶  一茶では、「此のやうな末世を桜だらけかな」をけっこう気にいっているが、「下下に生まれて桜桜 哉」も読もうとする角度が面白い。  「富士百句」の句作を続けている。静かにすすめている。少しずつためている。推敲を重ね、発表は 慎重にと思っている。自由闊達な句作りを目指すつもりである。と同時に、富士とともに生きてゆける 僥倖を大切にしたい。  すでに発表している富士の句をあらためて掲載しておく。かつて俳句誌「鷹」に掲載された句である。   富士へ鷹駿河日和と申すべし    佐々木敏光   浮世絵のごとく初富士初御空   真つ白きマストの断てり冬の富士   舞ひ上がり富士荘厳の落花かな   風死せり富士山麓にくも殺す   正面に黒き富士立つ噴井かな   はればれと桃の花あり遠き富士   真輝く雪の富士なり反省す  「桜」の句、かつて俳句誌「鷹」に掲載された句で、この項目を終える。   まぶた閉じ落花あびゐる女かな   花の塵風に流して遊びけり   花冷えや都大路を喪服きて   ひとひらの落花に乗せし心かな   新幹線桜吹雪に突入す   舞ひ上がり富士荘厳の落花かな   山の子は挨拶上手桜咲く   葉桜の空日輪を愛すかな   たましひの桜吹雪となりにけり                      目次へ   生死を生死にまかす(2010.3.28.)  書くことは多い。どの順で書いていくか。書くテーマの中のいくつかは、最後の項目「これからのテー マ」に書いている。はたしてそれらが書くに値することかどうかは別にして。  まず「生死を生死にまかす」について。  「般若心経」の中で、ぼくが一番印象的であり、ことに触れてつぶやくようにとなえるのは、「心無 罫礙 無罫礙故 無有恐怖」である。「心にさしさわりがない。さしさわりがないからこそ、恐怖といっ たものもない」。  偉そうにいうつもりはない。偉そうに見せようとすることもこだわりだ。はたして本当にさしさわり がない、こだわりを捨てているかというと、そうでもない。また、そのお手本になるつもりはない。そ んな柄でもない。人間だものとついつい弁解をすることになる。ただ、瞬間的にだけでもこだわりを捨 てると、いろいろなものが見えてくる。  そういう世界を徐々に書いていきたい。ただし、うまく書こうとすると、ろくなことにはならないだ ろう。知識をひけらしたり気のきいたように書こうと思わないことだ。だれかのまねをしたり、引用だ けの文にしないことだ。勿論、先学から学ぶ姿勢は重要だ。  といいながら、「モンテーニュ『エセー』(随想録)*東洋の知恵(智恵)」の「東西の知恵コラボ・ 抄」に次の引用を載せてはいる。  われわれは、他人の学識によって学者になることができるとしても、すくなくとも賢明な 人間には、われわれ自身の知恵をもってしかなることができない。                          (モンテーニュ『エセー』I−25)   文字(もんじ)習学の法師の知り及ぶべきにあらず。   (『正法眼蔵』「弁道話」)     ☆真の仏法は経論の文字だけを習学したような学者先生からは決して学ぶことはで      きない。  わたしは物を書くとき、書物の助けをかりたり、かつて読んだことを思い出したりすることを しないようにする。書物がわたしの考え方に影響するといけないからである。                          (モンテーニュ『エセー』IIIー5)  尽く書を信ずれば書なきに如かず              (『孟子』) 「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」と、南山大師の筆の道にも見えたり。                              (芭蕉『許六離別詞』)  老子では「知足(足るを知る)」、禅語では「無所有」という言葉もすきだ。「無所有」、もちろん 現実社会を生きていくためには、私的所有を無視することはできない。ただ、なるべく「物にこだわら ない」ようにはしたいと思っている。物だけでなく、知識などの無形のものにもだ。ただし「清貧」な どと大げさな言葉はつかわないようにしよう。  同じく禅語でもある「放下著」(ほうげじゃく)も好きな言葉である。よけいな計らいをすててしま えという意である。肩書とかあれこれの有無にこだわることなく、生きてゆく。つまり「よけいな計ら いをすてて」  随所に主(しゅ)と作(な)れば、立処(りっしょ=立つところ)皆真なり  (『臨済録』)     ☆常に「主人公」(自由人)でいる。 ということである。  生死についても「こだわりをすて」ることができればと思う。難しいことだ。  道元の『正法眼蔵』の「行佛威儀」の   大聖は生死を心にまかす、生死を身にまかす、生死を道にまかす、生死を生死にまかす が、あらためて思われる。  大聖にならないと、生死を生死に「まかす」ことはできないかもしれないが、大聖にならなくてもよ い。大聖、つまり偉大なる聖人は修行の目標であって、実在はほとんど不可能だ。生死はいくらじたば たしたところで、どうにかなるものでもない。早晩「生死を生死にまかす」という状況におちいらざる をえないことにはなるだろう。「生死を生死にまかす」という心境の一端には今いたっていないわけで はないと歯切れ悪く言っておくだけにする。そういう境地を意識しつつ、今生きていることをそれなり に充実させたい。大聖でないので、十全の充実はかなわないと思うが。  「無心」、「無為」。とくに「無為」は、ぼくのテーマだ。無為は、「無作為」と考えている。「作 為」よけいな「作為」はしない。よけいな「計らい」をしない。  ついでに「無心」は、有無にとらわれない、一ケ所に心を固定しないことととらえている。大事にし たいことである。  そして先ほど引用した「般若心経」の「心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖」に帰ることになるのである。                    目次へ   他者について(一)(2010.4.9.)  桜の時期だ。家を取り囲む桜。桜はそのさかりを静かに誇っている。外出しても桜、桜、桜の中を移 動することになる。心も桜に彩られはなやかな気分だ。日本にいるのだ。富士もそこにいる。  定年以来、読書の占める時間が多くなっている。読むだけではなく書く作業もすこしずつと思ってい る。体調も考え、なるべく散歩、スロージョギングと身体を動かすようにしている。静岡市への遠出も 行っている。読書自体はわるくない。ただ時間があるからといって、読むだけの生活にのめりこむのは 危険だ。定年後に訪れうる危機の一つになりうる。もちろん個人差はある。一般的にいえば本の世界に 呑みこまれないようにすることも大切だ。知らないまに、ドン・キホーテになってしまう。本を通じて しか世界が見えなくなってしまう。若いころ高橋和巳が、読んでばかりいて書かないと、思考は腐って しまう、とかそれに近いことを書いていたという記憶が頭のどこかに残っている。  最近「他者」という言葉が気になっている。思えば人間は他者の中に生まれ、他者の中に育ち、他者 の中で老いてゆく。僕の専門であった文学の世界も自己とともに他者の世界だった。自己は他者の中で、 他者とともに展開する。他者に悩まされ、拘束され、他者とともに喜び、歓喜し、他者の中で病んでゆ く。哲学も当然他者を問題にする。自己と通じての他者。他者の問題にかえると、他者について考える ことは、実は自己について考えることでもある。というよりは自己について考えることは、同時に他者 について考えることでもある。  自己とは何か。哲学者を悩ませ、今では心理学者、脳科学の学者をもなやませている問題だ。そもそ も自己とはといっても簡単なレジュメさえ不可能だ。ギリシア以来の哲学は煎じつめればその探求の歴 史であった。自己を見つめることは、他者をみつめることだ、と言っても解答の端緒についただけにし かならない。  「地獄とは他者のことだ」。サルトルの『出口なし』にある有名なことばである。他者の前に投げ出 された対他存在としての人間存在を表している。若い僕にとっては衝撃的なことばであった。年をとる につれ思う。他者は地獄だけではない。機会は少ないかもしれないが、天国でもある。天国とはいいす ぎにしても、穏やかな日常生活を地獄的なものにしない、不幸なものにしないよう心がけることは大事 だ。不時の災難的なものを除き、地獄にするのも天国にするのもその個人自身なのだ。ただ個人のここ ろがけに関わらず、地獄的なものになっていく場合も大いにありうる。そういうことは避けたいものだ が、いつしかそうなってしまうことからも逃れられない場合があるのが人間でもある。  仏教は、特に大乗仏教においては、他者を救済せずに自分だけで彼岸(悟りの世界)へは渡るまいと する菩薩行を中心に据えたのである。他者の救済が自己の救済になるのである。美しいことである。そ ういう思いでがんばっている人も多い。ただ、現状が理念通りになっているかというと、人間の哀しと ころだというしかない。たとえば、禅においても、坐禅修行を通して真実の自己とは何かを究明し、同 時に現実世界において平常心に生きる道を目指すのであるが、そこに開かれる「悟り」、自然や他者と の不二の境地にいたったと称する老師なども自分のさとりを誇り、他を誹謗するまでに至ったりするこ とがあるのである。  他者に関する考察は古来多々あるが、最近ではレヴィナスをあげることになる。レヴィナスの本は一 部を斜め読みしただけで偉そうなことはいえない。現代哲学の解説書などを参考にすると、どうもユダ ヤ人としてナチ経験を経た彼は「他者」は無限なものであり、私に語りかけ、真の自由へと呼び覚ます ものとする。そうした他者をレヴィナスは「顔」と呼ぶ。「他者」への奉献、自我の存在そのもののう ちに、「他者の身代わり」を見出そうとする。と、いうことになるようであるが、肝心のユダヤ人の国 家イスラエルのメンバーの一部が、パレスチナ人抑圧に向っている以上、レヴィナスの思想とは関係な いとはいえ、現実は厳しいものである。  要するに、とまとめてみると、国際理解の教員であった時代の「異文化理解」のぼくの持論と変わら ない。つまり「文化の多様性の尊重、文化相対主義、しかしその多様性の中に人間として共通するもの、 共通項としての普遍性があるのではないか。それを探究していく。」ということ。  お互い他者としての違い、独自性を素直に認めると同時に、独自性のゆえに障害になっているものを 見つめ理解の共通項を広げていこうという、共同性の追求というなんとも頼りないまとめしかできない。 この頼りなさからしか出発はできない。いくら幼稚にみえても人間が具体的に出発できるものでないと、 どんなに立派に見える理論でも人間が行う以上、単なる理論倒れになるのである。  他者は地獄にも天国にもなっていくが、ぼくたちは人間として生きていかねばならない。また、「天 地同根」「万物一体」、人間は自然の中の万物(彼らも他者ではあるが)と同等という東洋的な世界観 も大事にしていきたい。  モンテーニュの言を引いて終わろう。「森の中のモンテーニュ」というタイトルを忘れないためにも。  私は自分の尺度で他人を判断するという万人に共通の誤りを全然もち合わせない。私は、 他人の中にある自分と違うものを容易に信用する。自分もある一つの生き方に縛られている と思うけれども、皆のように、それを他人に押しつけることはしない。そして、たくさんの 相反する生き方があることを信じ、理解している。また、一般の人々とは反対に、お互いの 間にある類似より差異の方を容易に受け入れる。私はできるだけ、他人を私の生き方や主義 を共にすることから解放し、単に彼自身として、他とは関係なしに、彼自身の規範従って考 察する。                     (モンテーニュ『エセー』I−37)  わたしは決してわたしの思想に反する思想を憎みはしない。わたしの判断と他人のそれとの間 に大きな食いちがいがあるのを見ても、どうしてどうして、わたしはいきり立つどころではない。 人々が自分とは異なる分別を持ち、異なる意見を持つからといって、それらの人々の交際に背を 向けるどころではない。むしろ変化こそ自然が採用した最も一般的な流儀なのであるから、それ は物体においてよりも精神においてますます多くあるものであるであるから、(なぜなら精神の 方がより柔軟な・より多くの形を与えられ易い・実体であるから、)わたしは我々の考えや企て に一致を見たら、かえって珍しいことと思うのである。実に、世に二つと同じ意見はなかった。 二筋の髪・二粒の米粒、が同じでないように、人々の意見に最も普遍的な性質といえば、それは それらが多様であることである。          (モンテーニュ『エセー』IIー37)  わたしはあまり自分の意見を重んじないが、その代わり他人の意見をもあまり重んじないので ある。わたしは人の意見をあまり重んじないのである。わたしは自分の意見を人に押しつけるこ とはなおさら少ない。                (モンテーニュ『エセー』IIIー2)  ついでに宗教戦争に関わることについて、   実に奇怪な戦争だ。他の戦争は外に向ってなされるが、この戦争は自分自身に向ってなさ れ、自分をむしばみ、自分の毒で自分を破壊している。(モンテーニュ『エセー』III−12)  われわれはいままでに他人のために十分に生きてきた。今度はせめて、わずかばかりの余命を 自分のために生きようではないか。[・・・]われわれを自分以外のところに縛りつけ、自分自 身から遠ざけるあの横暴な拘束から身軽になろう。あの強い束縛をほどかねばならない。 [・・・]何よりも大事なことは、いかにして自分を失わずにいるかを知ることである。                          (モンテーニュ『エセー』Iー39)                    目次へ   他者について(二)(2010.4.14.)  他者の問題は人間の、個人同士の問題であるとともに、たとえばある哲学の主張と他の哲学の主張と の、ある文化と他の文化との関わりの問題でもある。  他者の多様性、その意見を尊重するとともに、共通性、共有できるものを追求する。言うは易く、行 うは難し、という以外にはない。しかし、当面これしかないとしか言いようがない。ともすると単なる 相対主義に陥って、お題目で終わるのも避けられない。  たとえば、竹田、西の「現象学」に関する本に必ずでてくる「確信成立の構図」、現代思想の主張が まちまちであること、世界像の分裂、危機、その克服のための「共有」の確保のために、「他者も賛同 するはずだ」ということを探そうとする。そのために、有効な哲学として「現象学」があるという。「現 象学」の「確信成立の構図」がある。ただ、こちらは哲学に弱いので、本当に「現象学」が万能薬かど うかはわからない。「共有」の確保という方向性は理解できるが。  また、インド研究者の中島さんは、インド国内の宗教対立(ヒンドゥとイスラムという他者)の問題 の中で、「多一論」を提唱する。西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」、そして鈴木大拙の「即非の論理」 やイスラムの「存在一性論」(井筒俊彦も評価)からの発想である。ただし、相当の覚悟と忍耐を必要 とする提案だ。  「ここで重要なのは、宗教間の対立を前提としない宗教のあり方を模索することであり、その宗教論 を基礎として現在の世界各地で見られる宗教復興現象を論じる枠組みを提起することである。さらに、 そのような観点から、様々な綻びをみせる近代リベラリズムに修正を加え、多くの人が協調しながら『よ り善く生きる』ことを可能とする社会のあり方を模索することが重要である。〔……〕  そこで重要なのが、『多一論』という考え方である。  多一論とは、地球世界という相対レベルにおける多様な個物は、絶対レベルにおいてはすべて同一同 根のものであり、地球世界における『多なるもの』は、その『一なるもの』の形をかえた具体的現われ であるという概念である。つまり、真理は絶対的で唯一のものであるが、地球世界におけるその現われ 方は、各宗教によってそれぞれ異なるという考え方である。〔……〕  〔……〕このような絶対レベルにおける唯一性と、相対レベルにおける多様性を認め、世界に存在す る宗教的差異を『一なる真理に至るためのアプローチの違い』と認識するのが多一論である」(中島岳 志『インドの時代』)  この発言は単なる相対主義を脱しようとする心に裏打ちされている。ただ「多一論は単なる相対主義 ではない。絶対レベルにおける唯一性を確保しているからである。」というとき、実践の裏付けがある と思うが「絶対レベルにおける唯一性を確保」が絵に描いた餅にならないことを望むのみだ。  問題を広げて、他者問題を主観客観の問題へと位相をずらしてみる。今、他者問題と重なるように、 主観客観に関する西田の発言、「主客の対立」についての発言がが気になっている。(禅を通じての「主 客合一」のテーマもあるが、別な所で論じたい。)  「今までのものの考え方は、主観客観のどちらからか出発しているのだが、主観客観を包む論理がな くてはならぬことになる。そう考えると、近世のように主観客観が対立しているような立場よりも、元 へ戻った方がよくないか。ギリシアには主客の対立が発達しなかったその意味で幼稚とも云えるが、両 方を含んだ岐れる前のものがあったので現代の哲学はギリシア哲学にまで帰ってみなけりゃならんと思 うね。(西田幾多郎+三木清『師弟問答 西田哲学』)  「主客の対立」「両方を含んだ岐れる前のもの」、ギリシア・ローマ哲学に親近感を持つモンテーニュ について考えるときにも、重要な視点だ。なによりも自分の考えを展開させていくうえでも、予感的で はあるが、重要なキーワードと思ってきた。「幼稚とも云えるが、両方を含んだ岐れる前のものがあっ たので現代の哲学はギリシア哲学にまで帰ってみなけりゃならんと思うね。」には、そうだ、そうだと ついつい言ってしまう。  「両方を含んだ岐れる前のもの」。幼稚に見えていい。骨太の思想。ぼくがもとめているのは、そう いう思想である。そのことが、長い間にだんだん鮮明になってきた。  西田とは時代も違う。同じ位相で理解はできない。ただ、読書に関して、西田が次のようにいうとき (「読書」『西田幾多郎随筆集』)、骨太の思想を自らつくりあげる指針の一つになるように思われる。  「いたずらに字句によって解釈し、その根底に動いている生きものを掴まないというのは、膚浅(ふ せん)な読書法といわなければならない。」  「私は一時代を画したような偉大な思想家、大きな思想の流れの淵源となったような人の書いたもの を読むべきだと思う。かかる思想家の思想が掴まるれば、その流派というようなものは、あたかも蔓を たぐるように理解せられて行くのである。無論困難な思想家には多少の手引というものを要するが、単 に概論的なものや末書的なものばかり多く読むのはよくないと思う。」  「如何に偉大な思想家でも、一派の考が定まるということは、色々の可能の中の一つに定まることで ある。それが行詰った時、それを越えることは、この方に進むことによってではなく、元に還って考え て見ることによらなければならない。」    「主客の対立」「両方を含んだ岐れる前のもの」、また骨太の思想を掴むためのヒントといいながら、 「元に還って考えて見ることによらなければならない」という文章を引きたいがためこの引用となり、 いつのまにか「他者について」のテーマとは離れてしまった。しかし「つれづれなるままに」書いてい ることで、ご勘弁願うことにする。また西田の引用に「偉大な思想家」の読書が出てきたが、哲学の徒 ではないので、今更、カント、ヘーゲルはご免こうむることにする。そのうちもののはずみで読みはじ めないとも言えないが。                    目次へ   鳥の巣箱、権力の意志(2010.4.30.)  森の中、朝ウグイスの声で目覚める。さまざまな鳥の歌がきこえてくる。森の中の鳥たちと共の毎日 である。  庭に鳥の巣箱をしかけている。以前は、家の西側のエゴの木にしかけていた。毎年雛がかえっていた。 その後、エゴの枝が桜におおいかぶさり、桜の保護のためやむをえず切ってしまわなければならなくなっ た。よく猫が桜の木に登ったりしているを見かけたし、色んな理由から鳥の巣を安全に仕掛けるのは難 しいことがわかった。東側の他の桜も巣箱がかけにくい。鳥の巣を仕掛ける木がない。色々迷った末、 南西にある物置の壁に仕掛けることにした。居間からも見えやすい位置にした。猫に襲われないように する必要もあったのだ。  仕掛けてしばらくして、ヤマガラがはいっていったのを確認した。ときどき、シジュウカラが巣箱の 穴をのぞいていることもあった。朝早く起きてのぞくと、ヤマガラがではいりしている。巣材を運んで いる。定着したのかなと思った。  この一、二週間、動きがない。出入りがない。一、二週間前、ヤマガラが巣箱の穴から外をのぞいて いた。出ていったのか。そのうちシジュウカラが外から穴の中をのぞいている。しばらくして、ヤマガ ラが帰ってきて、シジュウカラをおいはらった。  そこまでがぼくの見たことである。見て、二階にあがった。あとは、妻の話。  巣をまもるため、ヤマガラはシジュウカラを追っかけ、最後はおおいかぶさるように襲いかかった。 お互いにつつき合い、地面におちた。ヤマガラは組み伏せるようにしてくちばしで、突きつづけ、妻に よると「死んでしまう」のではないかというほど激しいものであったようだ。  ヤマガラは活動的、シジュウカラは静かな控え目な性格であるが、そのシジュウガラが他人の巣をう かがっていたのだろうか。もしかしてこの巣をつかえるかどうかを見ていたのだろうか。  ここ一、二週間は穴から外をのぞくヤマガラもいない。動きがない。一度は、穴の中からヤマガラが 飛び立ったが、戻ってくる様子もない。ちょっと入ってみただけかもしれない。ヤマガラはどうした理 由から、放棄したのだろうか。たしかに、この場所は鳥たちの通り道ともなっていて、交通が激しいと ころだ。それにしても立派な巣箱がありながらどの鳥も利用しないとは。  ここで趣向を変えて、哲学用語を使って、鳥たちのことを書いてみたい。