香 樹


                      佐々木敏光

             (一)


 君は数学が嫌いになったらどうする。


  *    *    *


 真一はこうだ。つまり、数学に少しでも関係のある書物は、ネズミの居城と思えるような押込みに押込んだ。そうして一人
机に向って浅い思慮に入りこんでいった。
 その時、真一は金にもならない事をたくさん頭に浮べ、ズウズウしくも、それを紙に書いた。なんでも、数学嫌悪論という
哲学を樹立しようとしたと見える。だがそれを紹介するにはあまりにも長すぎ、あまりにもつまらなさすぎる。
 「数学は現代の青年をむしばみつつある。」「文部省という役人根性で自分の理性を釘づけにされた粘土の塊が考え出す事
は底の知れた事である・・・。数Aだとか数Bだとか言ってかってな枠を作って、ヘロンの公式が、この中に入るとか入らない
とか言ってよろこんでいる。」
 「不平多い入試地獄の中にある火の海のふいごを吹いているのはユークリッドである。」「恨んでも、数学力がつかぬのは
恨めしい。」おして知るべしである。こんな事を書いて、俺こそは、数学排斥運動の親分であると天狗なっている。
 しかし、自分の書いたことに自信がもてる反面、案外なモロさから崩壊する可能性がないことはなかった。
 つぎの日、机の上に置いていたその紙をめくってみた。昨日書いた続きと思える物が書いてある。いやに不器用な手である
。アングラマティックでスペルなんててんで出鱈目である。
  There is no rayal road in  mathematic
  Practice make perfect
 どこで、誰に習ったか知らぬが、中学二年の弟の健二らしい。個人の重要機密書類を盗視して「みちゃった」と公布するイタ
 ズラ坊主の健二の戦術かも知れぬ。が、とにかく心温まるものがある。
 「Practice make perfect」と十八デシベルの音強で、発声した。
 意外な方面から哲学は崩壊していく。この哲学の基礎となるのは”数学力の弱さ”である。
 強くなると”砂上の楼閣”である。鼻クソをまるめて、投げつけるだけで簡単にくずれる。
 「練習すればなんでも出来んことはない。」
 なるほど理がある。
 それもそうだというわけで、出鱈目に嫌悪するのをやめて、欣然として問題演習システムを受諾する事に決定した。やつて
いると、数学は類題のくり返しだというわけで要領もわかってきた。点こそ良い点は取れなかったが数学は楽しくなる。
 それらの問題の中で、数IIだったかこういうのが解法の途中で用いられていた。
   