言葉を使い抽象的な観念を あやつることができるのは人間だけであるが、森の中、木々の枝の上で鳥たちの架空の話を聞いてみる のも面白いかもしれない。しかし発想しただけで、展開の準備が出来ていない。今回はその一端だけを 書いてみる。  ニーチェの「権力の意志」、ベルグソンの「生命の躍動」、最近のアメリカでの「正義論」などが、 キーワードとなる。  最近の、鳥たちが「正義」を言い出したら、どうなるのか。いつ襲われるかわからない不安の毎日。 自分たちのたちの生存権が脅かされている。しかし、森に生存権という正義はあるのだろうか。個々の 生きものたちは、生命力をもっている。生きようとする力を持っている。そのために、他を襲うことは ある。あのかわいい小鳥たちも虫を襲う。虫に生存権はあるのだろうか。勿論、彼らも生命力をかけて 生きている。  ニーチェの「権力の意志」は、不幸にもナチに影響を与えた思想と考えられてきた。しかし、よく読 んでみると、『力への意志』と訳した方がよく、現在はその訳語で紹介される場合が多い。生物におけ る生命力、根源的生命力への称揚である。森という荒々しい自然の中で、鳥たちも「力への意志」を発 揮させて生きてゆくのである。  ぼくがかけた巣箱は、その力があまりに交差しぶつかりあう場所だったのかもしれない。その場所を 求めてお互いあらそい、無益な争いの果て、お互いにその場所を放棄したのかもしれない。これで終わ りだとあんまり難しく考える必要はないかもしれない。いずれにしろ目下あっけらかんと我が家の巣箱 は放置されている。  ウグイスが鳴く。ホトトギスが飛びながらなく。西の林の中でコジュケイが鳴き、ときどき姿を見せ る。南のやや大きい木には、コゲラが訪れる。すでに鳴き始めたキビタキと共にやがてクロツグミがそ の美声を森いっぱい展開するだろう。夜には、トラツグミが不思議な声でなくだろう。  とんでもない鳥の鳴き声もまじっている。攻撃的外来種のガビチョウである。籠ぬけ鳥でもあるガビ チョウはカッコウのように托卵もするらしい。その姿を見ないとクロツグミやキビタキの鳴き声とまち がえてしまう。魚におけるブラックバス的存在で、森の中の国際交流だと言って笑っているわけにもい かない。  森の土の中にも小さな宇宙、虫たちの豊かな世界がある。その一部をかすめ、鳥たちも生き続ける。 ベルグソンとは文脈は違うが、「生命の躍動」は、この小さな世界にも生き生きとある。 (追加:「あんまり難しく考える必要はないかもしれない」と書いたが、最近、ヤマガラが巣箱に出入 りしている。新しい生命の誕生を期待する。朝、目をさますとホトトギスの声、初夏である。 (2010.5.19))                    目次へ   陶淵明「子を責む」(2010.6.2.)  「森の中のモンテーニュ」については5月は書かなかった。「ゆるやかな懐疑主義」という曖昧な、 それでいてモンテーニュにも関わる大きなテーマを考えていたのだが、もともとそう簡単ゆくものでは ないとは思っていた。時間をかけるつもりだ。怠けているようでも、とにかくこのテーマは時間をかけ るより他はない。  そこで、今回は田園詩人陶淵明の「子責」を扱う。「子を責む」という詩である。  陶淵明が「帰りなん、いざ、田園いま荒れなんとする。」と田園に帰ってからのその後についてであ る。悠々自適の詩も多いが、こともあろうに自分の子のいたらなさを嘆く詩が、「子を責む」である。 悠々自適の隠者たる人が、子を責めても人間である以上、責められない。人間、あらゆる事態にも悠然 と構えておれないものである。酒を愛する隠者としては意外かもしれないが、そう驚くことでもない。 彼も人の子。人間である以上、子を持った以上親馬鹿はさけられない。  もちろん、照れというか、酒席での座興の面もあるようだが、ある種の真実を表していることには間 違いない。「帰りなん、いざ、田園いま荒れなんとする。」といったことのみ知られている詩人のその 後のことは少しはふれてもいいだろう。  書き下し文。そして現代語訳。   「子を責む」          陶淵明    白髪は両鬢を被い、    肌膚また実(ゆた)かならず。     五男児有りと雖(いえど)も、    総べて紙筆好まず。    阿舒(あじょ)はすでに二八なるも、    懶惰(らんだ)なるも故に匹(たぐい)無し。    阿宣は行々志学なるも、    しかも文術を愛さず。    雍と端は年十三なるも、    六と七とを識らず。    通子は九齢に垂(たら)んとするに、    但だ梨と栗とを求むるのみ。    天運いやしくも此くの如くんば、    且(しばら)く杯中の物を進めん。    (現代語訳)    白髪は左右の鬢を覆い、    皮膚ももうシワだらけになってしまった。    男の子は五人もいるのに、    そろいもそろって勉強嫌いときている。    長男の阿舒は十六歳にもなるが、    無類の怠け者だ。    次男の阿宣はやがて十五歳を迎えようというのに、    文章学問の道が好きではない。    その下の、雍と端は、二人とも年が十三だが、    まだ六と七の区別もつかない。    末っ子の通ももうすぐ九歳になるというのに、    梨だの栗だのをねだるばかりだ。    だがこれもまあ運命ならば、    あきらめて、酒でも飲むことにしよう。     −岩波文庫:陶淵明全集−  彼も人の子であったと言ってここで終るのはあっけなさすぎる。最後の行の「あきらめて、酒でも飲 むことにしよう。」の「酒でも飲むことにしよう。」の部分は、さすが酒の詩人陶淵明である。もう少 し述べてみよう。  隠者の生活の代表的な歌としては、同じ陶淵明の「飲酒」と李白の「山中にて幽人と対酌す」が思わ れる。ともに酒がテーマである。  「飲酒二十首 其五」  陶淵明    廬を結びて人境に在り    而かも車馬の喧かまびすしきなし    君に問う 何ぞ能く爾しかるやと    心遠ければ地も自ずから偏なり    菊を采る 東籬の下もと    悠然として南山を見る    山気 日夕に佳よく    飛鳥 相与ともに還る    此の中に真意あり    弁ぜんと欲して已に言を忘る    (現代語訳)    いおりを構えているのは、人里の中。    しかもうるさい役人どもの車馬の音はきこえて来ない。    よくそんなことがありうるものだね、と人がいう。    こせこせした気持ちでいないから、土地も自然とへんぴになるのさ。    東の垣根に酒に浮かべる菊を折り取っていると、ふと目に入ったのは南の山、    廬山の悠揚せまらぬ姿、それをわたしはゆったりと眺めている。    山のたたずまいは夕暮の空気の中にこの上なく素晴らしく、    鳥たちがうちつれてあの山の塒(ねぐら)へと帰ってゆく。    ここにこそ、何ものにもまとわれない人間の真実、それをねがうものの姿が、私にはよみとれる。    が、それを言いあらわそうとしたその時には、もう言葉を忘れてしまっていた。                    (一海知義「中国詩人選集・陶淵明」)   「山中にて幽人と対酌す」 李白    山中にて幽人と対酌す    両人対酌すれば山花開く    一杯一杯また一杯    我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ    明朝意あらば琴を抱いて来たれ    (現代語訳)    山中で向かい合って酒を呑んでいると、山の花が開く。    一杯一杯また一杯    私は酔って眠たくなってきた。君、しばらく帰ってくれ。    明日の朝気が向いたら琴を抱いて来ておくれ。  これらの詩は子について思い煩う世界ではない。李白は子どもに関してはどうだったのだろうか。家 族の逸話は少ない。李白禽という息子がいて溺愛したという。ただ、李白は李白禽を除いて、家族より も酒を溺愛する傾向があった。破天荒な詩人であり続けた。  陶淵明は、時間的には「子を責む」の前、役人時代、29歳にして長男の儼が生まれたとき、「命子」 (子に命(な)づく)と題した詩を作り、始めて子を得た喜びと、子の将来への期待を歌った子どもが 生れた喜びを歌っている。  ただ誕生の喜びを歌うというより、改めて祖先に思いをいたして、自分のいたらなさを含めて詠んだ 詩である。  前段、中段で、歴史の彼方の遠い祖先の栄光が歌われ、さらに曽祖父陶侃、祖父陶茂そして父への尊 敬の念が歌われる。  まず、冒頭部分だけ見てみよう。   悠悠たる我が祖   爰に陶唐よりす   漠として虞の賓となり   暦世 光を垂る     はるか昔のわが先祖は、   帝堯陶唐氏からはじまる。   その御子は帝舜有虞氏の客分となられ、   代々栄光を重ねてこられた。     後段は、先祖に比較して己のふがいなさを反省し恥じることから始まり、生まれた子に将来を託して 結ぶ。   嗟あ 餘 寡陋にして   瞻望するも及ばず   顧りみて華鬢に慚じ   景を負ひて只立す   三千之罪   後なきを急と為す   我 誠に念ふ哉   呱として爾が泣くを聞く   ああ、わたしはつたない人間で、   先祖のようなりっぱな人間になりたいと思ってもとうてい及ばない。   白髪のわが身を顧みて恥じ、   影法師を負って独り立ち尽くす。   人の罪は三千もあるというが、   跡継ぎのないのが最大の罪。   わたしは本当に子がほしいと心に強く思っていた。   それが今、おまえの泣く声を聞くことができた。   最後の詩節は、すでにその後の陶淵明の詩に内包する優しさにみちている。「子を責める」において も、    だがこれもまあ運命ならば、    あきらめて、酒でも飲むことにしよう。  とあるが、子ども切り捨てないという点で次の詩句と照応しあっている。自分を切り捨てられないよ うに。   日よ 月よ   漸く孩より免かれん   福は虚しくは至らず   禍も亦た來り易し   夙に興き 夜寐ねよ   爾が斯の才を願ふ   爾の不才なる   亦た已んぬるかな   月日は過ぎ行き、   おまえもだんだん成長してゆくであろう。   幸せはわけもなくやってくるものではないが、   不幸はとかく訪れやすいものである。   朝早くから夜遅くまで励め。   おまえが励んで才ある人間になるのをわたしは願う。   それでもなお、おまえに才がないのならば、   それもまた仕方あるまい。                (石川忠久訳)  陶淵明は、「子を責む」の数年後、重病から回復した時に、五人の息子たちに次のような真摯な戒め の文章も残している。自分の行き越しを思い子どもたちに教訓的ななにかをのこしたかったのだろう。    「與子儼等疏」(子の儼等に與うる疏(そ、箇条書きの手紙))   告子儼、俟、分、佚、冬:   天地賦命,生必有死,自古聖賢,誰能獨免、   子夏有言:「死生有命,富貴在天」。四友之人,親受音旨。   發斯談者,將非窮達不可妄求,禎夭永無外請故耶。   吾年過五十,少而窮苦,毎以家弊,東西遊走,性剛才拙,與物多忤。   自量為己,必貽俗患,便俛辭世,使汝等幼而飢寒,余嘗感孺仲子賢妻又言,   敗絮自擁,何慚兒子。此既一事矣。   但恨鄰無二仲,室来婦,抱此苦心,良獨内愧。   少學琴書,偶愛韋ホ,開卷有得,便欣然忘食。   見樹木交蔭,時鳥變聲,亦復歡然有喜。   常言五六月中,北窗下臥,遇涼風暫至,自謂是羲皇上人,   意淺識罕,謂斯言可保,日月遂往,機巧好疏,緬求在昔,眇然如何。   病患以來,漸就衰損,親舊不遺,毎以藥石見救,自恐大分將有限也。   汝輩稚小,家貧無役,柴水之勞,何時可免。   念之在心,若何可言。然汝等雖不同生,當思四海皆兄弟之義。   鮑叔、管仲,分財無猜;歸生、伍舉,班荊道舊;遂能以敗為成,因喪立功。   他人尚爾,況同父之人哉。穎川韓元長,漢末名士,身處卿佐,八十而終,   兄弟同居,至於沒齒。濟北稚春,晉時操行人也,七世同財,家人無怨色。   《詩》曰:「高山仰止,景行行止」。   雖不能爾,至心尚之。汝其慎哉!吾復何言。  長すぎるので、核心の部分のみ拾いよみしてみよう。   天地賦命,生必有死,   自古聖賢,誰能獨免、   天地から生命を授けられたものには、必ず生ある限り死がある。   昔からどんな聖人賢人も、これを免れ得たものがあるだろうか。  思えば、自分のかたくなさ(剛)と世渡りのつたなさ(拙)のゆえに、   性剛才拙,與物多忤   性格は協調性がなく、才能に乏しく、他人にさからうことが多かった。  子どもたちには、苦労ばかりかけさせた。   汝輩稚小,家貧無役,柴水之勞,何時可免。   お前たちは、幼い時から家が貧乏なために、いつもたきぎ取りや水汲みに使われてきた。いつになっ たらその苦労からのがれられるのか、心から離れないが、言うべき言葉もない。  切々と響いてくる言葉だ。  陶淵明の子煩悩な父親像は、すでに「和郭主簿」(郭主簿に和す)の詩句にもあらわれている。   述を舂きて美酒を作り   酒熟すれば 吾自ら斟む   弱子 我が側に戲れ   學を語ぶも未だ音を成さず   此の事 真に復た樂しく   聊かもって 華簪を忘る     もちあわを臼でついておいしい酒を造り、   酒が熟すれば自ら飲む。   幼子は、わたしのかたわらで遊び   言葉を習い始めて、まだ発音もままならない。   このような事こそほんとに楽しいことだ   とにかく、世間の栄華など忘れる。  ともすると隠者としか思われない陶淵明の子に対する思いの深さを述べ続けようとするのは、意外で はあるとはいえ世間並みの父たる情の同一線上にあり、これ以上云々することは単調きわまりないこと になりかねない。  去年の春、森の中に定住をはじめるにあたって、読書の中心にモンテーニュを据え、それとともに東 西の古典作品をと思い、陶淵明もその一つとして、新書版など数冊を追加してそろえた。現在陶淵明を 読み込んでいるとは言い切れないが、子にかかわる部分を今回かいてみた。さて、自分の子に対する思 いを書くと別なものになろうが、余計なことは書かないでおくことにする。  陶淵明についてはすでに(2009.12.31.)に、「陶淵明にならって(詩)」を書いている。その内 また別なテーマで書くことがあるかもしれない。  ところで、  「梁塵秘抄 巻第二」に陶淵明とは趣向の違った子を思う歌がある。これも違った意味で人生を考え させる。親子の情を歌う歌は限りない。  わが子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ  国々の博党に さすがに子なれば憎かなし  負(ま)かいた まふな 王子の住吉西の宮     私の息子はもう二十歳になったことでしょう。うわさでは博打をして流れ歩いているようです。   国々の博打ち仲間と一緒に。 それでもわが子ですから憎いわけじゃありません。   どうか負けさせないでください。王子の宮、住吉、西の宮の神様よ。                    目次へ   草いろいろおのおの花の手柄かな (2010.6.4.) 忘れていたというか、最近あまり意識しなくなっていた句   草いろいろおのおの花の手柄かな  芭蕉の句である。「笈日記」に留別の句としてでてくる。  芭蕉というと、   夏草や兵どもが夢の跡 の句を真っ先に思いだす。そのすごさはことあるごとに痛烈に意識する。  それにくらべると、「草いろいろ」はなんとなく説教じみていないわけではない。   よく見れば薺花さく垣根かな  にもそんな雰囲気があり、悪い句ではないが、禅の悟りと関係づけてかたられることがある。  先日、NHKでひろさちやさんの華厳経に関する講義があり、華厳経の特徴として二つをあげ、それに は、「一即多 多即一」と「雑華厳浄」があり、そもそも華厳とは「雑華厳浄(ざっけごんじょう)」 の略である。 さまざまの花で厳かに飾るということである。花の多様性を認め、あらゆるものに仏が宿 ると考えるところが華厳経の宇宙観であるようで、その例として、「草いろいろおのおの花の手柄かな」 をあげていた。日本人には、昔から八百万の神ということにもあるように自然の中にも神々を見ていこ うとする。そういわれれば、「草いろいろおのおの花の手柄かな」も悪くないなと思う。個々人が世界 をつくっていく、その個々人の大切さ。スマップの『世界に一つだけの花』の歌詞を思い起こさせる。     それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?     一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?     そうさ僕らは 世界に一つだけの花     一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに     一生懸命になればいい♪  悪くないと思いながらも、「夏草や兵どもが夢の跡」などの大きさの句がなければ芭蕉ではないなと も思ってしまう。  「一即多 多即一」は、禅に、そして個人名でいうと鈴木大拙、西田幾多郎に興味を持つぼくとして は、さらに追及していくテーマであるが、そのことはまた別機会に語るとしよう。                    目次へ   「サヨナラ」ダケガ人生ダ(2010.6.5.)  昔から気になっていた詩のなかに、井伏鱒二が訳した漢詩、「勧酒」がある。   ハナニアラシノタトエモアルゾ   「サヨナラ」ダケガ人生ダ と名訳としか言いようがない詩句を含んでいる。全四行の詩だ。   コノサカヅキヲ受ケテクレ   ドウゾナミナミツガシテオクレ   ハナニアラシノタトエモアルゾ   「サヨナラ」ダケガ人生ダ                    (『厄除け詩集』)  原詩の書き下し文は次の通りである。   「酒を勧む」  于武陵(晩唐の詩人)   君に勧む金屈巵(きんくつし;黄金の盃) 満酌、辞するを須(もち)ひず 花発(ひら)いて風雨多し 人生、別離足る  太宰的な雰囲気を持つ「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」は、若い時代のぼくに訴えかける響きを持って いた。今では原詩の「人生別離足る」の方が、「人生、別離が多いものだ」と、落ち着いてより深く響 くかもしれない。  太宰的といったが、最初どこでこの訳を知ったか定かではない。  まさか、太宰の『もの思う葦』の「「グッド・バイ」作者の言葉」ではないと思う。いわく、   唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人  生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷  心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。   題して「グッド・バイ」現代の紳士淑女の、別離百態と言っては大袈裟(おおげさ)だけれども、  さまざまの別離の様相を写し得たら、さいわい。    井伏訳の「ハナニアラシノタトエモアルゾ」には終末感というか、何か死を予感させる響きもあり、 「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」の中に、この世との別れを暗示させる何かがある。  原詩の「花発(ひら)いて風雨多し」「人生、別離足る」 には、井伏訳のおどけた受け狙いの要素 が、落ち着いたものになっている。  よく読めばわかることで、ぼくの発見ではないが、原詩の    「君に勧む金屈巵(きんくつし;黄金の盃)    満酌、辞するを須(もち)ひず」 井伏訳でいえば、   「コノサカヅキヲ受ケテクレ    ドウゾナミナミツガシテオクレ」 の部分の重要さを考える必要がある。  別離を主題にしているというより、それは通奏低音で、この今の出会いを大切にしようというのが主 題である。今を大切にしよう、なぜならば別離があるから、というかたちで別離が語られる。そうであ るならば、会った時に、酒でも酌み交わし、この時を大切にしよう。この今を大切にというのが基調で、 その背後にバックミュージックのようにながれるのが、「人生、別離足る(多し)」である。  離別は必ず来る。しかしそのことを嘆いていてもはじまらない。この出会いを大切にしよう。  言葉でいえばあまり違いがないように見えるが、実は大きな違いがある。  仏教には「愛別離苦」という言葉があるが、そのことにとらわれて、今をいたずらに失ってしまうこ とは損失だと思う。単に享楽的に生きろと言っているわけではない。会ったこの時を、この今を大切に しろと言っているのである。ものにとらわれることはないが、この詩では「金屈巵(きんくつし;黄金 の盃)」がその大切さを象徴している。黄金の盃に黄金の時をなみなみとつぐことになるといってもよ い。  最後に、禅の決まり文句でまとめてみる。「今・ここ」を大切に生きることだ。どうせ「サヨナラ」 からは逃れられないぼくたちなのだから。                    目次へ   大学の闇(2010.6.6.)    大学の闇の深さよ青葉木菟  かつてぼくがつくった句である。夜遅く研究室をでて、大学構内を歩いている時青葉木菟(ずく)が 聞こえてきた。大学も構造改革の波の中でみんなにもよくわからない改革をせまられ、教師たちも知ら ないところで流されて続けていた。「日本の闇」でもよかった。ただし「日本の闇」とするとあまりに 大袈裟で抽象的になってしまうので、「大学の闇」でとどめておいた。    先日、図書館に用があって、定年後はじめて大学へ行った。これからのテーマにしようと思っている ものの一つである「やわらかい懐疑主義」に関わる本(ポプキン『懐疑』)を求めて、ネットで調べた が、県立図書館にも、市立図書館にもない。また比較的よく利用するインターネットの「日本の古本屋」 にもない。静岡大学図書館にもない。が、他の大学図書館にあることがわかった。取り寄せてもらうこ とにした。  名誉教授には図書館利用票が発行されてその利用番号を使えばネットで自宅から予約できるが、図書 館利用票の発行の手続きには直接出かける必要がある。名誉教授の唯一の特典といえるものは、研究を 続けるため図書館の利用にある程度便宜をはかってくれることである。その点では、ありがたいことで ある。研究費で買ったフランス文学の貴重な原書なども書庫に眠っている。また、いつの日か勲章を授 与されることになるかも知れないことを特典と考えている人もいるかも知れないが、受けようと思って いる人はぼくのまわりにはいないはずだ。ぼくもそんなことは考えていない。辞退するのみだ。家族に もそう伝えている。    ひさしぶり訪れた大学は無機質な雰囲気が倍増している。「明るい闇」の気配があるように思える。 図書館も入口はともかく、閲覧室へは図書館利用票のバーコードをかざさないと関所ともいえるバーは あかない。最初は今までと同じように、手であけようとしたら、警戒ブザーが全館にひびきわたった。 すでに図書館利用票は用意されていたので、それを受け取り、帰るときはそれを使いそれなりに出るこ とができた。二、三日後たまたま、静岡市内の書店でかつての同僚にあって、指紋識別機能のついた身 分証明書をつくらされたとか、けっこう戸惑っている旨の話をきいた。  その後、取り寄せてもっらた本を取りに行った。その本をもどしに行った。これだけの経験で印象を 語るのは安易すぎるが、この話の落ちをつけるさせてもらうことにしよう。   さて、久しぶりで訪れた大学では「大学の闇の深さよ」の「闇」が感じられなかった。「無機質な非 人称的な闇」。みんながそうだと切り捨てるわけではないが、たまたその間に構内で出会った一人の若 い教師らしい人に代表させてもらおう。明るい顔を静かに運んでいた。立派な家庭で育った「明るいお 坊ちゃん」に思えた。「明るい闇」。当然ながら彼の「心の闇」は見えない。彼につながる「彼ら」の 「心の闇」は見えない。                     目次へ   やわらかい懐疑主義..など(2010.7.16.)  しばらく書いていない。あれこれ思っているうちに時はどんどん流れていく。そのうちに「やわらか い懐疑主義」について書いてみるかと思っていたのだが、時間だけが過ぎてゆく。テーマが大きすぎす ぐ書いてしまえるしろものでないことは、よくわかっている。やがて書くつもりのモンテーニュ論に深 く関わる部分でもある。  いずれにしろ、懐疑主義にかかわる本をインターネットの古書サイト等を使いぼちぼちそろえてきた。 セクストス・エンペリコス『ピュロン主義哲学の概要』、ポプキン『懐疑』、ヴェルダン『懐疑主義の 哲学』などが、懐疑主義をおさえる中心の本となる。もちろん『エセー』の中で最長、最大の章「レー モン・スボンの弁護」は何度でも読み直さなければならないのは言うまでもない。時間をかける、それ だけだ。  頭の中が雑然としている。書いているうちに、部分的にでも頭の整理ができるかもしれない。最近思っ ていることの一部を書いてみることをする。  唐突だが、カントの『純粋理性批判』の「懐疑主義は人間の理性の休息所である。しかし永久にとど まる場所ではない」という文章が、懐疑主義をあらためて、追求してみるかという気をおこさせ、「懐 疑主義」の出発点となった。それにしても「永久にとどまる場所ではない」という断定的な表現が気に なる。人間「永久にとどまる場所」ははたしてあるのだろうか。その後、観念論、形而上学が批判、否 定される価値観が多様化した現代という時代が訪れるわけであるが、一種混迷の時代であり、「永久に とどまる場所」は、なかなか見えない。自己充足は自己欺瞞にもなりかねない。  「やわらかい」にぼくの思いがあるのである。もともと「懐疑」があるから、考えるのである。哲学、 宗教などへおもむくには「懐疑」が出発点になっている場合が多い。疑問があるから探究があるのであ る。ただし、従来の哲学は、結論を急ぎ過ぎていたように思える。「われ発見せり」はそれなりに良い ことだろうが、これ以外は真実はありえないとなると問題である。固定化した真実は、真実でなくなる。 懐疑も、懐疑が真実になり、固定してしまうと問題だ。そこで「やわらかい懐疑主義」が問題になる。 「健全な懐疑主義」、「寛容な懐疑主義」といいかえてもよい。懐疑にとりつかれ、がんじがらめにな らないことだ。  不思議なことを不思議だと思い、おかしいことをおかしいとおもうことだ。書くにあたっては引用は 自然におこなうことだ。自説の補強を意識し過ぎた強引な引用はやめることだ。  別な言い方をすれば、「やわらかい懐疑主義」を背景とした寛容の思想をと思うのである。  プラグマティズム。そのなかにモンテーニュと通じるものを、あらためて見つけ出している。いわく、 その現実主義、多元主義論、可謬主義、等々、通底するものは多い。これらについては、ぼちぼち調べ ているとだけ言っておく。プラグマティズムは、形而上学的なものを正統的なものとして重んじる傾向 の哲学史の本の中では、触れられてないことがある。無視されているのだ。ところで、西田哲学の「純 粋経験」は、プラグマティズムの三人の代表的存在のうちの一人、ウイリアム・ジェイムズに影響を受 けたとされていることは周知の事実だ。もっとも二人とも背景が違うので、単純な影響とはいえない。  また、プラグマティズムといっても、著者によっては認識が結構ずれていたり、ひとまとめにはいか ないことが多い。とりあえず、ウイリアム・ジェイムズを中心に据え、あとは利用できるところは利用 し、「いいとこどり」をするより他はないかもしれない。  また、プラグマティズムには、観念論をさけ、それだけ人生論的な傾向を帯びることになるという、 ある意味では東洋思想に通い会う面があることも指摘していいことかも知れない。モンテーニュにもそ の面で通じあうようにも思える。    漢詩の世界もぼくの中では大きくなっている。ただ、それだけのためではないが、モンテーニュと通 じる面も多々ある。モンテーニュは、隠居生活の中で、エセーを書き始めた。実際は、市長に選ばれた り、平安な隠居生活とはいえないが。漢詩には、隠居生活に関わる詩が多い。隠居というより左遷を含 め志とは違った立場に追い込まれ、田舎に移り住むといういった場合が多い。しかしそこに安らぎをみ つける。漢詩の基礎には自然の素晴らしさを素直に歌う詩があるが、それとともに「閑居の詩」という やはり自然の中での生活での楽しみ歌う一群の詩もある。そういった詩が、ぼくの森のなかでの生活に 豊かさを与えてくれるようにも思えるし、モンテーニュの世界をも拡げてくれる。  ところで今日のNHKの新漢詩紀行は「気概」の特集であった。多彩な漢詩の一面でもある。あらため て次の二句を面白く思った。老年にあたっての「気概」の大切さを思う。    一つは、曹操「歩出夏門行」から。   老驥伏櫪 志在千里 烈士暮年 壮心不已(やまず)    (老いた駿馬は飼桶につながれていても千里を走る気持に変わりはないし、激しい気性の志士は 年をとっても意気盛んな心は抑えられない。)    もう一つは、魏徴の「述懐」から。   人生意気に感ず、功名誰か論ぜん   (人生は人間同士の意気に感じて事を為すのだ。 功名などは問題ではない)  ついでに書いておくと、李白の「蜀道難」に「一夫関に当たれば万夫も開くなし」(一人が関所を守 れば、万人の力をもってしても通れない。きわめて険しく、守りの堅い所)がでてくるが、富士宮市民 合唱団で老後の趣味を展開している妻に、そのレパートリーの混声合唱曲「ふるさとの四季」に「箱根 八里」があるので、そのことを話すと、いいことを聞いたという。   十日前ごろ、山口県に法事で帰った。娘と孫と一緒にだ。久しぶりに兄弟たちにあった。孫の世代は 生き生きと一緒に遊んでいた。宇部市は郊外の大型ショッピングセンターを除き、中央はシャッター商 店街など、疲弊しているとしか言いようがなかった。疲弊は宇部市だけではない日本。  1週間後は、永平寺に参禅にでかける。三泊四日の修行僧との本格的な坐禅になるようだ。初日、遅 刻は認められないというので、前日門前の宿にとまることにして、予約もすでに終えている。禅には、 時間と精力を使ってきた。これからも大事にしたいものである。  大事にしたいものとしては、俳句もある。少しずつすすめている。今は「富士百句」。完全な新しさ は、望んでも無理であろうが、できるだけ新鮮な発想ということで、立ち向かっているつもりだ。富士 のそば、富士とともに生きる至福をも吟じたい。                  目次へ   永平寺(2010.8.7.)  昨日は、広島原爆の日であった。新しい動きがはじまったようであるが、核廃絶への道はまだまだ遠 い。  ところで、曹洞宗大本山永平寺にいってきた。といっても帰ってからすでに十日以上たってしまった。 いつかは永平寺で坐禅をと思ってきた。聞きしにまさる三泊四日の坐禅会であった。道元禅のきびしさ をあらためて実感した、印象深い坐禅会であった。  永平寺の坐禅会だが、古仏を「まねび」、古仏を目指した道元の思いを引き継いだ永平寺の修行がそ のまま凝縮されているようで、軽薄な時のながれに流されまいとする意志のようなものが感じられた。 道元のきめた作法通りに、日常生活のふるまいを通して仏になろうとする。今回も修行僧にかせられた ものに近い修行があった。  厳しさは特に食事に現れていた。坐禅そのものに関しては、同じく大本山である鶴見の総持寺などで 経験した厳しさとあまり変わらない。総持寺も坐禅に関しては、厳しい。  今回、半跏趺坐について控え室で話題になった。道元も「普勧坐禅儀」でも半跏趺坐を認めていて、 それはそれでよいのだが、坐禅の途中で足をもぞもぞと組み換えるのを注意される人があった。その人 はこれを機会にと結跏趺坐を試みたいという。ただ、骨、筋肉が固くなってからでは、結跏趺坐はきつ い。しかし身につければ楽になる。二、三十分ぐらいでは、半跏趺坐でも大丈夫だが、四十分をこえる となると、結跏趺坐でないと坐禅としては安定しない。一日、七、八回の坐禅だ。三度の食事(夕食は、 薬石という。禅家で昔、晩に食事をとらず、飢寒を防ぐために腹部に温石として抱いた石を偲んで、後 には夕食を薬石という。)も坐禅の姿勢で行う。  問題は、食事だ。禅堂で坐禅をしながらの、いわゆる応量器を使っての食事だ。はじめや終わりに「展 鉢の偈」などのお経を読むが、経本をもっていくので、これはどうにかなる。応量器は布にくるんであ り、箸入れ、布巾とがセットになっていて、どの順に出していくかが、問題になる。給仕をしてもらう にも作法があるが、なれるしかない。箸の置き方も、食事の前と終わってからだと、向きが違う。大小 三つの応量器の使い方もなれるしかない。箸の置き方でいえば、さば(生飯、食前に餓鬼などに供する ため少量の飯を取り分ける)の時は、箸の置く角度がいつもと違う。最後、応量器、箸、さつ(刷、器 に残ったものをぬぐい清める先に布がまいてある独特な道具)や布巾など、一定の作法でしまうわけだ が、最後の包みの結び方も手順があり、最初は結構難しいのである。  要するに、慣れるのに時間がかかる作法なのだ。間違うと注意される。これがこたえる。ピリピリし た雰囲気になる。年輩のある人など頭が真っ白になるともいっていた。若い参加者ならともかく、六十、 七十歳を超えたような人も多く、煩雑な手順はそう簡単に身につくものではない。  講義の時間も食事についてがテーマであった。今までのアンケートでは、坐禅をしにきたのであって、 食事の作法を学びに来たのではないという指摘も多かったそうだ。あらためて道元禅での食事の意義を 学ぶ必要があるということで、道元の「典座教訓」「赴粥飯法」などにふれた講義であった。「食生活 が調えば、生活全般も調う」というのが基調であった。道元禅においての食を仏道と同じレベルで禅修 行の一環として考える考え方は、それはそれで意義があり、立派だが、いちいち注意されるのではと思 いながら、食事をすすめるのは、それなりにストレスまではいかないが、休まらないところがあった。  修行道場としての永平寺はその点、作法にのっとってとはよくわかる。物見遊山にきたのではない。 修行にきたのである。実際、食事を通じて、道元禅の深さへの理解が深まった感じはする。ただ曹洞宗 には、道元を絶対視するあまり杓子定規になる面も多いように見受けられ、豪快な臨済禅との対比を考 えてしまう。  若者はいいだろう。なにしろ、学びを主とする学生期ただなかにいるのだから。ただ、学生期、家住 期を過ぎて、一応林住期、遊行期に入ろうとしている老人に、箸の置く方向や角度が違うなどといちい ち指摘するより他の方法があるのではないだろうかとついつい思ってしまう。  勿論、学生期の若者と同じ修行をと考えている老人もいておかしくはない。年齢にかかわらない修行 もあっていい。実際、道元禅の神髄にふれた今回の食事体験は貴重なものであった。ただ、次からは、 総持寺などでのややゆるやかな食事でいいのだがと思わないではない。そのくせ、もう一度永平寺の食 事を体験して見たいという天の邪鬼な気持ちもないわけではない。ちなみに、総持寺では、食堂で椅子 に坐り、盆の食器にはすでにもってある。懐石料理の質素版というべきか。永平寺でも本山参拝の信者 用には、そういった食事があるようだ。修行者には修行者用のものをぶつけるのも立派な見識である。  また、臨済宗の坐禅会(静岡臨済寺、京都妙心寺、宇治万福寺など)でも応量器を使って、食事をし たことが何回かあるが、昔の事でこまかいことは忘れてしまっているが、今回のように、間違いを指摘 されないかと緊張し続けた思いはない。  今回、毎朝のおつとめなどを通じて○○家供養など、修行修行の道元禅だけではない、教団運営の面 (修行僧のほぼ百パーセントは寺の子弟である)もそれなりに見たことなど含め触れておきたいことも 多々あるが、あくまでも道元禅体験の中身の濃い三泊四日の坐禅会であったということで、この項とり あえず終わることにする。                    目次へ   プラグマティズム(2010.8.8.)    最近プラグマティズムが気になっている。かつては「実用主義」と訳されていて、アメリカ流のうすっ ぺらい実用主義かと、あまり関心がわかなかった。  ところが、最近友人に鶴見俊輔の『思い出袋』(岩波新書)の以下のような記述があるのを知らされ て、考えるところがあった。  そのころ大学町を歩いていたとき、見知らぬ初老の男が近づいてきて「クリスマスには約束があるか」 ときく。ないと答えると、それではコネチカットにある私の家に泊まりに来てくれ、迎えに来る、とい う。  彼は小学校の校長で、[・・・]  彼には、私を招く理由があった。哲学が趣味で、あれこれ古典を読んでみたが、世界の四大哲人とさ れている中で、孔子がどう考えてもプラトンやアリストテレスと並ぶ哲学者とは思えない。君はどう思 うか、とういうのだった。  私はハーヴァード大学哲学科に入ったばかりで、まさにプラトンやアリストテレスを読む日常だった。  私には答えられなかった。八十六歳の今なら答えられる。  「あなたは、モンテーニュをどう思いますか」と、問いによって答える方法である。  まし彼が、モンテーニュなどは西洋哲学史においてさえたいした哲学者ではない、と答えるならば、 問答はそこで終る。彼が別の答えを出すならば、問答はそこから新しく始まる。その探求は、彼にとっ て西洋哲学史の問い直しへの道をひらくだろう。                  「西洋哲学史の問い直し」に鶴見俊輔のプラグマティズムへの思いがあるのを見てとったのだ。 ここでは、孔子が使われているが、四大哲人ではないが老子、荘子になっていたほうが、ぼくにはしっ くりゆく。モンテーニュと老荘思想は、ぼくのテーマでもある。  プラグマティズムの本を読んでいくうちに、プラグマティズムとモンテーニュとの共通点を思い知ら された。時代を見据え、観念的な議論にはいりこまない、正しい思想体系という教条主義におちいらな い、矛盾を含めた自己のありのままの生きざまを描こうとするモンテーニュに通ずるものが多いと思っ た。  また、鶴見俊輔も、従来の哲学が日常生活とあまりに乖離していったという反省の中で、論文「哲学 の反省」などで、プラグマティズムが「新しい哲学の設計図」への重要な役割を演じることを期待して いる。  鶴見俊輔は、プラグマティズムにはもともとドイツ観念論を中心とするある意味での有閑哲学に対す る反哲学主義があったが、主張がヒットしてからメンバーもだんだん哲学者になってしまって、哲学を 倒す運動とはなりえなかった。今度はもっと徹底的にこの主張を押し進めて、哲学を完全に倒すように したい、と述べている。新しい哲学、日常生活を送る普通の個人の哲学を想起しての発言である。  プラグマティズムといっても論者によって力点など微妙に違う。すでにある程度年月を経た思想で、 後継者たちのなかでも変質した面もあり、簡単にまとめるのは難しい。  辞書的にいえば、『広辞苑』にもあるように、「プラグマティズ〔哲〕(事象を意味するギリシア語 pragma から造った語)  事象に即して具体的に考える立場で、観念の意味と真理性は、それを行動に 移した結果の有効性いかんによって明らかにされるとする立場。主としてアメリカで唱えられ、パース・ ジェイムズ・デューイがその代表者。実用主義。」となるようだが、「実用主義」の訳語はいただけな い。  プラグマティズムについては、『広辞苑』の定義「事象に即して具体的に考える立場で、観念の意味 と真理性は、それを行動に移した結果の有効性いかんによって明らかにされるとする立場」から出発す ることとするが、プラグマティズムでぼくの気に入っている点は、次の三点であり、これは単なるぼく の勝手な「いいとこ取り」としか見えないかもしれない。鶴見俊輔『アメリカ哲学』、魚津郁夫の『プ ラグマティズムの思想』を主に参考にさせてもらった。  1)複雑な体系を排すること、眼前の事実を重視すること、物事の理由を権威にたよらずに独力で探 究し、結果をめざして前進すること、そのことにより日常生活の生き方に役立つ思想となる。バランス のとれた現実主義。これは、東洋西洋古代の「人生哲学」にも通じる。この点は、ジェイムズに著しい ようである。  2)「可謬主義」。これは、有限の存在であるわれわれ、認識能力に限りのあるわれわれ人間はつね に誤謬をおかす可能性をもっていることを認めるという主張である。さまざまな独断的な言質にうんざ りしているぼくには、単語としても新鮮である。この指摘は、プラグマティズムではパースにはじまる ようである。  3)他の人の権利を侵害しない限り(これが重要)、すべての人の信じる権利をみとめる多元主義。 独断主義に陥らないようにする安全弁でもある。ぼくの好きな二つの言葉「自由」「寛容」にも通じる。 モンテーニュにも、鶴見俊輔にも、東西の古代の「人生哲学」にもたっぷりある考えである。    あらためて思うが、プラグマティズムの現実主義、可謬主義、多元主義には、現在すこしずつ進めて いるモンテーニュ、かねてより興味をもっていた老荘思想、ギリシャ・ローマのキケロなどの「人生哲 学」と大いに通じ合うところがある。また、現在思索を続けようとしているテーマ「やわらかい懐疑主 義」にも通ずる。    現在、実存主義などといっても、大多数の人はかつてはやったものだといった程度の認識しかないは ずだが、プラグマティズムにしてもそうなのかもしれないとも思う。相変わらず「実用主義」で片付け られているかもしれない。実際、新しい本はあまり書かれていない。高校の「倫理」の教科書などでは ふれられているが、「哲学史」と銘打った比較的新しい本でも無視されていたりする。だからといって 人間がいきてゆくための基本的な思想として、現在重要性がなくなったわけではない。見えないけれど 形を変え、そのエッセンスは利用されながら、生活の思想としてそれなりの影響力を発揮しているはず である。  なお、位相はずれるが、プラグマティズムの代表者の一人でもあるジェイムズは、その著『多元的宇 宙論』などを通じて、かねてから関心を持っている東洋的な「天地有情」「天地同根」「万物一体」な どを考えていく上で参考にもなり、重ねて追究したいテーマである。   (予告)  鶴見俊輔著『たまたま、この世界に生まれて――半世紀後の「アメリカ哲学」講義』(編集グループ SURE)を注文しているがまだ届いていない。  書評等で内容を推論すると、プラグマティズムは大学では受け入れられなかったが、それぞれその土 地に根付いた暮らしの知恵の中で息づいている。ついでに、「ハーバードにいたころ米国には多元性が あった」が、太平洋戦争、ベトナム戦争、イラク戦争などを経ていま、「米国は自分たちの正義を力で 押しつけるようになった」と憂慮されているとのことだ。いずれ、本が届いて追加を書くことになる。                  目次へ   プラグマティズム(続き) 鶴見俊輔の本・到着(2010.8.18.)  前回は、以下の二行を含む「予告」で終わった。  鶴見俊輔著『たまたま、この世界に生まれて――半世紀後の「アメリカ哲学」講義』(編集グループ SURE)を注文しているがまだ届いていない。(中略)いずれ、本が届いて追加を書くことになる。  十二日にその本が来た。その翌日、ゆっくり読んだ。「アメリカ哲学」発刊後のあれこれを、短い講 義とスタッフの質問に答えるといった形の本である。内容もなかなか刺激的で面白かった。  プラグマティズムの流れの中でこの本を読む。だが、多様な形で展開されてきたプラグマティズムを 簡潔にまとめようとすることは、不可能だ。  「観点の完全な統一ができないことをみとめて、ざんていてきな整理をこころみるのが、プラグマティ ズムの方法である。」(鶴見「折衷主義の哲学としてのプラグマティズムの方法」)とあるが、鶴見俊 輔自身も暫定的な一覧表としても見える形では十分整理できてはいない。整理しすぎるとそれこそ、学 者が普通におこなうように生きた思想を標本として死物化しかねない。『アメリカ哲学』の中での鶴見 の「この本の中で、僕はプラグマティズムをもっと広く解することに決めている。行為に重きをおくこ と、(中略)僕はプラグマティズムの思想の中に、まだ開発されない資源があると思う。」「日本の学 者のプラグマティズム観について、不満な点がもう一つある。それは、プラグマティズムを一つの哲学 体系と考えて、哲学の範囲内のみであつかっていることだ。」などを見ると、まとめきれないのはしか たない。とりあえず、『たまたま、この世界に生まれて』を通じて見たプラグマティズムの一端を書い てみることとする。 