 (註)というところに、「この位の程度は知っていなければ受験生たりえない。」とある。そう書いてあるだけで、くわし
い説明も出ていない。ブチショックだった。もう一度哲学に顔をつっこみそうになったがそこを土俵一ぱい、うっちゃりせん
とひとふんばりした。手持の参考書には詳細な説明はでていない。こうなったら秀才達に聞くか先生に聞くか、図書館で調べ
るかである。N 先生だったか怖い事を言った。「人が問うたらウソを教えてやれ。自分がわからなかったら自分で調べる。」
よく意味はわからなかった。こんなせちがらい世の中では不正直で通れというのか、自分で勉強せよというのか。自分で勉強
せよという良い方に解釈する事にした。これには図書館に行く事が必要になる。
 次の日、教室で図書館によく行くTから、図書館でまごつかない程度の訓話を拝聴することにした。Tの話すところによる
と、図書館はいつも女でふくれあがっている所がいい。図書館の”ネエさん”にしても美しいし、机は大きくてテーブル式だ
から、女の子がすわっている前か横に席をとるといい。そして時をみはからって、ソリや消しゴムを借りるといい。
 それから話をはじめて、”君なにを読んでいるの?”とかいう方面に行く。図書館のネエさんの手は出来るだけわずらわす
と良い。こんな事である。得る所はほとんどない。
 放課後真一は、入り口まで行った。扉はガラリとあけられている。中はやけに白い。そのくせ陰気な白さもただよっている
。イスや机はちゃんと床の上にある。そのはるかむこうに棚があってその中に本がならんでいる。静かである。足音をたてる
のがもったいない。さっき認めた陰気な白は消えて、静寂の青がこれを支配する。バチスカーフで三〇〇〇メートルも潜って
も、こんなに静かではなかろう。
 なるほどきれいなネエさんが帳台の所に、つったって何か一生懸命に分類している。さてお客はと見ると、まん中の大きく
て長くて角いテーブルに青雑巾を重たそうにせおっている、三人の女学生といわれる人種がいた。それとスミの方に、一人の
やせた男が失礼にも来客者に尻をむけてすわっている。数学関係の本棚で三番目に厚い本を音をせぬようにひっぱり出した。
その厚い本をこれまた音をせぬように、その大きなテーブルのスミの方に運んで、そこを本陣とした。
 室内は静そのものである。大学者や中学生や小学者が書いた本の間にすわっている気持。そう厳さ。敬虔な気分。
 関係部分を読んだ。a+biを平面上にあらわすという心にくいほどの、数学学者のユーモアをエンジョイした。家で読むの
と違った雰囲気で頭の中にとけこんでいく。
 その時、静寂が破壊された。斜め前の青雑巾の一枚が裂けはじめたのだ。
 「Hさんね。課外の時、いつも私の机にすわるのよ。そしてね。机の上に私の名をものすごい書いちょってんよ。」もう一
枚がそれに同調する。「Sさんね。ウチが窓の下を通りよったら、二かいから、カズちゃんとウチの名前を呼ぶんよ。ウチま
っかになって走ってにげたんよ。」それから笑いとなって、今度は井戸端会議ムードへと流れて行った。
 なんのことはない。つまらん。夢がこわれる。それにしても少々はらが立たずにはいられない。この敬虔な気分をみださぬ
ために、呼吸の数をへらしてまで”静”の保護をしようとしたのに。せっかくそう厳な気分に陶酔していたのに。くだらんオ
ノロケ話でこわされた。我が校衰えたりと言えども虫のいどころが変化する。
 一応砕けた虫はもとにもどらない。一応気が散ったら今度は集めにくくなる。本を読み続けようとした。活字が網膜にうつ
るだけで脳のまん中まで伝わらない。
 気分の転かん。それが科学的な方法。勉強ばかりが能ではない。勉強ばかりは親不孝。さしあたりこの部屋ではなにもでき
ぬが、首を回転し、うでを振ってみよう。
 そこで左手を上げようとした。左手が三〇度ひらいたところでとまってしまう。何回やっても同じである。ひょいと顔を左
にむけた。あがらないはずだ。つかえている。何かにつかえている。つかえている物の本体は。目をだんだん上げた。おどろ
いた。人間である。
 真一の横に人間がたっている。その一部がじゃまをして左手が上がらない。そいつの顔を見て、イスから二、三センチ飛び
あがった。左手のかわりに腰が上がった。
 久我だ。一体何の用だろう。さっきの失礼な奴は久我だったのか俺になんだって、そばにつったっているんだ。