その前に、プラグマティズムについては、一応、前回の文章の一部を再録してみる。  プラグマティズムについては、『広辞苑』の定義「事象に即して具体的に考える立場で、観念の意味 と真理性は、それを行動に移した結果の有効性いかんによって明らかにされるとする立場」から出発す ることとする。「行動に移した結果の有効性」が核心である。なお、プラグマティズムでぼくの気に入っ ている点は、次の三点であり、これは単なるぼくの勝手な「いいとこ取り」としか見えないかもしれな い。色々参考にしたが結局は魚津郁夫の『プラグマティズムの思想』を主に参考にすることになった。  1)複雑な体系を排すること、眼前の事実を重視すること、物事の理由を権威にたよらずに独力で探 究し、結果をめざして前進すること、そのことにより日常生活の生き方に役立つ思想となる。バランス のとれた現実主義。これは、東洋西洋古代の「人生哲学」にも通じる。この点は、ジェイムズに著しい ようである。  2)「可謬主義」。これは、有限の存在であるわれわれ、認識能力に限りのあるわれわれ人間はつね に誤謬をおかす可能性をもっていることを認めるという主張である。さまざまな独断的な言質にうんざ りしているぼくには、単語としても新鮮である。この指摘は、プラグマティズムではパースにはじまる ようである。  3)他の人の権利を侵害しない限り(これが重要)、すべての人の信じる権利をみとめる多元主義。 独断主義に陥らないようにする安全弁でもある。ぼくの好きな二つの言葉「自由」「寛容」にも通じる。 モンテーニュにも、鶴見俊輔にも、東西の古代の「人生哲学」にもたっぷりある考えである。    鶴見俊輔は、何より彼の生きてきた歴史とは大いに違うが、気質的には似通うと言うと失礼だが、親 愛の情を感じる翁である。まずこの本を読んだ読んだ結果、プラグマティズムそのものが、以前よりよ くわかってきたわけではない。この本を作った彼より五十ばかりも若い聞き手の側と経験や思いの差の 問題もあるかもしれない。この本にはプラグマティズムという用語を使った発言はいたるところにはあ るが、期待していたプラグマティズムそのものをあらためての理解し直そうという「遅れてきたぼく」 には再定義が十分なされとはいいきれず、核心を十分理解できたとはいいきれない。  もちろん、プラグマティズムは日本では大学では受け入れられなかったが、プラグマティズムはそれ ぞれその土地に根付いた暮らしの知恵(土法)の中で息づいているといった大切な指摘など教えられる ことは多々あった。また、思想といいながらも、プラグマティズムは、結局のところその人の生きる信 念、態度が問題になってくるというのが、至る所で語られている。今更ながら納得、納得。  そうはいっても、「考えは行為の一段階」、「考えとは、それを何らかの実験にかけてみて、真理で あることがわかる実験計画である。これが、プラグマティズムというものの核心です。」が鶴見のプラ グマティズム観であるのは間違いない。「何らかの実験」の「何らか」については、具体的には各個々 人が自分で考え工夫するより他がないのである。  そして、「何らかの実験」については「言葉の意味を行動の形に戻してとらえる」という方法を使う ことにより、プラグマティズムはさまざまの思想の共存の場を提供するものだという思いが鶴見にはあ るのである。 「結論だけれど、プラグマティズムは、言葉の意味を行動の形に戻してとらえる方法です。パースの プラグマティック・マクシムは、命題を発言者の心にある実験計画として明らかにしようという提案で す。(中略)人間があるいは動物は、何かの目的に向って行動する。(中略)その目的による行動を言 明のそこに見る。ひとりで言語を使って考えるときにも、その底にあるその行動計画を、行動の形とし てとらえて、はっきりさせる。」といったあと、「そういう意味のとらえかたは、さまざまな思想流派 がゆきかう共通の廊下になる。また、思想のさまざまな流派がお互いを抹殺することなく共存する場に なりうる。」という。この本でだけでは、「共存」についての具体的説明に欠け、論理的には、やや飛 躍的と思うが、「共存する場」としてのプラグマティズムが有効に働くことがあるとすれば魅力的であ る。  この本は、鶴見ならではの歯切れのよいセリフに満ちている。 「プラグマティズムは、穏健な、常識的な思想で、きわめて妥協的、そして折衷主義なんだ。そのこと を私は否定していない。」  流動する思想を箱にいれて整理するだけの哲学者にうんざりしている八十四翁の発言だ。これでいい のだ。ついで「にもかかわらず、「形而上クラブ」というのは、そうとう変わった人間の集まりだ ね。」ともいう。プラグマティズムは「形而上クラブ」の中で成立したのだ。プラグマティズムを言い 続けてきた翁も「かつての不良少年」を自称するなど相当変わっていないわけではない。変わった人間 が主張する一見穏健な、常識的な思想、きわめて妥協的、そして折衷主義の中には必ずしも平凡ではな い緊張した何かがありうる。ついでに言えば「折衷主義の哲学としてのプラグマティズムの方法」とい う論文は、次の言葉で終る。「プラグマティズムの根本的な特徴として残るのは、歴史の最後のページ を書くものがおちいりやすいコワバリから自由であるという役割交換の性格、つねに暫定的に物事をと らえてゆき、あとの訂正に応じるというマチガイ主義(可謬主義)の性格である。」  妥協的、そして折衷主義もある種の力だとする考え方もある。やわらかい、しぶとい力だ。民衆、市 民の思想だ。コワバリから自由であろうとする。権力を含め、権力をとりそこなった権力も含め、一面 的な正義がコワバル(硬直)ことは多い。妥協的、そして折衷主義を批判する思想もある。たとえばマ ルス主義。あえていえば未熟の若者の正義感に訴えるある種の正しさを持ちつつ、「いったん国家を掌 握すると、批判に対する感度が鈍くなり、むしろ強権によって、弾圧側にまわる。」可謬主義を認めよ うとしない。  鶴見のプラグマティズムに関する姿勢は次の言葉にあらわされる。  (どういう意味でプラグマティズムなんですか?)「やっていることによって人の思想を見るってい うこと。言葉で言っていることなんて、二次的、三次的なもの。」  プラグマティズムという「思想」を語るはずのこの本で鶴見は確信犯的にいう。「思想や言説によっ て自分を支えることは無理なんだ。態度によって支える以外にない。信念と態度との複合がなければやっ ていけないというのが、プラグマティズムが十分でないという点でもあるし、信念を貫くというプラグ マティクな分析じゃない?大杉栄なんかは貫いた。」とアナーキスト大杉栄を使ってプラグマティズム を説明したりする。そういう意味では拡大解釈じゃないかと思うところもないわけではないが、「信念 と態度との複合がなければやっていけない」というのは古くからの生活の知恵、プラグマティックな知 恵でもある。  「プラグマティズムは、哲学として特別に強い一本の芯が通った思想ではないんですよ。誰でもが使 える、一つのものさしなんです。ものさしであるということがとても重大な特性なんです。」  芯がある思想、たとえばキリスト教思想が万能かというとそうでもない。自己を絶対化させることに より、自己を硬化した万能の物差しとして、他を裁く。柔軟な物差しとは自己矛盾のように思えるが、 流動的な世界では、流動的な物差しもあっても、目くじらをたてることもないだろう。いずれにしろ、 各自で考えることだ。  前回の記事のなかでのぼくのプラグマティズムへの興味の三点のうちの「3)他の人の権利を侵害し ない限り、すべての人の信じる権利をみとめる多元主義。独断主義に陥らないようにする安全弁でもあ る。」に関しては、けっこう触れられている。一つだけあげれば、  「いま、USAが世界に押しつけようとしているアメリカ文明は、モノ・カルチャーの思想なんだ。こ れがプルーラリスム(多元主義)の伝統さえも揺るがせている。一種のモノシイズム(一神教)だ。」    翁の教えの真髄に触れていると思える発言のうち、二,三引用しておく。  「哲学は教えられるか」という個所で、「大学の哲学教師は、深いところまで入る能力を失っている。 ジェイムズは何を読みましたかという話に過ぎない。ジェイムズのほうがパースより偉いと思いますねっ て、そんな話がいったい。」  「哲学科では、この曲がり角をこういうふうに曲がるんだということを教えてくれる。しかし、そこ から出発すると、哲学が弱くなるね。処方があるからだ。それははじめのアポリア(難所)をとらえよ うとしていない。」  「教えられると弱くなるっていうことは、あるんじゃない? 曲がってごつんとぶつかちゃたら、そっ ちのほうが深い意味をつくることができるのではないか。」  勿論、柔らかさも用意できていて、「では、哲学は教えることはできないということになります か?」に対して、「その問題は難しいね。アポリアなんだ。」と切り抜けている。  「このように、私は、USAの思想流派としてのプラグマティズム、プルーラリズム、「客観的相対主 義」に対する自分の受け皿を持っていた。」  「私が提案したいのは、日本に明治以前からある、土法(土地に根付いた暮らしの知恵)のなかのプ ラグマティズム、それを掘りかえして、日本の日常語のなかから考え直してみたらいいんじゃないか、 それが提案」  「つまり、急進的でなくて、しぶとく続くもの、それがプラグマティズムから言えば、理想だね。」  最後にこの本を含め、鶴見の本を読んでいる途中、僕がついつい思い出した事など、二,三、アット ランダムに書いてみよう。日頃、思っていることの一部であるが、余計な心情の吐露かもしれない。    「アナーキズム」   鶴見は自らのアナーキズムからの出発をかたる。クロポトキンという名がでるのも懐かしい。ク ロポトキンにとってマルクスは嫉妬深い人物と映ったようだ。  今から思うとぼくもアナーキズムから出発したように思う。アナーキズムに関しては色々読んだが、 結局は本の上からだけの文学的アナーキズムであったといってよいだろう。学生時代すでに、マルクス 主義では反スターリンキャンペーンも学生たちには浸透していたが、ぼくはその反スターリン運動の中 にも、覇権を争うスターリン的なものを感じてしまっていた。  「アメリカの原爆とソ連の原爆」   若い時ぼくは奇妙に感じていて、原子爆弾禁止運動にあまり関心がもてなかった。こだわったのは、 アメリカの原爆は圧迫者の原爆で許されない、ソ連の原爆は圧迫されるものの持つ原爆で許されるとい う主張であった。今回読んだ別の本で、鶴見もその図式の奇妙さ指摘している。その善玉、悪玉という 単純な図式的発想が、プラグマティズム的な思想体系を日本で生かすかたちで広がらなかったことをこ の本でいっている。  「夜郎自大」  鶴見が「思想の科学」の存続をはかるために、よけいなことはせずに、「夜郎自大」になることをい ましめたことを、『たまたま、この世界に生まれて』中で知って、「むべなるかな」と思う。現代言論 界などで活躍している人に、自らは自覚はないかもしれないが、ついつい「夜郎自大」に落ちいってい るひとは多い。  「ハーヴァード会」  「ハーヴァード会はというのは、そういう連中(鶴見の憎み軽蔑する彼の親父のような)の場所なん だ。もと留学生たちの親睦会だね。私はハーヴァード会など入ったことはない。」と鶴見。  ハーヴァード会という特殊な会と普通の同窓会を同列に論じることは無茶なことだとはわかっている。 ただ、ここのところ同窓会に出席を誘ってくれた人にはけっこう迷惑をかけていて申し訳ないと思って いる。誘いがあってもいかないのである。不特定多数の会合にでかけないのは、若いころからである。 子どもの頃、まわりに合わせようとして結構息苦しい思いをしていたものだから、ついつ同調的になら ざるをえない会合は苦手なのである。そろそろ作品を発表しはじめた太宰治が、無理をして青森の県人 会にでて、無視をされたわけではないだろうが勝手にそう感じたのか酒を飲み過ぎて、余計なことを叫 び出し、つまみだされたようなエセーを読んで、県人会であって同窓会ではないが感ずる所があった。  そして、いつのまにか同窓会とは、人生に失敗したという思いにかられる人達には行きにくい場所、 功有り名を上げた人が中心となり、うしろ指をさされることのない人たちが、あつまる場というイメー ジがぼくの中で定着してしまった。余計といえば余計だがそういう思いにかられる人のことを思うと行 くのにためらわれるものだ。不特定多数は面倒臭いというのがもう一つの大きな理由でもあるが。(つ いでに、同窓会といえば、高校同窓会ということになりかねない。小学校のそれにくらべると、メンバー の同質性が保ちやすいからかもしれない。)  勿論、同窓会も役割があり、有益な存在にもなりうる。ぼくなりに、断定し過ぎる危険もあることは 自覚しているつもりだ。昔の知人に個人的に会うことは別に問題ない。実際会ってきた。何の底意もな く参加をはたらきかている人には、ことわり続けているのは無礼な態度とうつってもしかたがない。し かし、説明するとかえって、無礼度が大きくなる可能性もあるのである。  「コンコード」  プラグマティズムの源流の中に、エマーソン、ソローなどが考えられる。彼らが住んでいたコンコー ドについて言及されているのは、自然なことだ。プラグマティック発生の地ハーバードにも近い。  2000年アメリカにいった。9月11日には、世界貿易センタービル・ツインタワーの広場にいた。 例の事件のちょうど1年前だ。国際理解教室に所属し、「西洋文化論」なども担当していたので、中心 は西ヨーロッパにしても、アメリカについてもごく簡単にでも触れざるをえなかった。一回ぐらいはいっ て見ようというわけであった。その時は、移民のことを中心に考えるということで、ニューヨーク、ボ ストンを、ついでフランスの植民地のその後の姿をよく伝えるカナダのケベック州(州都はフランス語 では、モンレアルという。英語、フランス語共に通じる。ケベックという町は、フランスの古い小さな 町そのものであった。フランス語の方が良く使われていた。)を訪れた。自由の女神があるリバティ島 の側のエリス島にある移民達の喜怒哀楽が今もこだましているような旧移民局の建物の訪問をはじめ実 りの多い旅であった。  コンコードにはボストン滞在中、ハーバードを訪れたあと、電車でいった。ソローのウォールデン湖 のあるところだというのが、訪れることになった第一の理由だ。近くに独立戦争時の有名な戦場がある ことや、『若草物語』の著者が家族で住んでいた館などが残っていることは知っていたが、すでに土曜 日曜を湖に近い森の中ですごしはじめていた僕は、ソローの『森の生活』のウォールデン湖は、ぼくの これからの生活の参考のためにも、せっかくボストンにいく以上はおとずれたい所だった。  ウォールデン湖の感想はそれなりにあるが長くなる、ここでは、別のエピソードにしぼりたい。  列車は森の中を抜け、コンコードの駅に着いた。こじんまりとした清潔な駅だ。駅前も静かで、郊外 の住宅の町の雰囲気である。タクシー乗り場がない。自動車社会のアメリカでは普通のことなのか、迎 えにきた自動車で乗客は消えてゆく。そんなに遠くはない、歩くのも何かを知るきっかけになりうると 女房と一緒に湖の方向と思われる方向に歩き始める。ある程度あるいたところで、方向を確かめるため に、聞くことにした。庭にいた女性にきいた。タクシーはたしかにない。それにしても歩いてゆくのは 大変だという。自動車でつれていってあげようということになった。僕は既に白髪で、そうとうの老人 と思われたのかもしれない。アメリカ的と思われたのは、庭であそんでいた4、5歳と思える男の子に、 ママはこれからこの人たちを湖まで送ってあげるので、留守番をしていてねといい、僕たちを車へのせ 連れて行ってくれた。そんなことまで考えていなかった僕たちはいわれるままに湖までつれていっても らうことになった。  車の中では、どこから来たのか、なぜウォールデン湖にかとかいった話になったが、気持ちよく話は すすんだ。アメリカでの実に気持ちの良い体験だった。僕たちが老夫婦ということでの特別な事だった のかもしれない。  住所も名前も聞かなかったのが、悔やまれる。帰国して礼状をと思ってもどうにもならない。  帰りは歩いたが、十分に歩くことを楽しめた。花々を見ながらの気持ちのいい道だった。  街に戻って『若草物語』にかかわる「オーチャード・ハウス」をたずねた後、芝生の一角で休んでい た。住宅の一部であったようで、そのうち家から年配の女性がでてきて、「何か?」とたずねてきた。 様子から察するとどうも不審者とうつったようであった。「休んでいるのです」といったら、「そうで すか」で終わったが、女房がいなくて僕だけだったり、僕がもっと若かったりしたら、「単なる不審者」 として、別な方向に展開していた可能性もなきにしもあらずとアメリカ社会の複雑さに一部ふれた思い がする。  コンコードというと書けなかった礼状のことをついつい思い出してしまうのだ。  「老子」  僕が思うかたちとは違っているが、老子の名がプラグマティズムの多元主義を述べるなかででてくる のはよろこばしい。原始的、東洋的なアナーキストの面もある老子を、反動ときめつける人もいる。反 動といったら身も蓋もないが、以下述べるように鶴見が反動の中からも学ぶ姿勢は面白い。僕は金輪際、 反動とは思っていないが、ぼくの好みの名が次々でてくる。「私はショーペンハウエル、ストリンドベ リ、マルクス・アウレリウス、セネカ、エピクテトスの系列の反動思想に自分を置いた。」特に、マル クス・アウレリウス、セネカ、エピクテトスは、モンテーニュ理解の上にはかかせない存在だ。                  目次へ   季語について(2010.9.14.)  「森の中のモンテーニュ」といいながら、彼とは無関係なことを書くことも多い。「季語について」 と今回もそうである。あちこちさまよっている『エセー』の作者に敬意を表して、さまようことにする。 精神はさまようという特徴をもっている。これこそエセーの真髄である。  モンテーニュのエセーに現れる動物を調べた論考もある。そういったものを季語として歳時記的に整 理して何かをでっちあげることもできないわけではない。しかし、無理につくりあげることでもなさそ うだ。    ところで、季語について考えざるをえない状況に陥った。「富士百句」の作句を続けていることは、 すでに書いている。どんな句であるかは、しばらく伏せておく。ただ、その句を作りながら無季の句が、 結構多いのに気がついた。それらには、富士と言う語は入っている。季語がないからといっても、無理 に季語を付け足すと重くなりすぎたり、語数の関係上全体では言葉たらずになったりする。なにより不 自然だ。  芭蕉は、時と場合によって「発句も四季のみならず、恋・旅・名所・離別等、無季の句ありたきもの」 (『去来抄』)と言っている。「富士という名所」(歌枕といってもいい)は、季語の重みをもつこと もありうる。  僕は今までは基本的には、有季定型で俳句を作ってきた。しかし、ホームページの「現代俳句抄」で そうしているように、無季、非定形を含めて、何かを表現しようとしている作品は収録するようにして いる。勿論、ぼくの好みがあり、客観的(俳句も芸術である以上客観性は難しい)とはいえないが。  それにしても、富士という語は、すでに季語の役割をもっているのではないかと思う。季語のふくら みを持っている。「去来抄」の「季なしといへども、一句に季と見ゆる所有りて」と思い、たとえ季語 がなくても富士の句をつくり続けることにする。  以下は「去来抄」  「卯七曰く「蕉門に無季の句興行侍るや」。去來曰く「無季の句は折々有り。興行  はいまだ聞かず。先師の曰く「発句も四季のみならず、恋・旅・名所・離別等無季  の句ありたきもの也。されど、如何なる故ありて四季のみとは定め置かれけん、其  事をしらざれば暫く黙止侍る」と也。其無季といふに二つ有り。一つは、前後・表  裏季と見るべき物なし。落馬の即興に、     歩行ならば杖つき坂を落馬哉        ばせを     何となく柴吹くかぜも哀れなり       杉風  又詞に季なしといへども、一句に季と見ゆる所有りて、或は歳旦とも、名月とも定  まるあり。     年々や猿に着せたる猿の面        ばせを  如斯なり」。  そうした中で、あらためて、季語について書いてみようと思ったのは、友人からのメールが発端であ る。一部を省略して引用すると  「ぼくが季語に決定的に違和感を感じたのは、八月の二つの原爆忌が、(中略)季が異なるという考 えが(中略)あったことです。ぼくにとって、どんなに譲歩しても「玉音放送」を秋とすることはどう しても「許せない」という個人的な思いもありました。」  季語の集大成として伝統的に旧暦を元に作られてきたものが歳時記である。伝統的な歳時記では立秋 (通常は太陽暦の8月8日ごろ)から、秋になる。季語の説明としてよく引かれる和歌に「秋来(き)ぬ と目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」にあらわれているように、まだ夏ではあるが、 すでに感じ始めている秋の季節を詠むという感情の繊細さがそこにある。新しい太陽暦による歳事記も、 太陽暦採用以降の行事はともかく、旧暦を色濃く引く行事や、自然、動植物などを体系的に整理し直す のはなかなか困難な点も多く、色々こころみられてきたが、なかなか成功しない。将来の課題である。  友人への返事として、つぎのように書いた。わかりやすいように一部を書きなおしておく。  「一応ぼくは、基本的には有季定型を考えて作っています。俳句をくだらないものと、自分の心情も きちんと表現できない舌たらずな幼稚なものと考えている人も多くいます。定型に疑問を発する人も多 いものです。定型こそ日本人を五七のリズムで情緒的にやがて天皇制につながるものへ運び去る奴隷の 韻律だという意見もあります。季語についての疑問も同じようなものを含めて色々あります。程度問題、 ひとさまざまというべきか、仮名表記の問題も新にするか旧にするかとあったりしますが、たった五七 五のとるにたらないものを、大きななたで押しつぶすこともないと思います。  俳句を否定する人は、俳句をやらなければいいことで、野球ファンにプロ野球の害毒をふっかけるこ とはありません。定型を否定する人は、自由律の俳句があり、静岡にもその結社があるようです。季語 を否定的に考える人は、無季の句を積極的に作るグループがあります。また容認するグループもあり、 実はかつての『鷹』は、無季容認結社でした。『鷹』では、副主宰格の飯島晴子には無季俳句が少々あ りますし、小沢實、辻桃子などとともに四ッ谷龍が若手として活躍していて、無季もつくっていました。 ぼくも今では自分では好んでは無季俳句は作りませんが、無季容認派(自由律も鑑賞しています)と思っ ています。日頃から価値判断を含め俳句は好みの世界だといつも言っていますので絶対的とは言えませ んが、無季は成功したときは、独特の感動を与えますが、たいていは、比喩が悪いですが、便秘俳句と いったものに陥りがちです。  旧暦をもととし、日本的な情緒を表す「季語」ですが、季語に使われてしまわない俳句作りは、可能 です。いずれにしろ作句にあたっては「敗戦日」は歳時記では秋だから秋らしい雰囲気で作ろうとはま さか思わないはずです。堂々と夏の句としてつくればいいわけです。敗戦日は暑いと堂々と歌えばいい だけです。もし歳時記にとられて、秋にいれられるようなことがあれば、自分でいれたわけではないと いうことにしておけばいい。自分で句集を作る場合は、夏に入れる自由はあるはずです。重要なのはそ のテーマにふさわしい具体的な句を作り上げることです。  もし敗戦日や玉音放送が秋だから、9月15日にしようとするようなことであれば、大いに問題です が、あくまでも、8月15日は動かせません。その日は、すでにやがてくる日本の秋(人生の秋)をつ げるものを含んでいるかもしれません。  社会性俳句を追求したという沢木欣一の   土熱く灼けゐし記憶終戦日  は、秋にいれられていますが、ただ約束上それだけのことで、夏の太陽がぎらぎら輝いています。  湘子をあげるのは、他意ありませんが、   赤き蛾の昼いでて舞ふ敗戦日  なども、夏の雰囲気がのこっていると思います。  いずれにしろ、俳句主体で行きたいものです。  なお、原爆忌はゆれているようで、広島長崎ともに夏にしているものに、たとえば、講談社版『日本 大歳時記』があります。」  なお、最初から「玉音放送」の無季を意識した句としては、渡辺白泉の次の句がある。   玉音を理解せし者前に出よ  季語は海外詠となるとまた厄介な問題も出てくる。ただ、あまり難しく考えないことだ。『俳句界8 月号』の特集に「海外詠と季語」があり、その副題に「日本の歳時記で詠む危険性」とある。あまり杓 子定規に考えると、地域差などあり、思わぬ落とし穴がありうるが、常識的にあまり細かいところにと らわれないように自由に考えればいいことだと思う。  ぼくもかつてフランスで少し作ったが、蛍は夏、雷は夏と季語を常識的にとらえて作った。  なお、戦前には、占領地の南方領土を意識した歳時記もあまれたようである。  最後に、我が師藤田湘子の辞世句を引用して、終わる。  死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ  (『てんてん』) 藤田湘子  死にのぞんで、はればれと死を迎えたいという自分の思いを述べるために、結果的に無季になってい る。野という四季を超えた静かな空間が広がっている。季語という言葉にとらわれることなく表現しきっ ているといえる。  俳句における季語の重要性は、いうまでもない。四季豊かな日本の伝統的な俳句という詩形、これか らの地球の未来を支える自然、「季語」は俳句の豊かさを支える大きな要素である。しかし、芭蕉の「発 句も四季のみならず、恋・旅・名所・離別等無季の句ありたきもの」の「ありたき」思いも十分生かし きる必要もあるのである。そしてそれは、「俳諧自由」、「俳句自由」の展開のためにも必要なもので ある。自由な俳句でありたい。                  目次へ   「自己探求」、「懐疑」、「万葉」、「漢詩」、「白川静」、「空海」、「ユング」、「俳句」(2011.3.3.)  本当に久しぶりの更新である。まとまったことを書きたいと思うが、あれこれ思うことも多く、なか なかまとまらない。その上ページの更新に時間をさくこともなく、時間だけが過ぎて行く。  今回は、今抱えているテーマを素描して、まとまった記述は将来の課題とすることにする。  それでは、ひさしぶりに、始めよう。  「自己探求」であるが、長く禅をやっている身としては、禅の目標の一つに「己事究明」(自己(己 の事)究明)があることは知られている。ぼくも一応考えないわけではないが、「己事究明」つまり「自 己探究」は、そもそも自己をどう考えるかという難問がある。(もっとも禅の場合は、本当の所はわか らないが、自己の空性(無)が納得できたかどうかという到着点があるようだが、実際問題はそんな解 答では解決できたことにはならない。)  自己とは己の心でもある。心は気ままな存在である。したがって、自己も気ままな存在である。  一生を自己探求(〈己事究明〉)についやしてもはたして成功するかあやしいものである。自己探究 はこれで終わりというものがない。二十歳には二十歳の、六十代には六十代の自己がある。常に変化す る。そもそも自己とは何かという定義自体がとりつく島がないように思える。自己はつかんだと思った 時には、すでにするりと逃げている。  時間と同じである。捉えようがない。自己とは時間だという定義も可能であり、実際そういう視点で 自己論を展開している本もある。ただ、自己とは一つの定義で事足りるほど単純なものでない。複雑で 一筋縄ではいかないものである。各自胸に手をあてて考えればわかることだ。矛盾に満ちた存在、自己 納得には欺瞞的要素が、しのびこみがちである。  万物の根源(アルケー)を水と考えたタレスも「何が最も困難なことか」という問いに「自分自身を 知ることだ」と答えたようだ。またヤスパースも「自分とは、「自分は○○である」と言い表わした時 に、すでに自分を超えているものだ」と自己とはたえず生成し続けているものとしてしかとらえられな いといっている。簡単にかたのつく話ではない。  「懐疑」は、モンテーニュを考える上だけではなく、人生の真を考える上でも避けて通れないテーマ である。「否、事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ。(ニーチェ『権力への意志』)」という ニーチェの文にあるように、解釈に満ち満ちた現代を生きていくためにも人は自分なりの解決をえたい と思っている。ただ、大きなテーマであり、おいそれと解決できるような生易しい問題ではない。  「俳句」は、今一番力を注いでいるものである。といっても力みに力んでいるわけではない。だめも とでもしかたない、とにかく自分なりにやっていこうという思いを胸底に秘めてすこしずつすすめてい る。作っては推敲し、ためている。発表は当分しない。  これが「自己探求」、「懐疑」といったテーマに集中できない大きな原因となっている。ついつい俳 句のことに時間をつかってしまう。俳句のために怠ける。ぶらぶらする。俳句のために、なにもしない 時間をつくる。富士をみつめる。空を雲を見つめる。桜の芽をそぞろに見る。それでいいと思っている。  定年後、今までやれなかった事をと思い続けてきた。いざ定年になると、それまで漠然と考えていた 小説を書くということがいかに自分にあっていないかを思うことになった。まさか推理小説を考えてい たわけではないが、殺人に至る過程などをあれこれ想像することなんて、今更やりたいとは思わない。 他人との軋轢を文章にしたいとは思わない。まるごとの人生を描こうとする小説、いつしか人生のネガ ティブな面を表現することがむなしくなっていたのである。だからといって庄野潤三の「夕べの雲」の ような世界をいまさら書いてもしかたない。  そこで、三十歳代の後半からはじめ、長い間やってきた俳句にしぼろうということになった。毎日の 生活の中で、ついつい俳句の占める割合が大きくなってしまっている。  そういうわけで、「森の中のモンテーニュ」の更新の時間も持てない。というより、ついつい時間を かけなくなってしまっているともいえる。  「万葉」、「漢詩」、「白川静」、「空海」は「俳句」と関わる。  「万葉」の単純、簡潔、凝縮力、多様性などを俳句に生かす刺激剤としたい。そして同じような短詩 形としての喚起力をもつ「漢詩」を読み継ぐ。芭蕉も漢詩の影響は強くうけている。いつしかこの二つ を読むことは日課となってしまった。「万葉」、「漢詩」については、何より今NHKで、月曜から金曜 日まで、5分間の番組をやっていて、自然に接することができる。  もっとも、陶淵明は、朝霧高原の一角に定住するにあたり、隠者的な生活にもなると考え、もともと ゆっくりと読むつもりではあった。今では、「詩経」なども読んでいるが、あくまでもボチボチである。  「白川静」、「空海」はそういった中で重要になってきた。 「白川静」の漢字学の正統性はいまでもよくわからないが、漢字の成り立ちに於いて宗教的、呪術的な ものが背景にあったという示唆は刺激的であり、創造性を掻き立てる。また、「万葉」「詩経」の直接 の著書もあり、刺激度もまそうというものだ。  「空海」は若い時から関心があり、三冊本の空海全集もいまだに残っている。大宇宙と共にいきると いうぼくのテーマとかさなる存在ではあるが、「漢詩」との流れで言うと、彼の「性霊集」は、自然と ともに生きる姿勢が十二分に発揮されていて、刺激的な本だ。また、「文鏡秘府論」は、詩をつくるも のには、刺激的な本である。もっと簡単に手に入るようにと思ったりする。  「ユング」も若い時からよく読んでいた。こうして再読をはじめたわけだが、ずいぶん色々な本を処 分してきて、ユング関係がそれなりに残っていたのは、縁があったといえるだろう。「自己探求」など のテーマを考える上でも無意識を含めて重要な存在だが、ただパラパラめくるだけでも、色々な事を考 えさせてくれる。「影」「ペルソナ」などのキーワードも喚起的である。  というわけで、俳句に重点をおきつつ、精神生活もゆたかなものとしつつ生活していこうと思ってい ること、また更新はかならずしも、近々ではないことも述べてこの項を終える。           目次へ   東日本大震災(2011.4.11.)  前回更新をした後、あたらしく更新を準備しようとしていたところ、東日本大震災が起こった。 原発関係者や地震学者などには言って欲しくないが、まさに「想定外」の地震、津波、原発事故の三重 苦で、亡くなられた方々、被災者の方々には、言葉はない。  それはまた、日本人が忘れてしまっていたさまざまな事を思い出させた。  富士宮を震源とする震度6強の地震もおこり、また原発事故による計画停電なども加わり、ぼくたち もそれなりに混乱に巻き込まれた。  退職後に予定していたモンテーニュの本格的な再読は、まだ始めてはいない。同時代人モンテーニュ は形は違え、血で血をあらそう狂乱の宗教改革の時代、寛容を説き続けた。彼は書くことを選んだ。  さて、関東大震災のとき、文芸の無力さに対して、芥川龍之介は次のように言っている。「芸術は生 活の過剰ださうである。成程(なるほど)さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるも のは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧(た く)みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にする ことである。」  それとは別に、自然から大きく逸脱しようとする人間たちの一種の文明批判として、ぼくは「地球に 死なれてしまうよ(2010.2.11.)」という詩を「森の中のモンテーニュ」に載せている。今回の原発 に関わる地震に焦点をあてて詠んでいるわけではないが、再録しておく。    地球に死なれてしまうよ  (2010.2.11.)  多い。賢い人が多い、自分の方がすぐれていると思っている賢い人が。  少なくとも、自分はすばらしいグループに属していると思っている人が。  他のグループは劣っている。  それもいいだろう。  だが、あまり極端にはいきすぎないでよ。  本は書かれる。理論は生産され、増殖する。  哲学者は語る。哲学は、進まない。  政治家は語る。反対派を断罪する。断罪された側が相手を断罪する。  無限地獄の応酬だ。  世界経済の時代だと資本家たちはうそぶく。グローバルの時代だと。  貧しさを背景に、自分達だけの正しさを声高に叫ぶ宗派。  そして、貧しさを、滅び行く生き物を救おうと正義の人達がさらに破壊的になっていく。  環境破壊・・、関係者たちも、市民たちも、自分達以外のものたちの責任だと思い続ける。  人間って、弱いよな。  人間はしかたないのか。  普通のやさしさで生きることはできないのか。  比べながら生きるほかは。  非難しあいながら生きるほかには。  富士山は堂々とそびえている。  地球の上に根をはって。  だけれども、人間、こんなことやってたら、    そのうち    富士山だけでなく、  地球に死なれてしまうよ。            目次へ   ドラッカー(2011.5.9.)  最近この欄にふさわしい文は書いていない。「気になる俳句」で書いた文でこの欄にも通用しそうな 部分を転載しておくことにする。  「もしドラ」(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』) がベストセラーになり、またテレビ放映されたり、ドラッカーは一種のブームになっている。ぼくもそ の流れの中で、はずかしながらついつい『ドラッカー名言集』を読んでしまった。  後悔はしていない。それなりに有益な面もあった。  ぼくにとっては、彼が言っている次の二点があらためて面白いと思った。  1.「唯一の正しい答えはない」とともにイデオロギーの終焉を語っていること。  2.イノヴェーションの重要性、背後には「すべては陳腐化する」つまり変化、革新への大切さを強 調していること。  俳句と結びつけられる面もある。  イノヴェーション、変化の重要視は、図書館でふと手にした小澤實編『おとなの愉しみ 俳句入門』 にもあらためて感じた。小澤さんは言っている「一見隆盛を極める現在の俳句界ですが、昭和期の遺産 にもたれかかり、食い潰しているといった印象を否定できません。大袈裟にいえば、表現の革新を目指 すといったような気概に欠ける気がしてなりません。」また自身の俳句観のスタンスを「前衛的立場を 愛おしむ伝統」ということになろうかと言っておられる。イノヴェーションの立場を意識した発言だ。  かつて小澤さんが編集長をされていた「鷹」は、主宰の藤田湘子がかつて現代俳句協会の幹事長をやっ ていたり、副主宰格の飯島晴子などを含め、イノヴェーション的な面も結構大きかったようにも思える。 そういう自由さにひかれて入会したわけだが、ぼくが「鷹」入会したころには、「鷹」も大きなまがり かどにきていた。「俳句における新」を言い通づけておられた湘子先生だが、大結社をまとめる苦労も あったと思うが、すでにシフトは俳人協会になされていて、俳人協会員のメンバーの比率が多くなって いた。勿論、現代俳句協会が前衛とは限らないし、俳人協会が後衛というわけでもない。前衛でも <陳腐化>した前衛もありうるのである。  ぼくも「鷹」の同人になった時には、現代俳句協会、俳人協会のどちらかに推薦するとの知らせを受 けたが、どちらと決められないまま、なるべく集団的な行動はしたくないという性向からどちらの推薦 もうけなかった。  ところで、俳人協会新人賞もうけた小澤さんの同書にある自己の立場の表明「前衛的立場を愛おしむ 伝統」は、俳人協会、俳句界のある種の健全さを表している。  よくは知らないが、現代俳句協会から俳人協会の分裂は、作品の評価をめぐる幹部俳人たちの個人的 な軋轢からとも思えるが、また一種のイデオロギーの闘争でもあったとも思われる。「唯一の正しい答 え」をめぐっての争いのようにも思われる。俳句と言う小さな世界、ガリバーの小人国の卵をめぐる争 い、卵の殻の正しい割り方は大きな方から割るか小さな方から割るかについての意見の違いに由来する 争いと同じように思える。もうすこし自由に考えていいのではないかと資本主義、共産主義、全体主義 の軋轢と破産を見つめてきたドラッカーにかけて、ついつい言いたくなるのである。  といっても、言葉でイノヴェーションというのは楽だが、実際どう展開していくかは、実に難しい問 題だ。各個人ががんばるより他ない。単純に他を排斥しないで。一見古くさくても、新しいものもあっ たりするのである。           目次へ   富士登山(簡単な報告)(2011.8.15.) モンテーニュについては、ここしばらくは書くことはないであろう。 自然の中の生活の一端として、最近の富士登山の簡単な報告だけ書いておく。 細部についてはそのうち俳句に生かせたらと思っている。  8月3,4日と富士山に登った。何十年ぶりかである。  かつて登った時は、ベテランと一緒だった。静岡大学の教員には、南アルプスが近いというだけで、 静岡大学へ就職をしてくる人もいて、登山のベテランが多い。その後、三千メートル級の山の幾つかに もつれていってもらった。  自分でコースを決めたわけでもないので、こまかいことは大部分忘れている。連れて行ってもらった 場合には、よく起こることである。  今回も富士宮口からの登山で、弟と二人で登った。  結果だけかく。天気予報は不安定な天気との予報であったが、初日は一部は晴れ、霧もでて、雨も降っ たが、一部晴れたことによりそんなに悪くないものと思えた。夜、九合目の山室から南の暗い広がりの 中で家々の明かりが、美しく印象的であった。特に二日目は天気もよく、頂上からは駿河湾も見え、遠 く雲海の上に南アルプスも見え、田貫湖、我が家を隠している森もはっきりと見えた。  体力の衰えからか、同行の弟に一寸待ってもらったりして、ゆっくりと登った。高山病にならなかっ たのも、そのゆっくりさのお陰かとも思っている。  弟の提案通り、九合目の山室にとまり、ご来光はそこで迎え、頂上を目指すことにしたが、無理のな い行程でよかったと思っている。  天気もよく、頂上は実に気持ちがよかった。火口の風景もあらためて思いだした。昔大日信仰もあっ たことなど思い、ある種の厳粛な思いも感じた。剣ヶ峰から我が家を秘めている森も見えた。  問題は下山のとき起こった。登山道もそれなりに整備され、特に山室のあたりでは、階段状に整備さ れている。段差が大きい。そのうちその段差を素直に下りているうちに、つまり右足で地に着くのがぼ くの癖で、それを繰り返しているうちに、右足の腿を痛めてしまった。下りる速度も落ち、休むことも 多くなり、弟には迷惑をかけたが、予定の二時間オーバー程度で、午後三時には、新五合目についてバ スにのった。富士宮駅の手前の浅間神社でバスをおり、山口県からきた弟に湧く玉池などを案内した。  翌日の朝、田貫湖から陣馬の滝を案内した。陣馬の滝は湧水が滝となって落ちる白糸の滝の小型版で もある。弟は太鼓のようにとどろく滝の響きに感心していた。           目次へ   戦争についてのありふれた思い(詩)(2011.8.25.)    (16世紀、あの残酷な宗教戦争の時代、無益な戦いを糾弾し続けたモンテーニュ。別にそのことを 意識してわざわざこの詩を書いたわけではないが、載せるとなるとここしかないので、載せておく。)     戦争についてのありふれた思い  夏が来た  夏、なにかと戦争のことが思われる夏  知識でしかない戦争 聞いたことでしかない戦争  それでも  戦争の中で死んでいったものを思う  傷ついたものを思う  兵、戦士だけではない、庶民たち、父、母、子どもたち、若者  南方の島 満州、広島 大東亜     無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死    生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず  無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死  逃げる途中わが子を殺さざるをえなかった母  戦場では鬼にならねば生きられなかったと語る八十翁  彼らもすでに死んだか、死のうとしている  生き残った悔い、恥じ、おろおろ生き続け、死のうとしている  知識でしかない戦争 聞いたことでしかない戦争  突然涙が出る 偽善の涙だろうか  ぼくは 一歳で戦争の記憶はない  そのぼくがすでに老人なのだ  空襲の中、逃げ惑う母に負ぶわれていたという  母の背中の記憶はない  父親が戦死した友達も多かった  家族が原爆でなくなった友達もいた  満州から引き揚げた友達も多かった  少年時代、祭りの夜、傷痍軍人がならんで、募金箱を首にかけていた  一歳の時 戦争が終わっていなかったら  僕らは、軍国少年として、成長したかもしれない  恐ろしいことだ 悪夢だ  無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死    生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず  無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死  突然涙が出る 偽善の涙だろうか  偽善の涙だろうか 涙が出る   偽善の涙ではない  が、涙は出る ともすると乾いてしまう涙がでる  涙が湧く   湧けばいいものではないが 涙が湧く  夏の底から 真夏の底から  日本の過去の水脈から   その涙は今も各地で起こっている戦乱とも無縁ではない  今から起こるかもしれない戦争とは無縁ではない  人間の闇に続く深い深い水脈から  涙が湧いて出る  湧けばいいものではない 湧いてそれで終わるものではない  夏が来た  夏、なにかと戦争のことが思われる夏             目次へ   錯覚、錯視、思いこみ、懐疑論(2011.12.3. 2012.1.7.修正)  最近トリックアート関係の本を読むことが多かった。  それにつけて気になることがある。  