 真一の顔かどうか確かめるためか、つっ立って真一の顔を一心に見ている。首実験がすんだらしい。口をあけて”こ”とい
う字を発音し始めた。「これ教えてもらえないでしょうか。」見ると文法問題であった。さっきのことでまだよく腹もおさま
っていなかったが、問題を見たら、だいぶ安らかになる。解答できるという自信がついたのである。「withと思うがね。」
わかっていたけど婉曲に答えた。「ofでもいいでしょう。」「慣用的用法だから、やはりwithだね。」調子は上々である。
 細い体を、休養させるために、ちいちゃい尻で、真一のとなりのイスの表面をおおう。そして一生懸命の三乗ぐらいの真剣
さで問題の続きをやりはじめた。横がおを見た。なんとなく明るい。いつもの久我と違うように見える。
 不思議といえば不思議だ。久我とはズーと同じ組みであったのに話をとり交わしたのは今日が初めて。久我と公的な話でも
した事のあるやつはそういない。私的な話をしたやつは一人もいない。久我は無口と言おうか、口は大きすぎず小さすぎない
のが、鼻の舌三センチの所にちゃんと存在しているのに、それを利用しない動物である。持っているものは、この世で使えば
良いのにと、真一が気をもむことはしばしばあった。
 いつも憂うつそうな顔。細い顔。そういう顔で教室にあらわれ、悲しそうな瞳で消えていった。口はいつもキリリとしまっ
ていた。そのキリリと閉じた口が、ただ一つの取りえだった。久我にとっては口はキリリとさせておくものかも知れぬ。ほほ
には、肉があまりない。黒い目は、ややくぼんでいる。鼻はスジが通って高い。
 休けい時間なんかは、天井を観察している。それとも読書にふけっている。みつめる場所はきまっている。前の壁と天井が
重なってなす線分の左から三分の一のあたりに、ややうすい黒いシミがある。Fは”カニ”に見えるという。ませたHは”裸
婦”に見えるという。真一にしてみれば単なるシミである。強いて言えば”コッペパン”だ。久我は、そこをうれえた目で見
つめる。
 久我は何に見えるんだろうと思っても、誰も聞かない。聞いたとしても、”イエスキリスト”だとか、ロクな事をいわない
だろうと言うのである。
 久我は、”禅”にこっているんだという意見がEである。いや俺も女がほしいなって考えているのだろうというのが例のH
である。時々、カバが水面にあがるように、ガバと起きあがる。小また歩きで神妙そうな顔ででていく。もの好きなMが、尾
行したらW.Cに入ったとは罪のない話。
 天井を見ていない時は、本を読んでいる。太宰治の「少女」が愛読書であるらしい。何度も読んでいる。そんなに美しい物
語を愛すなんて。
 みな久我を「英国紳士」とか「やせただるま」とかいった。ていねいかつ○○の態度で接するのが常であった。無口の久我
も、国語の時間なんかは”アナウンサー的うまさ”で読んだ。討論会などではスジの通った鋭い発言をした。
 とにかくその久我が真一のそばにいて、日頃にない輝いた目で英文法をやっている。そして一、二分置きに問う。そんな事
までと思うことまで問う。先生にあまえる小学校二年生である。さっきの事件のしこりが完全に癒えていない真一は、腹が減
ってきた。いや、腹が立ってきた。数学の方は一向に進行しない。英文法の方は調子がよい。英文法を勉強するためにこの部
屋に来たのだという錯覚に陥る。体内にある血が頭に集合し、頭がわれんばかりにふくれる。この状態を”頭にきた”という
。
 数学は半分で終わっている。半分は明日にすればいいではないか。能率のあがらん時、いくらやってもダメだから。起立し
ようとした。その時、久我が真一を追いこして早く直立状態になって、真一が帰るとまだいわないのに「僕もかえりますから
。一緒に帰りましょう。」という。
 運動場の上を飛ぶ白いボールの軽やかなタップを目でおいながら久我はこういった。「うれしいんです。明日からも、話し
相手になって下さいね。僕相談したいことがあるんです。」真一は、少々今日の事で久我を恨んでみたが、心の底ではそうで
はなかったらしく「いいとも。」という意外に軽い返事がでた。
 門のところで、久我は左に曲がるという。真一は右なので「グッバイ」「さようなら」と別れた。とにかく、久我のうれし
そうな顔、輝く目が眼前に浮かんでくると、真一の肉の豊富なほほがたるんでくる。