錯覚、錯視を含め、人間がいかに不完全で愚かであるかを痛感することが多々ある。  だからといってことさら人間存在の尊厳さを否定するものではない。実際感動的な光景も多々ある。  一方、自分だけの正義をふりかざす人間が政治を含め社会を混乱に落としている。  正論はもちろん結構なことである。しかし、正論といっても限界があり、正論だと信じて主張する人 にも、自分の正論の中に人間である限りさけられない誤謬を持ち込んんでいることを忘れていたりする。  錯覚、錯視、勘違い、思いこみ、等々、忍び込む余地は限りなくあるのだ。  このぼくだって、偏見、誤解だらけだったりしかねない。人間であるかぎり陥る「錯覚、錯視、勘違 い、思いこみ」を自分なりに見ていきたいが、論に仕上げるつもりはない。  今まで言及してきたがまだ十分な展開をしていない懐疑論もこの作業の一環にあるものといえる。  懐疑論も論としてしあげるつもりはなくなっているが、その視点は常に持っていきたい。  作品評価  歴史評価  人物評価  など、いわゆる「評価」においても、それぞれ個人の「錯覚」「思いこみ」「偏見」等がついつい現 れてしまう。  絶対主義のどうしようもなさはともかく、視点の自由さ、柔軟さを持つ相対主義にも何かを見失う危 険性がある。はたして人間に通底する真理とはなにか。議論は人類が滅びるまで、永久運動のように続 けられていくだろう。  なお、錯覚についていうと、トリックアートの本などでよく紹介されるものに、遠近法を背景として 書かれている二本の線が、長短があるように見えるが、かかれている線は実は同じ長さであるというの がある。しかし人間に遠近法を感知する能力が脳にあることによって世界が豊かに見えるし、危険も避 けることができる等々の点もあり、錯覚を引き起こすものとして切り捨てるわけにはいかない。  錯覚一つとっても簡単には排除できないものである。             目次へ   大用現前、軌則を存ぜず(2012.2.15.)  しばらく更新をしていない。考えていないわけではないが、俳句に時間をとられているのが現状だ。 そんななかで、書いてもいいかなと言う禅語に、再会した。  「大用現前、軌則を存ぜず」という言葉だ。つまり「自然は人工的な規則などとは無縁な、大用現前 (眼の前で現象している自然そのものは大きく働いている)があるものであり、人間の判断や規則が及 ばないものである。」この言葉は、たとえば俳句には俳句なりの規則がある。ただ、そういった規則的 なものを意識しつつも、それに縛られることなく、自由に発想をして、大きな意味での自然を表現する ようにするといったかたちで、活用できる。大きなものを見つめていきたいものだ。  さて、ネットを見ていると、感心するものに出くわすこともある。ここのところでは、「逆説の10カ 条」で、ケント・M・キース著「それでもなお、人を愛しなさい」(早川書房 )に収録されているよう だ。採録してみよう。  「逆説の10カ条」        1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。 2.何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもな お、良いことをしなさい。 3.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。 4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。 5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で素直なあなたでいなさ い。 6.最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるか もしれない。それでもなお、大きな考えを持ちなさい。 7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦い なさい。 8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。 9.人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。そ れでもなお、人を助けなさい。 10.世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもな お、世界のために最善を尽くしなさい。  「逆説」とことわってあるが、仏教、禅の教えと重なる部分が多い言葉だ。この世は苦に満ちている、 無常な世界であることを認めた上でどう生きるかをのべているともいえる。そういったことにかかわら ず、それらに執着せずに生きることをすすめているともいえる。執着しない、こだわらない、そして何 よりも諦めない。  まず、生きていくことがだれにとっても容易でないことをあらためて認識することである。この世が 苦しみに満ちていること、そして困難にさらされているのは自分ひとりではないことを自覚する。あき らめないこと、とにかく生き続けていくことである。あまり悲壮感にとらわれることなく、ふーと大き く深い呼吸をして、どうにかなると思い定めて。  これは、ニーチェの「運命愛」に通じるものでもあろう。  「やむをえざる必然的なものは、私は傷つけはしない。運命愛は、私の最も内奥の本性である。 (ニーチェ『この人を見よ』)」           目次へ   『菜根譚』(2012.3.20.)  禅の本など読むことが多い。時々禅寺で禅を行なったりしている。だが、果たしてその真髄を捉えて いるかといわれるとあまり自信はない。悟りとなるとそう簡単ではないし、一体悟りができている人は 禅坊主などでもどれだけいるものかとも思ったりする。もちろん、悟りには至らないとはいえ、禅関係 の本の読書の一部は自分の考え方、生き方にいかされていると思いたい。しかし他人に禅とはとかいっ て説いたりするのはあまりぞっとしない。  果たして読書で禅ができるかとも思う。だが、便利な本がある。『菜根譚』である。もちろん禅の本 ではない。この本は短い文章の集合となっていて、禅、そして老荘的、孔子的な面をたっぷりと含んで いて読みやすく、心の平安を保つために読むに耐える本となっている。面白いので、自然に色々な版本 も揃えることにもなり、いつしか十冊を超えてしまっている。  中野孝二ではないが、彼と共に「一つの短い言葉の群の中に一つの思想全部を、そしてその思想の中 にその時代の全部を読むことが可能なのだ」(『生きる言葉』)という確信をぼくも持っていて、理論 的で難しそうな本より、短い言葉の効果を信じていて、短い文章中心の『菜根譚』を重用するのもこの 心がぼくの中にあるからでもある。  おまけに、次のような便利な言葉を利用しない手はないと思ったりしているので、余計に『菜根譚』 を読み直したりしてしまうのだ。  境野勝悟の『菜根譚に学ぶ人間学』の帯の次の言葉である。つまり、「千日の修行より、『菜根譚』 の一頁。」キャッチフレーズとしても悪くない。必ずしも禅の修行をいっているわけではないだろうが、 何かをえようとするものには、与えられるものは少なくないと思う。要するに、バランス感覚に満ちた 本である。修行、修行と力むのも一つだが、バランスをとることによって十分実りのある修行にもなり うるとも思えるのである。ただし、理論好きにとっては、あまりに「俗」の匂いが強く、反発を感じる かもしれない。ただ、人間は自分が思うほど、理論的な存在ではない。  「空」、「無」は禅修行の眼目だが、禅の本だけで理解するのは難関だ。ただ、次のような『菜根譚』 の言葉をおぎなえば理解がさらに進むように」思える。シンプルに思想が表現されている。   真空は空ならず。執相は真にあらず。破相もまた真にあらず。  (仏家のいう「まことの真」とは、大いなる実体であって、たんなる「空」ではない。現象に執着す れば実体を見失い、現象を無視しても実体はつかめない。)                             (『菜根譚』守屋洋訳)  今回は、余計な注釈はやめて、示唆的きな「短い言葉」を引用するにとどめておく。  人生の福境禍区は皆想念より造成す。  (幸福不幸もすべて心の持ち方から生まれてくる。)                              (『菜根譚』守屋洋訳)  天地は永遠であるが、人生は二度ともどらない。人の寿命はせいぜい百年、あっというまに過ぎ去っ てしまう。幸いこの世に生まれたからには、楽しく生きたいと願うばかりでなく、ムダに過ごすことへ の恐れをもたねばならない。                (『菜根譚』守屋洋訳)  人間の心は宇宙と同じようなもの、そのなかに、すべての宇宙現象が生起している。  すなわち、喜びの心は瑞祥を下す星や雲、怒りの心は雷鳴や豪雨、思いやりの心はそよ風や甘露、き びしい心は炎天や霜にあたる。  人間の心に起こるこれらの現象も、起こったかと思えば消え、からりとしてわだかまりを残してはな らない。そうすれば宇宙の現象とそっくり合致することができる。                              (『菜根譚』守屋洋訳)  逆境にあるときは、身の回りのものすべてが良薬となり、節操も行動も、知らぬまに磨かれている。  順境にあるときは、目の前のものすべてが凶器となり、体中骨抜きのされても、まだ気づかない。                              (『菜根譚』守屋洋訳)  小人からは、むしろ憎まれたほうがよい。取り入ってこられるよりも。まだましだ。  君子からは、むしろ厳しく叱責されたほうがよい。見放されて寛大にあつかわれよりも、はるかまし だ。                           (『菜根譚』守屋洋訳)  人間は所詮あやつり人形にすぎない。  ただし、あやつる糸をしっかりと自分の手に握りしめておけば、一本の乱れもなく、引くも伸ばすも、 行くもとどまるも、自由自在、すべての意思で行うことができる。  いっさい他人の指図を受けなければ、身は俗世にあっても、心も俗世を超越できるはずだ。                               (『菜根譚』守屋洋訳)  幸福は求めようとしても求められるものではない。つねに喜びの気持ちをもって暮らすこと、これが 幸福を呼び込む道である。                 (『菜根譚』守屋洋訳)  真空は空ならず。執相は真にあらず。破相もまた真にあらず。  (仏家のいう「まことの真」とは、大いなる実体であって、たんなる「空」ではない。現象に執着す れば実体を見失い、現象を無視しても実体はつかめない。)  (『菜根譚』守屋洋訳)  この山河さえ、やがて微塵となって砕け散るのだ。まして、ちっぽけな人間など、あとかたもなく吹 きとんでしまう。  人間の肉体はもともと泡の影のようにはかないもの。まして功名富貴など、影のまたかげにすぎない。  だが、すぐれた英知を持たなければそこまで悟りきることはできないのである。                              (『菜根譚』守屋洋訳)           目次へ   自由と覚悟(2012.7.29.)  この項目、最近ほとんど更新していない。  佐々木敏光句集『富士・まぼろしの鷹』出版の前後のあれこれにかかわりきっていたせいもあるが、 俳句に集中したいという思いが、モンテーニュを扱いたいという思いをこえて強くなってしまったの が現状である。もちろん暇を見つけてモンテーニュの読書は続けたい。今回「気になる俳句」で、たま たまモンテーニュも大いに影響を受けたセネカについて触れたので、ここに再録しておく。        ☆  今回は具体的な句を引用しない。ただ自立的に俳句をつくるには、それなりの「覚悟」が必要で、そ のことににかかわる文章を引用する。最近再読することが多い、セネカの文である。  さて、セネカであるが、最近よく読み直している。ぼくの好きなモンテーニュの先達であり、と同時 にぼくの好きな老子、禅に通じることの多いローマの哲人である。琴線にふれる言葉が少なくない。  お稽古事としての俳句は先生のおっしゃることを忠実に実行すればそれでいいが、すくなくとも自立 的に俳句を考えるような状態にいたれば、ある覚悟がなければ、前進できなくなる。  そこで、自由と覚悟に触れたセネカの文を引用することにする。読みやすさを考え、草柳大蔵訳 『セネカ わが死生観』を使う。「賢者の不動心について」の部分である。  本当の自由とは、中傷など気にもとめず、わが心を喜びの湧き出る唯一の源泉とし、目に見える さまざまなことに思い煩わされない精神を持つことである。  世論に左右されて行動する人たちは、中傷と侮蔑の渦巻く中で暮らすことを覚悟しておかなくてはな らない。覚悟ができていれば、ことはいくらか軽く感じられるものであるから。  なお、上記の文章のなかの「わが心を喜びの湧き出る唯一の源泉とし」は俳句も文学である以上、表 現にあたっては心すべきことである。もちろん、湧き出るといっても、それはしばしば「もの」に触れ、 「こと」にふれ「湧き出る」ものであり、かならずしも抽象的なものではない。             目次へ   あおいくま(2012.12.10.)  久しぶりの更新である。  合田正人『心と身体に響く アランの幸福論』を読んでいる。この本を買ったとき、ついでに、ゲー テやニーチェ関係の本も買ってしまった。三者ともモンテーニュにもつながる著者群ともいえる。  アランの発言の一部は、すでに「(西洋等々)の知恵」にのせていが、アランのモンテーニュに対す る発言を合田の本から引用しておこう。  「数多くの本を読んだ後でモンテーニュを読んでみたまえ。諸君は語られたことのみならず、語るそ の仕方にも魅了されるだろう。」(『哲学者たちについてのプロポ』)  また別の本から、「モンテーニュはこの(宗教的な哲学の)長い夜の果てに出現した曙光である。古 代の教養に培われた彼は、論理学がしかける罠をねばりづよく徹底して疑うことで掌握し、人間である ことに耐え忍んでよく死ねとさとしてくれるストアの叡智にゆるぎない判断でしたがうことによって、 判断だけを、つまり神なき人間をふたたび描きだした。想像力、迷信、先入見、情念に立ち向かう驚嘆 すべき精神力は、『エセー』のなかに脈々と流れている。『エセー』は体系もなければ証明への熱狂も 見あたらない、おそらく唯一の哲学書だろう。」(アラン『小さな哲学史』) いずれにしても、モンテーニュを久しぶりで読んでみたいと思った。  ところで、「NHKのファミリーヒストリーで」でまさかのことに出会った。ものまね芸人コロッケに ついての番組であった。  くわしことは書かないが、母子家庭であったコロッケの母親がよく言っていた、またコロッケ自身が 困難に会うたびにいつも念じていることば、「あおいくま」の話がでてきた。いわゆる座右の銘、庶民 の知恵である。なかなかいい言葉だと思った。奇しくも禅の精神に通じている言葉でもある。  青いクマ あおいくまの頭の文字を次のようによむ。 「あ」 あせるな 「お」 おこるな 「い」 いばるな 「く」 くさるな 「ま」 まけるな  番組でも、禅宗の建仁寺に取材にいく。建仁寺などでもつかわれている禅の生き方にかかわる言葉で もある。建仁寺では「おいあくま」になる。財界人でも使っているひとが多いいようだ。庶民レベルで はには「あおいくま」になる。道元の禅の教えからきているとナレーターが言っていたが、本当の所は わからない。 「お」= 怒るな。  「い」= 威張るな。  「あ」= 焦るな。  「く」= 腐るな。  「ま」= 負けるな。  建仁寺は臨済宗であり、間接的にはともかく道元が直接関わっている云々とは考えられない。ただし、 そこに禅の教えが反映しているといいかえればそうかも知れないと思う。  たとえば禅の「食事五観之偈」などにも「三つには心を防ぎ、過を離るることは、貪等を宗とす」と あり、「三、むさぼり、いかり、愚かさといった迷いが起きないようにしよう」とも言い換えることが できる。  また「おいあくま」の説明に「武田鏡村さんは、もともとは曹洞宗を開いた道元が、欲望や喜怒哀楽 といった煩悩や感情を捨て去って、心穏やかな境地になるために、座禅を勧めている。そうした 「禅」 の教えだと解説してくれています。」とネットの日比野さんのコラムにのっているが、  精神修養としてよくできているとは思うが、「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」 には、無を中心とした無所有などのあられ、つまり「あせるな」はともかく「知足 (足るを知る)」と いった面は十分に表されていない。  禅に基本的な因子はあるはずである。ps細胞成立の遺伝子に四種あるようであるが、禅の基本的な因 子を五種類に要約できれば、禅の精神を新しい「おいあくま」として表現できるだろう。無理に作り上 げようとは思わないが、これからの課題でもある。  ぼくは、禅の精神を一語では、「知足 (足るを知る)」だと思っている。それは禅の重要語である「我 執」にとらわれないことと裏腹な関係があると思う。そこから色々な活動が生れ、無駄な活動が意識さ れる。  勿論、空海が宇宙的な「大いなる欲望」を肯定したように、生きるネルルギーとしての欲望は必要だ が、必要以上の欲望は人類を滅ぼす。「知足 (足るを知る)」が必要になる所以である。          目次へ   久しぶり(2013.5.8.)  久しぶりの更新である。  俗論も悪くない。俗論はビジネス書としてあらわされることがある。ビジネス書以外もあまたある。 偉大なる思想家と呼ばれる人たちの論を解きほぐした書にもあらわれる。  以下引用するのものがどんな位置をしめているかかどうかはわからない。これらの論、勿論百パーセ ント正しいとは思わないが、それなりに教えられるところもあるはずである。偉大なる思想家と呼ばれ る人たちの論もはたして百パーセント正しいとはいいきれない。百パーセントの正しさは、人間の及ぶ ところではない。  ぼくは現在東洋思想、特に仏教(ことに禅)、中国思想(特に老荘)、また西洋思想も、モンテーニュ など、論理一点張りでないヒューマン的なものを中心に考えを進めている。おおざっぱにいえば東洋思 想の復権ということになるであろう。  俗論を二つ、引用してみよう。一種のビジネス書ではあるが、いわゆる人生の書と通底するものも結 構あり、それなりに考えはじめる端緒にはなるだろう。  いずれにしろ、己の立つ位置によって、判断は色々分れるであろう。色々の立場の共生がのぞまれる。 『凡事を極める』 樋口武男 十二カ条 成功する人                失敗する人 一、人間的成長を求め続ける         現状に甘え逃げる 二、自信と誇りを持つ            愚痴っぽく言い訳ばかり 三、常に明確な目標を指向          目標が漠然としている 四、他人の幸福に役立ちたい         自分が傷つくことは回避 五、良い自己訓練を習慣化          気まぐれで場当たり的 六、失敗も成功につなげる          失敗を恐れて何もしない 七、今ここに一〇〇パーセント全力投入    どんどん先延ばしにする 八、自己投資を続ける            途中で投げ出す 九、何事も信じ行動する           不信感で行動できず 十、時間を有効に活用            時間を主体的に創らない 十一、できる方法を考える          できない理由が先に出る 十二、可能性に挑戦し続ける         不可能だ無理だと考える 『時間に支配されない人生』ジョン・キム 途方もない成長を遂げるための7章 序章 時間を支配する  時間を使うとは命を削ること  自分が成長できる場だけに身を置く  一分一秒に明確な意味を持たせる  人生を短くしているのは自分自身  未熟さを知ることが成熟への第一歩  八割のムダな時間を削ぎ落す 第1章 渇く  渇望からすべての成長は始まる  内面に揺るがない評価軸をつくる  内面の基準が確かな人こそ「できる」人  原因を外部に求めてはならない  結果の最終評価者は自分  幸福とは明日ではなく今日求めるもの  欲望を厳選し生活をシンプルにする 第2章 聞く  会話の八割は聞くことに徹する  相手が表現しきれない部分まで聞く  一〇個主張するうちの九個をゆずる  他者の同調を求める人間は弱い  正しさを振りかざしても伝わらない 第3章 読む  模倣に創造を混ぜてストックする  便宜上のジャンルにとらわれずに読む  三回読めば完全に自分のものになる  失敗なくして優れた本には出会えない  行動が伴わない読書は空虚 第4章 選ぶ  前例があることはやらない  正解に到着する道はいくつもある  迷うことを躊躇してはならない  相談は答えを得るために行うのではない  断りにの「ノー」は内面への「イエス」  転職を一〇〇回できる人はすばらしい 第5章 掌(つかさど)る  ネガティブな感情を檻に入れる  現実の理不尽にまみれつつ穏やかでいる  他人の自由意思を認める  怒りの感情を察知したら三秒数える  不安を心配に変えてはいけない 第6章 創る  創造は異端から生れる  つねに三本脚のイスをイメージする 創造は背伸びした模倣から生まれる  異質なものが集まるから美しい  多数決のよる真実を疑う 第7章 進む  自分にとっての幸福を自問する  美は見出そうとする人の前に現れる  天性の才能などはすべて無視せよ  居心地のよさに安住してはいけない  逆境こそ人を成長させる  自然に身をゆだねて一度死んでみる  運命を超越する自分をつくる   残されたことは、自分なりに考えるだけだ。丸暗記でなく、自分の血肉にしていくことだ。          目次へ   久しぶり・とりあえずハイデッカーなど(2013.8.4.)  久しぶりの更新である。理路整然とはいかないが、一応書いてみよう。  最近、モンテーニュについては、ほとんど時間をさいていない。  もっぱら俳句を中心に毎日が動いている。  といっても、モンテーニュにも通じる東洋思想の本は読むことは多い。禅、老子、荘子等々。  また、時には、ニーチェやゲーテ、ハイデッガーなど西洋の本もよもうとすることもあるが、ニーチェ やゲーテは東洋思想の本を読むような気分で読んでいる。さすかハイデッガーはアタックしても難しす ぎてお手上げである。  最近、大峯あきら著『花月の思想』を読んで、ハイデッガーのある面はわかった。あくまでもある面 であって全体像ではない。    無理にいいくるめると、このエセーの第一回目にあたる「「天地同根」「万物一体」」に通ずる面で ある。大峯は哲学者というより俳人として、ハイデッガーを日本の伝統文化に通底するプラトニズムや キリスト教りも以前の思想への回帰論を晩年に展開している。  技術文明のいきづまりへの考察の中からでてくる思想である。(文明災ともいえる原発問題にもかか わる。)  複雑さをさけるため引用をしておこう。   物を支配しようとする態度と別な人間の生き方です。ハイデッガーは十九世紀の詩人ヘルダーリン  (一七七〇−一八四三)にみちびかれて、この生き方を初期のギリシャの思想の中に見つけています。   すなわち、今日までのヨーロッパ精神の伝統をつくってきたプラトニズムやキリスト教よりも以前   の思想、今では忘却された思想の中に、テクノロジーのヨーロッパというものを救う道を探ってい   るのです。  このことが、日本の伝統文化と通じあうと大峯はいうのである。   私たちの伝統文化はたしかにテクノロジーを生み出すことができませんでした。技術文明を尺度に   しますと、これは一面ではわれわれの文化のマイナスを意味しますが、今日の人間の問題としては   まさしくその点がかえってプラスになると思います。   それは、自然の物を人間の手で支配し管理する冷たい客体と見る代わりに、人間とともにこの宇宙   の中に生きている親しい友と見る思想です。  あとは、「芭蕉の風雅」の思想が、こういった考えと響き合うと、俳句論にかさなる論が展開される が、ハイデッガーは芭蕉の「笈の小文」にある次の文の結論に利用されるのである。   その貫道するものは一つなり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。   見るところ花にあらずといふことなし。思ふところ月にあらずといふことなし。   像、花にあらざる時は夷狄にひとし。心、花にあらざる時は鳥獣に類す。   夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。  結論としては   それゆえ風雅とは花や月の美的享楽ではないのです。(中略)   自分が心において花そのもの、月そのものになるということがなければなりません。それは人間を   宇宙の中心と考えるような狭小な自我意識を離れて、人間が他の生きとし生ける物たちとひとしく   共有している根源的なもの、すなわち「造化」の地平に向って、われわれの心を開くことです。   芭蕉のいう風雅とは、そういう一種の宇宙的視座のことだといってよいでしょう。  である。さきほど「このエセーの第一回目にあたる「「天地同根」「万物一体」」に通ずる面」があ ると言った所以である。  ところで、ハイデッガーの   「ただ言葉があるところにのみ世界がある」   「言葉は存在(Sein)の家である」  といった発言も気になる。かみ砕いて表現するのはむつかしい。ぼくもかみ砕いていないからだ。        ☆  その他、最近面白いと思った言葉につぎのようなものがある。  1)沙也可(さやか、1571年? - 1643年?)、文禄・慶長の役の際、加藤清正の配下として朝鮮に  渡ったが、投降して朝鮮軍に加わり、火縄銃の技術を伝えて日本軍と戦ったとされる人物であるが、  おおよそつぎのようなことを子孫にのこしているようである。       党派にくわわるべきではない。    栄達をかんがえるべきではない。    田畑をたがやし、学問をし、自分なりに立派なひとになるのだ。    それだけだ。  2)マルクスが言っているようだ。   「豊かな人間とは、自身が富であるような人間のことであって、富を持つ人間のことではない」   「自らの道を歩め。他人には好きに語らせよ」  3)ケインズもそれなりに言っている。   「この世で難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、精神の隅々にまで根を張った   古い考えを忘れることだ」。   5)大観はある画家に、檄をあたえた。    「天霊地気」 つまり「天地霊気」を感じつつ画業にはげめということになる。  4)道元は書きだすときりがないが、最近かきとめたものだけ書いておく。    今日一日の命は、今日かぎりの、    かけがえのない命なのです。    今日一日の身体は、今日かぎりの、    かけがえのない身体なのです。    心を込めて一つのことに集中しなければ、    何一つ大切な仏法の智慧を    習得することはできません。    信念を持って正しい生き方をしようと    思うのであれば、    「名をあげて有名になることなど、どうでもいい」    という考えでいなければなりません。    目の前に仏がいるというのに、    「私の救いの仏は、どこにいるのだ」と、    あちこちを探し回るのは、愚かなことです。    この世で名声を得たとしても、    それはただ一時期のものにすぎません。    名声など、あっという間に消えてなくなって    しまうでしょう。    仏道の修行には、    「これでいい」というものはありません。    たとえ悟りを得たとしても、    さらに修行は続いていくのです。       静かな森の中に身を置くことも、    仏道修行になります。    さわやかな風の音、清らかな水の音に    耳を澄ましていると、    仏の声が聞こえてくるように思えます。    自然の音の中から、    ブッダの真実の教えが聞こえてくるのです。  今回はこれにて。          目次へ   久しぶり・とりあえず詩についてなど(2014.6.15.)  モンテーニュは気になっているが直接読むことは少ない。モンテーニュ的な生き方は常に意識しては いるが、実際は俳句に集中していている現在である。  ヴィヨンはさらにおろそかになっていて、最近雑誌からヴィヨンにかかわる原稿依頼がきたが、その 準備の大変さを考えてことわった。  俳句だがここしばらくは、森に隠遁するように、大正時代に隠遁していたともいえる。いわく、飯田 蛇笏、原石鼎、前田普羅といった俳句にとり囲まれてといった時期をすごした。得るものは多かった。 それをどう生かすかが今後の課題だ。  そんな中で、現代との接点ということでは、ぼくの詩をよみかえし、その中で変則的な形で出来た次 の「詩」を付け加えたくなった。 そういうわけで、七十代の唯一の詩として付け加える。    「四年前、2010年だったが」  四年前、2010年だったが、  「人間はしかたないのか。  普通のやさしさで生きることはできないのか。  比べながら生きるほかは。  非難しあいながら生きるほかには。    (中略)  だけれども、人間、こんなことやってたら、    そのうち    富士山だけでなく、  地球に死なれてしまうよ。」という詩句を含む   「地球に死なれてしまうよ」という詩を作った。  一年後、「東日本大震災」がおこった。  その後、高野ムツオ主宰の俳句誌「小熊座」から、一句鑑賞の原稿依頼をうけた。  いろいろ考えた末、   「骸骨のうへを粧(よそ)ひて花見かな」 上島鬼貫  についての文を送った。  これを引用する。果たして「詩」といえるものになるのかなとは  思わないでもないが、こんな詩もあっていいかなと思い、以下その  引用を含めて一つの「詩」として表現したい。     ☆  「骸骨のうへを粧(よそ)ひて花見かな」 上島鬼貫  依頼を受け直ちに高野ムツオの句「車にも仰臥という死春の月」をと思ったが  「小熊座以外の作品」をということで困った。  地震、津波は、たとえ想像力という文学の武器を使ったとしても、  ニュースや伝聞だけではぼくには詠めない。  ただ、つくられた句に感銘することはありうる。  上掲の高野ムツオの句を読んだとき、暫し唸ることになった。  現代の津波の風景が象徴的に凝縮されていた。  季語には「春の月」しかないように思えた。  芒洋として、しかも悲惨を含め確実に何かを照らす月。  ところで「現代句」ではないが、現代的な面を秘める鬼貫の    「骸骨のうへを粧(よそ)ひて花見かな」  は気になる句である。  とくに「マントルの上を粧ひて地球かな」とかいった無季の様々な「ざれ句」  へとぼくを誘発させるものがある。死(骸骨)という不可避なものを、  マントルというどうしようもなく死を内包する自然物に置き換えると、  文明という化粧をほどこしながら生きて行く人間の行き着く先の不安定さも  見えくるというものである。       ☆  四年前、2010年だったが、  「地球に死なれてしまうよ」という詩を作った。  今年の秋には東北に行く予定だ。          目次へ   『寝るまえ5分のモンテーニュ』(山上・宮下訳、白水社)を薦める(2015.4.19.)  『寝るまえ5分のモンテーニュ』(コンパニョン著、山上・宮下訳、白水社、2014年11月)を薦め る。  この頃は、俳句を中心とした生活をしている。かねてより残り少ない人生は、自分なりに創作に関わ る活動を中心にすごしたいと思っていた。そして今句作とともに読書なども含めてそうしているのであ る。  読書生活においても、モンテーニュの比重は極端にちいさくなっている。ヴィヨンはもっと少ない。 直接俳句俳句に関わるものでなくともその刺激になるものは比較的読んではいる。たとえば詩や短歌、 漢詩などは、詩人の辻征夫や西脇順三郎、万葉集、陶淵明などそれなりに読んでいる。禅や老荘思想の 本も多い。  さて、モンテーニュであるが、最近彼について書くことはなかった。そしてこれが最後になりそうで ある。俳句生活にしぼっているのである。  最近読んだモンテーニュに関わる本では、入門的な本とはいえ、しっかりとモンテーニュをとらえて いる本だと感心した本がある。  『寝るまえ5分のモンテーニュ』である。若い時代ぼくが勤めていたことのある白水社発行の本であ る。  四十のテーマを引用文を適切につかいながら、モンテーニュの世界をうまくまとめて紹介している。 帯に「本格派の入門書」と書いてあるが、その表現にふさわしい本となっている。  フランス16世紀という乱世の時代に生き、鋭い洞察力を柔軟な文体で表現したモンテーニュの基本 的な問題をうまくまとめて紹介している本書の細かい記述はやめておくが、最後の40の章の最後には、   「竹馬に乗ったとて、どっちみち自分の足で歩かなければいけないではないか。いや、世   界でいちばん高い玉座の上にあがったとしても、われわれはやはり、自分のお尻の上にす   わるしかない。」 というモンテーニュの文章を引用し、   「彼(モンテーニュ)は、裸一貫の人間、自然に従い、おのれの運命を受け入れる、われ   らの兄弟である。」 という文で閉じていることを書いておく。  最後にもういちど。『寝るまえ5分のモンテーニュ』(白水社)を薦める。            ☆ ☆ ☆ ☆ ☆  なお、次のモンテーニュの文を今のぼくの思いとしたい。すでに他の箇所で引用している文である。 俳句を通じてぼくもぼくなりに晩年を楽しく(?)充実させて生きることを考えている。     私の意図は、余生を楽しく暮らすことで、苦労して暮らすことではない。そのために   頭を悩まそうと思うほどのものは何もない。学問だってどんなに価値があるにしても、   やはり同じことである。私が書物に求めるのは、そこから正しい娯楽によって快楽を得   たいというだけである。勉強するのも、そこに私自身の認識を扱う学問、よく死によく   生きることを教える学問を求めるからに他ならない。                           (モンテーニュ『エセー』IIー10)          目次へ   これからのテーマ(次回以降) ============================================== ============================================== ==============================================    「やわらかい懐疑主義」     プラグマティズム     可謬主義    「中庸ということ」 ================   霧の宮(富士宮)   霧がおおい、朝霧高原    霧におおわれた世界の背後に現出するもの   ちっぽけなこと    日常生活の中から   新聞  森の中へは配達されない    新聞を読まない人たちは幸福である。なぜならば、彼らは自然に目を向げ、それを通じて神を見    るからである。  ソロー 「随筆集]   紅葉   富士西臼塚へ 鮮やかなグラデーション   森の主 ブナ    自然に属する 荒御霊           和御霊(にぎみたま) ================== 誰でももっている禍々しきもの 人形(ひとがた) 邪気を払う 秩序ある星のうごきとともに生きていく ================ 懐疑  伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』  伊勢田本は、哲学っぽく考えるとはどういうことかを明らかにし、それはもうちょい下世話でフツー のことを考えるときにも役に立ちますよと主張する。伊勢田さんが考える哲学的思考のキモは「ほどよ い懐疑主義」だ。懐疑とは自他の議論にツッコミを入れることを言う。本書の前半では、相手の議論を 再構成して、ツッコミどころを見つけるための方法が伝授される。ここだけ読むと、たしかにクリシン 本と勘違いしてしまいそう。  この本の白眉は第三章「疑いの泥沼からどう抜け出すか」だ。ここで、懐疑を途中でやめるための方 法として「文脈主義」が提案される。これはスゴイことなのだ。何せ、哲学的思考を活かすためには、 哲学的思考(懐疑)をうまいところでやめなければならない、と言っているわけだから。弾みのついた 哲学的思考を途中でやめるトレーニングが重要だと言っているのだから。  私は、こうした哲学観に賛同する。哲学は、チョットだけ過剰に考えるということだ。あくまで チョットだけ。こう言ってもよい。哲学はアチョーと暴走する思考の寸止め技術だと。うまく止まらな いと、「アイタタ」と言われてしまう。(戸田山和久) =========== 地球上、吸血鬼だけになり平和に暮らす世界 終戦後、絶対的なものはないと思った世代 ================ 子責(陶淵明) ============  カント   懐疑主義は人間の理性の休息所である。   しかし永久にとどまる場所ではない。  ソクラテス ============== 理性や知性の強制から心身の健康を守る 脳だけでやっていこうとする限界  心を受け持つ脳、体を受け持つ脳 のバランス ================ 大地 文明 わずか数千年 豊かな五感 豊饒な土地と草 Mの中のV =============== みんなが損をしない持続可能な社会 成就しなくても仕方ないと考える余裕 =============== 人間の寿命 80過ぎでちょうどよいかも ===============  われわれの世界も、歴史も、けっして無意味ではなく、といって唯一の確定した意味(le sense)を そなえるわけでもない。それらは複数の解釈の余地をつねに残した表現として、いくぶんか意味(du sense)を担うにすぎない。(メルロ=ポンティ) =============== ウィトゲンシュタイン わたしの思想を楽しむということは、わたし自身の風変わりな生活を楽しむということだ。     (『反哲学的断章』) =================== 乏しき時代の詩人 ============== フッサール:「哲学者でいたければ常識には背を向けよ」 ============ <絶対的な真理なんてない とは言うものの> 何が皆にとっての正義なのか、そこに絶対の答は存在しないだろう。 しかし、私たちが、共同的であろうとする限り、 そのことを問題にせざるをえないはずだ。       西研 「ヘーゲル・大人のなりかた」 ================ 結局、我々は、自分の脳に入ることしか理解できない つまり、学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。    養老孟司  「バカの壁」 ============ たしかに宗教はアヘン(麻薬)である。 だが、もし人が そのアヘンを拒否し 軽蔑できるとすれば、 それはその人がすでに 別のアヘンの安定した常習者 であるからに すぎないのである。            永井均「ルサンチマンの哲学」 =============== 私の心の限界が 私の世界の限界である。 =============== ほどよい懐疑主義 何せ、哲学的思考を活かすためには、哲学的思考(懐疑)をうまいところでやめなければならない、と 言っているわけだから。弾みのついた哲学的思考を途中でやめるトレーニングが重要だと言っているの だから。私は、こうした哲学観に賛同する。哲学は、チョットだけ過剰に考えるということだ。あくま でチョットだけ。こう言ってもよい。哲学はアチョーと暴走する思考の寸止め技術だと。うまく止まら ないと、、、。 ===============  『現代の問いとしての西田哲学』に収められた「世界の現われと隠れ」では、そこのところをもう少 し突っ込んだ言い方をしている。「もし世界を「現れの場」と解するならば、世界こそまさに、人間に おいて起きる、人間を越えたものの現象である。世界の現われも隠れもまさしく人間を貫いて起きるの であり、そのことは、同時に、人間の生死を越えたものが人間の生死をとおして、もっとも深く人間に 関わっていることと密接に関連している」(同、194―195ページ)。 ============================= さくら 散るさくら 言葉と美意識は離れがたい   やまとうたがなければ、その(さくら)の美しさを知ることができない ========== 生命、流れるもの 時、流れるもの ====================== 時は流れる。 三木清に次の文がある。「一時わが國の文化科學研究者の間に哲學が流行し、ヴィンデルバント、リッ ケルトの名を誰もが口にした時代があつた。それは主として左右田喜一郎先生の影響に依るものである。 私自身、先生の『經濟哲學の諸問題』に初めて接した時の興奮を忘れることができぬ。京都で聽いた先 生の講義も感銘深いものであつた。いはば文學青年として成長してきた私がともかく社會科學に興味を もつやうになつたのはその時以來のことである。その後マルクス主義が流行するやうになつたが、それ が日本の學界にもたらした一つの寄與は、それがやはり科學の研究者に哲學への關心を、逆に哲學の研 究者に科學への關心を喚び起したことである。今日いはゆる高度國防國家の必要から科學の振興が叫ば れてゐるが、この際科學と哲學との交渉についても新たな反省が起ることを希望したいのである。」流 行は常にあり、結果的にむなしいこともある。 ==================== 人生の逆説的真実 ニーチェ、小林秀雄 ================== ハイデカー 現存在 「人間が存在のあらわれる場所」 存在の呼びかけを聞きうる存在の開けの場所 「言語は存在の住処である」 地上に「詩人として住まう」 詩人の使命 ============ レヴィナス 全体化の力 全体と無限 他者に直面したとき、私は冷水を浴びせられかけられ、無言の否定に出会い、自己満足の安らぎから引 きずり出される。私の世界が完結しえないことを思い知らされるのである。他者は、つねに私の把握を すぬける者、私の期待を裏切りうるもの、私を否定しうる者である。この意味で、他者は無限なのであ る。他者は現象として現れざるをえないが、現れると同時にすでに現象から立ち去っているのである。 これが「無限」という述語の指示する事態にほかならない。 報いを期待しない善意の奉献 人間の自己同一性、「人間のかけがえのなさ」は、苦しむ他者に出会ったとき逃れようもなくその苦し みをともに引き受けること、この責任の引き受け、においてのみ成立する。 ≪レヴィナスにおいて倫理学は、私と他者の関係、「他者論」として構築される。その前提となるのは、 ある(il y a)、顔(visage)という「存在者」の現前である。そこには存在(etre)と所有(avoir; il y a の a は avoir の変化形である)を結ぶ独自な志向がある。 「存在者」は動的な仕方で「私」に対して現前し、名を持ち、実詞化する。このような存在者は名をも たない抽象的な「存在」(etre)とは区別される。名をもった「存在者」は、「他者」(l'autre)として倫 理学の課題とされる。他者はそれ自体で自存する。レヴィナスにとって暴力とは否定の一種である。ま た所有は対象の自存性を否定するため、暴力的である。了解は一種の所有であるため、また暴力的なも のである。 私が倫理的に他者に対してふるまう限り、私は他者への了解を課題とする。その限りで、私は他者に対 してつねに暴力的な関係を結ばざるを得ない。他者とは絶対的に私とは同化されえないもの(存在 者)、所有されえないものとしてある。したがって、私が他者を他者として了解するとき、そこには必 ず私の了解しえないものが存している。つまり、他者が他者であることをやめることは、ただその死・ 他者が存在者であることをやめることによってのみ可能である。 すなわち、他者の否定とは殺人としてのみ可能となる。「他者は私が殺したいと意欲しうる唯一の存者 なのである」。そして私は他者を殺しうる。しかし、それは他者の顔と対面しないときにおいてのみ可 能となる。殺人への誘惑、他者の否定への誘惑は同時に顔の誘惑でもある。存在の拓けのなかで出会わ れる「顔」を人は殺すことができない。そしてそのような対面は言葉・言説において可能となる。≫             (インターネット事典) ================= 春曉 (春暁(しゅんぎょう)) 孟浩然(もうこうねん)   唐(7−8世紀) 春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜來風雨聲 花落知多少 [書き下し文] 春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず 処処(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く 夜来(やらい)風雨(ふうう)の声 花落つること知る多少 田園楽  王維     唐(8世紀) 半官半隠 桃 紅 復 含 宿 雨 ももはくれないにして またしゅくうをふくむ 柳 緑 更 帯 春 煙 やなぎはみどりにして さらにしゅんえんをおぶ 花 落 家 僮 未 掃 はなおちて かどういまだはらわず 鶯 啼 山 客 猶 眠 うぐいすないて、さんきゃくなおねむる =================== 世界観や宗教、信念上の深刻な対立は、現代にあっても絶えることがない。現象学は、「信念対立」を 調停し克服する原理として構想されたのにもかかわらず、現在、そのことはほとんど理解されておらず、 種々の誤解にさらされている。本書はこうした誤解を解き、現象学の重要概念を分かりやすく解説して ゆく。3部以降では現象学の方法原理を用い、人間そして社会の原理論の礎石をなす言語、身体の本質 を探究する。本書は、「真理」を僭称する知に対抗する思考の原理としての現象学の、新たな一歩をし るす一書である ================= ちなみに竹田先生の言う「原理」は真理のように絶対正しいこととか変わらないこととかいうことでは なく(もちろん、いわゆるイスラム原理主義などの「原理」とは無縁)、世界や自分のあり方を問い直 したり再検証する必要に迫られたときにとる基本の態度、思考方法だということです。みんなで検証し あって誰もがいちばん納得できる基本線を取り出すということだから、ある意味科学の原理にも共通し て、神秘的なところは全然ないわけですね(‘まいむ’はこの辺がときどきまだ混乱するのですが …)。 それでヘーゲルですが、ヘーゲルは近代社会の原理として「自由」を取り出したということに大きな功 績がある。すべては神から与えられた秩序であるというキリスト教の理念をいったんチャラにして、近 代社会は人間を自由にするシステムであると明言した。 そしてヘーゲル自身、いくつか決定的な「原理」を出している。いちばん大きいのはやはり、人間精神 の本質は自由、したがって歴史の動因の本質は自由、ということだ ===================== 著者の独自な主張が展開されている面白い本である。新書であるし一読するに値すると思う。著者は、 現象学の意義を、信念対立を乗りこえる原理としてとらえているようだ。しかしながら、興味深い論点 にもかかわらず、著者が、「現象学を思想としてまじめにとらえているのは自分と西研だけだ」と主張 することには共感しえない。というのは、著者の現象学理解は、後期フッサールが突入していった、世 界の地平を成立せしめる「原地平」への思索、そこから拓かれる存在論的思考の意義を、全く理解しな いところに成り立っていると思われるからである。実はそこに、現象学のもつ最もスリリングな思想展 開が見られ、現在も尖鋭的な議論が行われているのだ。竹田氏の現象学は、たとえば新田義弘の『現象 学とは何か』などとの対決を回避したところに成立しているのではないだろうか。私は、竹田氏には、 存在論的地平を凝視するだけの哲学的センスがやや乏しいのではないかと思う。読者には、これだけで 現象学を理解した気にはならず、新田氏の本や、谷徹『これが現象学だ』、斎藤慶典『フッサール起源 への哲学』、山口一郎『現象学ことはじめ』、そしてクラウス・ヘルト『20世紀の扉を開いた哲学』な どを併読することをすすめたい =================== 他者 他者との関わりの中に人間はある 関わることによって、また関わらないことによっても病的になる 「地獄とは他者のことだ」とサルトルは言った。 「地獄にも天国にもなる。他者といういうものは」と言いたい。 「愛せない場合は、通り過ぎよ」ニーチェ ================ 西田哲学のエセー的性格(林達夫) ================= 非体系的な知の積極的評価 脱中心化   弁証法の限界 深層のリアリズム コロス的基層  土地の精霊 活動する身体の自己意識が精神にほかならない       (中村雄二郎) 伝達の難しさ 伝達したいと思ったら、時間を手間をかける必要がある 残された時間 見ることは重要 シビアには見すぎない、やや曖昧に 余裕を持って それなりに優先順位を 不必要な仕事(心配)はしない 子どもの独占欲 =================== 死を敗北と見ない ==================== 矛盾を生きる 生命のダイナミズム 自己矛盾的 有機体 全体と部分 部分と部分 「相互否定」 病気を含む身体  西洋哲学は同次元の「対抗理論counter theory」を作って問題を「解決」しようとする気風が強いの ですが、むしろ我々自身が「一つの表示法にたまらなく惹き付けられたりそれに反発を感じたりする」 (ウィトゲンシュタイン『青色本』)抜きがたい傾向をもっていることを自覚することが、囚われから 自由になる一つの道ではないか。(植村恒一郎) =================== 今直面する現実を離れて「さとり」はない。 ================  あらゆることに終わりがない。  個人にあっては個人の死、宇宙にあっては宇宙の死以外は。  後だしジャンケン  評論家は後だしジャンケンが得意  数値化、数字で読みとれることなんか、どおってこともない。(と見くびっていると...) ================  人が自己の根底に持つオリジナルな本源的知覚、その探求の為に、考究の為に、また検討の為に、人 は出発するのだ。  (森有正『砂漠に向って』) 創造はいつも愛からでなければならない。(西田幾多郎) 死の問題に直面してこそ、生きている私が強烈に意識される。   この山河大地みな仏性海なり      (『正法眼蔵』仏性)   内的生命発露としての芸術(西田幾多郎) 書や音楽を「自由なる生命のリズムの発現」(西田幾多郎) 「生命が脈拍のある時存在するように、音楽はリズムのある時存在する」(ストラヴィンスキー) 権力への意志 生きる力 主要な二つの poutres には次のような懐疑派のキーワードが書かれてある。 ≪ Sans pencher ≫ (... plus d’un cote que de l’autre)  「一方に偏ることなく」 ≪ Je suspends ≫ (mon jugement, en n’affirmant pas plus ceci que cela, je reste en equilibre)  「私は保留する。あれこれと決めることなく、バランスをとりながら判断する。」 ≪ Je ne saisis pas ≫ (je ne tiens aucune position dogmatique et fixe)  「私はしがみつきはしない。ドグマチックで固定されたどのような立場にも立たない。」 ≪ Je m’abstiens de saisir ≫  「私は固定した立場に立つことを差し控える」 人間は、心の中の大きさを必要とする。その中で自由に、はばたく。外に出る。 森という大きな空間は、それを支える。大空がそうであるように。より近いところで。 気の流れ 広い自由な空間 日常生活を含め、自らの主となること 日常生活を溌剌と 生活そのものを芸術に 詩の必要性 大拙 3 加藤周一の言葉 ・一詩人に就いて語ることは、宇宙に就いて語ることに等しいであろう。個性の数だけ語り方があり、 批評家の数だけ批評がある。語り尽され、批評し尽されるということはない。ただ、最大の批評家であ る詩人自身に匹敵することが困難なのである。「ポール・ヴァレリー」 ・身についた芸も、美しい趣味生活も、多くの知識や気の利いた精神と同じように、それが芸術に対す る人間的な評価を育てないかぎり、またそれがその人の品性を下劣さから救い人間的にたかめないかぎ り、文化でもなければ、文明でもない。『文学とは何か』 ・対立する意見や言い分の双方を聞いて、事により、場合に応じて、みずから考え、みずから意見を作 り、みずから言い分を主張することができる。…個人において内面化された中立主義は、精神の自由と いうことである。「中立主義再考」 ・乱世は信念を作らない。信念を作るのは、乱世に処する詩心である。『現代日本私注』 ・その芝居が新しいか、古いかというようなことは、芝居を芝居にする決め手では決してない。芝居を 芝居にするものは、新しさとか古さとかを忘れさせるもの、すなわち人間精神の遂に時代を超えようと するものである。「野村万蔵の芸」 ・それは新しい経験であった。夜となく昼となく、私は彼女のことを考えた。その眼の輝き、その髪の 手触り、その言葉の抑揚の微妙な変化…私はみずから、私の世界の中心にひとりの娘、すなわち「他人」 が入って来た、ということにおどろいた。世界の秩序は、そのために変わらざるをえない。『羊の歌』 ・けだし文学的価値は、さらに根本的なこととして人間的な価値は、能率よりも深さを、量よりも質を、 相互交換性よりも独特さを、知識よりも信念を、検証可能性よりも直感の鋭さを、方法の組織化よりも 熟練の人格的統合を、尊ぶのである。「文藝時評一九七七」 ・世界の理解とは、精神が自己に超越的な世界に超越することであり、それこそは精神の自由のもう一 つの定義にほかなりません。『現代日本私注』 ・心優しい怠け者だけで社会は成りたたない。しかし労働の能率だけが人生の目的ではない。生産性の 高い技術的な社会が、同時に窓際の小鳥の声に耳を傾けることができるかどうか。『夕陽妄語U』  西洋伝来のイデオロギーは、ながい間、多くの日本人から、ものを考える習慣と能力を奪ってきた。 (加藤周一) 雪 日本的世界文学 雑種文化に遊ぶ  スーザン・ソンタグが30歳そこそこで気がついたことは、スタイルこそがラディカルな意志をもって いるということだった。   生命の思想  日本の伝統的な神道は、自然の生への崇拝である。そして仏教の中の密教も、大宇宙の生命の神である 大日如来を中心として無限に生命を生み出す自然崇拝の宗教である。日本に密教を運び込んだのは最澄、 空海の二人の偉大な僧であったが、この宗教が日本に根付いた大きな理由のひとつは、密教が自然崇拝 という点で神道と思想を共通をしていたからである。生命への崇拝はおそらく日本人の中心的世界観で あろう。 生命と自然への讃歌 そもそも書くということは、説明できないものを発見することなのだ。「これはちょっと説明がつかな いな」と思ったら、そこから執筆の幕が切って落とされる。  書くことがあるから書くのではない。書けそうもないことがあるから、書くわけだ(松岡正剛) 一例を挙げるなら、フーコーの権力分析がこの間の社会理論に与えた影響ははなはだ大きかったが、こ の傾向が悪しき面を生みつつあることも見過ごしてはならない。支配や権力について語るのに、フーコー 流の「パノプティック」な性格を強調すれば分析は終わったかのような風潮が一頃蔓延した。サイード の『オリエンタリズム』が立証してみせたように、その言説分析と権力分析の理論は思ったより以上の 幅をもつものの、それはけっして権力と言説の汎用モデルではない。つまり複数の可能性の一つにすぎ ない。  こうした限定づけが必要なのはフーコーだけに限らない。大本のニーチェにまで及ぶ、というのが今 立てている私の見通しである。すくなくとも社会理論の脈絡では、単一の原理や方法で社会の複雑な連 関を捉えようとする試みはもう終わったと言える。構成主義の罠にはまらないためには、それを複数の 異なった方法との組み合わせで再構成するほかない。複数の方法を組み合わせるといっても、ある程度 の一貫性が求められるのに変わりはないが、しかしそれが緊密な強い統一性を必要とするとは限らない。 強い統合への行き過ぎた期待は、ニーチェが難じた「体系への意志」に通じている。多少のズレはあっ ても、無理な統合をせずに異なった方法を噛み合わせていく方が、はるかに生産性に富んでいることも ある。ニーチェが嫌った「知への意志」とはおよそ異なり、彼の求めた「認識の情熱」はつねにプロセ スの途上で燃えているのである 「運命の自己」を生きる 自由に生きる。自由に生きればよい。自分が自由と思っていることを他の人に及ぼそうとすることが、 自分からは見えない小さな世界、からの発言でしかなく、他の人の束縛になりかねないことを自覚して 他の人につたえること。自由に生きる。理想的な生き方はできないかもしれないこと。それでも自由に 生き。自由に生きる覚悟をきめる。 [a]美は人々の交際において大いに重んぜられる特質である。それはお互いが融和する第一の方便で あって、どんなに野蛮で無愛想な人間でもまるきりその甘さを感じないものはないのである。肉体はわ れわれの存在の大きな部分であって、そこに大きな役目をもっている。それでその格好釣合もまた当然 重要視されるのである。われわれの主要なこれらの二つの部分を引き離し、霊と肉とを別々にしたがる 人々は間違っている。あべこべに両者は結び合わせなければならない。霊魂には片隅に引っ込んだり・ ひとりぽつねんと構えたり・肉体を無視したり放棄したり・なぞするように命じないで、(それにそん なことを言ったって、多少の偽善的仮面によってでもしなければ、とうていそれはできっこないのであ る)かえって肉体に結びつき、これを抱擁し、これを愛し、これを助け、これを制し、これに勧告し、 これが迷いかけたらこれを常道に引き戻すよう、要するにこれと結婚しこれの夫となるように、命じな ければならない。そうやって両方の成果がちぐはぐな食い違ったものとならず、調和し一致したものと なるようにしむけなければならない。キリスト教徒はこの連係について特別の教訓をうけている。まっ たく彼らは知っているのだ。神の裁きはこの霊と肉との融合提携を承認したまうばかりでなく、さらに 進んで肉体もまた永遠の報いをうけるに足るものとしておられることを。また神様は人間の霊肉両面の 働きをみそなわし、それが全体として、その功罪に応じて、あるいは罰をあるいは賞を受けられるよう にしておられることを。(二の一七) 森の中の裸の自分と対する 思いがけないことは準備されている 自己と心 心をつくっているのは、脳だけでなく、内臓や筋肉骨格をつくる身体全体である。 自己  言語的自己(意識的自己)  人格とよぶ  身体的自己(半ば無意識的自己)  私(自己)とは言語的自己と身体的自己の緊密な結合である  知覚意識  自我意識(社会のなか)  二分心  左脳 言語や論理   右脳 直感や感情  近代の基本的な人間観 人間とは意識をもち、みずから合理的に意思決定をおこなって行動する存在    一方、意思決定のストレスに耐えられず、神の声に自動人形のようにしたがおうとする「人間のあり のままの姿」  もともとは小集団で、狩猟採取生活をおくってきた存在  古代中世の農耕牧畜共同体はもちろん、巨大な産業社会や情報社会をうまく運営する能力をもってい るかどうかは?大いに疑問  市場万能主義  競争原理信仰   ストレス  脳内プロセス  クオリア(感覚質)  心と脳の関係をあつかうときは、両者のあいだに「身体」という中間項をはさまなくてはならない。  より正確には、脳を「身体の一部」ととらえるべき  これと関連してなのは、「感情(情動)」である。 =======以上追加3月25日============   陶淵明    山中 義憤   沈黙     動かない沈黙 宇宙へと続く沈黙   文学という変なやつ   C'est la vie. セラヴィ 人生てそんなもんさ   天人五衰   問題は変わらない 考え方を変えるのだ   夢 いい夢、悪い夢   南無釈迦仏 鈴木正三 念仏禅   山越え阿弥陀   大きな月(海の上の月影の水脈)   男性合唱   不識、非思慮  生死を知らず   我執、放れる、放す、流せ、無所得   プラトン   覚悟 知足 放す   バロック 世の中の破れの表現 (ヴィヨンは?)   人生の暗い森    世の中を何に譬(たと)へむ朝開き漕ぎ去(い)にし船の跡なきごとし(万3-351)         沙弥満誓が歌   鬱々とした人生を生きる、生きる   事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。   ―「権力への意志」―ニーチェ   「運命の自己」を生きる   鉄槌を受けるということ、好い気になっている人生   金澤泰子    月のような存在、照らされて生きる    今注目されているが、やがてそれも終息するであろう   自分の存在を正しく  神に近い 竹馬 尻   死の哲学より生の哲学を(いずれ死ぬにしろ)   好きなことをやる、楽しむこと   人生の苦痛からは逃れられない(マドンナ)   自問自答     問う大切さ    独学    文学の欺瞞   時は生なり   水、おおいなるもの   つれづれなる   富士百句   心はどこにあるか   体がおぼえている事   粘菌    意識にのぼらないところでの情報処理   しょせん浅はかだったということになる決断     作為のむなしさ   「生命の母胎としての人智を超えた自然への畏敬」(眞鍋呉夫『雪女』後書き)   わがままに生きること   文学研究四十年    時代は変わる   荷風    不良老年のすすめ   「むしろ起源論よりは、変化というか、現代とどうつながっているか」を見てゆく。(宮本常一)   一人の目でみる世界、森   主流になってはいかん、大事なものを見落とす(宮本常一の父)   生き残った自分   「モンテーニュ爺さん」と思っていたが、いつかし僕の方が年上になっていた。爺さん59歳でな     くなっていたのだ。   ユートピアは心の中に築け    だが、はたして心はどこにあるのだ、ユートピアは   健全な懐疑主義を   時間とは存在である。このわたし、自己という存在。   イデオロギー闘争であった宗教戦争の時代   山林に自由存するか?   幸せ    自分だけ幸せになることはできない、たとえば家族とともに   人間はつながっている    地上に、地上の植物、動物、食べ物、空気、水等々につながれているともいえる    つながりの中に、喜怒哀楽、天国地獄がある   孤独感を力とする    群れるという浅い力   異質なものを排除しよとするもの   万葉という直球勝負、おおらかさ    古今伝授の世界・文章の繊細さへの傾斜(三島、須賀、堀江)    フランス歌曲の繊細さ(フランス好みの人の傾向)    気韻のある文章   直観力を、力強い直観力を   ひとそれぞれの鬱、躁   ヘミングウェの大胆(実は鬱だった)    鬱への賛から、生きる楽しみへ   楽しむために生まれてきたのだ    毎日がうつろという人   人の思いこみ、傲慢   心の居場所が見つけられない    本当の苦しみは救えない    人は人に何かをしてあげられない   受けてゆく、受けてたつ    仏地に樹つ    堕ちなさい    私が救われなければ、どうしてとなりの人が救われるか    歩んでゆくことが、救われること   自然 そこにあるもの、現実   教えない   昆虫採取は標本がたくさんある虫好きの家で行う   一元の客   荷風 ゴミ屋敷の男   日の当たる場所   命の絵の具   違う素質のものが、調和してゆく世界   佐々木孝女   授業は終わった。   いつか坂をおりるとき。    遠望を楽しんでいた。誰かが来て、誰かが去る。   死、不死   大切なもの、最愛のもの   君子   永久革命、終わりなきもの   永遠とは、あたりまえのことだが、終わりなきということである。   人生は死ぬまで永遠である。   狂いの芸能   頭くらくらな思い   腐敗が過ぎ去り新しい誕生が   単純化の中の力強さ   本物の虚子で押し通す(『俳談』)   煩悩がなくなったときは死ぬとき   心の杖   生きていてよかったと思う人間に   大宇宙 パラダイス   この世の栄光の終り   夜半月よし   起こるのは時間の問題 地震 そして太陽系の消滅   トマス・モア 聖人    残念な思いを持って死んでいった人たちの歴史   セカンドブレイン(腸) 脳だけではない  <<以下>>   自然と自由   林住期   竹林の一愚人(竹林の一凡人)   富士山   人間   原罪   狂気   心という無頼   根をもつこと(シモーヌ・ヴェーユに同じタイトルの書がある)   時間   夢   禅・坐禅   無功徳   荘子・老子   俳句   寸言     芭蕉・蕪村     夏草や兵(つはもの)共がゆめの跡   伊勢物語     つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふけふとは思はざりしを   モンテーニュ   ヴィヨン   フランス/パリ   イタリア   安心して死ねる世界   明るく生きる   気づかないストレス   暁・黄昏   矛盾とは無縁でありえない我々   コラボ   編集   あだ名   すべて消えてゆくのだ   音楽     バッハ、モーツアルト、ベートーベン、シューベルト、マーラー、サティ   オペラの楽しみ   動物を飼うということ・大人の責任   古くて新しい思想   GK 野沢 ある練習試合   想像力の厄介さ    受話器の向こう側   ついついまじめになってしまう   両極端を見つつ中庸に生きる   満2歳になる15日前に戦争が終わった   しゃべり過ぎたり、書き過ぎたりした後の空虚感   哲学という病     等々。  他の計画(小説創作など)もあります。                        目次へ 
 





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