            (二)


 次の日、教室で出会った。「オス」というとニコリと昨日の笑いをする。
 弁当を食い終わって、いつものように日のよくあたる窓辺で、悪友と雑談をかわした。B・Bの胸はどうだとか、森山加代
子はくそばかとか、炎加世子は教養がないとか、そんな話しである。Hはツバを三メートル四方に散らしながら、真一にコモ
ン・センスを提供してくれる。左の耳で現代人必須知識を聞きながら右の目で久我を見た。まだ食っている。久我はわがクラ
スの中で手を洗いにゆくただ一人の男である。冬、水が零下三十度になっても、夏、百三十度ぐらいの水でも洗う。手を洗う
時間だけみなと遅くなる。
 やっと終わった。あまり大きくもない弁当箱を大事そうに、おとといの新聞でくるんだ。ツーと立ち上がって真一の方へく
る。神妙そうでもあり、歓喜の顔でもある。そういう顔をたして2で割ったような顔でこういった。「裏山に、来てください
ませんか。」
 ”それけんか”と早がてんしたのはHである。「久我がんばれよ。」とSはけんか気分を盛り上げる。「違います。相談な
んです。」そいって久我は回れ右、進めで教室を出ていった。真一はその後を追った。
 教室を出るとき、HやSが「お前に相談があるって。大部株が上がったな。久我の精神分析をしてこいよ。」と言った。真
一は能面のような顔をふりむけただけだった。
 山道をのぼった。登るに従って、浮世とは縁が遠くなる。ついに浮世から脱出した。世俗のサケビは下の方で勝手に処理さ
れて、ここまでやってこない。陽が輝く。時々アブの羽の音がする。名も知らぬ花が目の前にあらわれ、後に飛んでいく。す
こぶるしずかである。
 椎の木と思える木の下に、久我はフワリと腰をおろす。真一はドカリと、土地に尻をぶっつけた。広くなっていて見はらし
がよい。下の方ではアリほどに人間が、勝手に動いている。雲はない。雲がほしい。二、三個空に描かなければ、お天とう様
に申しわけない。やけに青い。
 日頃の渋い顔も笑えばこんなになるんだと、見せびらかすように笑った。そしてあらためて、真一の方に向いてこう始めた
。「聞いてくださるでしょうか。僕とっても幸福なんです。この幸福を君にしゃべらずにいられません聞いてくささいますね
。」
 耳がおどろいた。
 久我は幸福なのか一人だまっていた。おれも幸福を保護するためか「ノウ」といっても始まらないので聞くことにした。も
う一度久我の顔を見た。なるほど幸福な顔だ。口もともゆるんで、全体として丸い顔になっている。しかし、目の奥になにか
ある。スッキリしないものが。理解しかねる。
 「僕のうちは四人家族なんです。父と母、祖母と僕なんです。父は言うのはどうかと思いますが、(作)株式会社の重役な
んです。ヴァイオリンが好きでしてね。日曜日なんかよくひています。書斎でとじこもってひくのです。普通の日も部屋にと
じこもっています。何をしているのか知りませんが。父は僕にヴァイオリンの練習をさせたかったそうです。僕があまりいや
がるので止めたそうです。母は本が好きでしてね。いつも本を読んでいるんです。僕も好きなんです。遺伝かも知れませんね
。ピアノを若いうちにやっていたそうです。今はぜんぜんできません。ソウコの中に、ホコリにまみれてあるんです。
 祖母というのは母の母なんです。母は祖母の十七の時の子供だそうで、それは、二人とも若いんです。知らない人なんかよ
く間違えますね。母が本に熱中している時なんか、祖母は一人で台所の用意をしています。母に注意をすればよいのに、子供
のためというんでしょうか、よく働きます。父は書斎で食事をとり、めったに食卓にあらわれません。母は食事中も本を読む
という熱心さです。だから僕は、母のように若い祖母と二人で食卓に向います。こう話していくと僕のうちの陰気さ暗さを話
していっているようですが、一年前まではそうでした。もちろん僕は祖母の相手だけでも幸福でなかったというわけでは、あ
りませんが。 
 庭はとっても広いんです。春なんか、チューリップなんかが咲いて、やわらかな日のもとで蝶々が舞っているんです。秋は
秋で秋の花が咲き乱れます。本当に乱れるほどの咲き方です。庭には池があるんです。鯉がいます。そうです、八十センチ位
のが二十匹ばかりいます。手をたたくと、集まってくるんです。僕がそばのミカンの木の葉をとって、投げこむと、だまされ
たって顔をします。そうそう、そのミカンの木なんです。実はよくなりません。においがすごくいいんです。六月ごろ白い花
をさかせます。その時の香りといったら君に説明することができないほどです。その時期でなくてもにおいがいいんです。花
のにおいのほかに木の肌にもにおいを持っているんでしょうか。
 その庭に面した所に僕の机があるんです。最初北側の部屋にあったんですが、健康に悪いというので祖母が南側のローカに
、うつらせたんです。日がよくあたるんです。こんなに美しい花の中で勉強できるなんてしあわせです。日曜の陽気のよい時
なんかうつらうつらしてきます。そんな時、ハッと目をさまします。においが強くなるんです。そんな時いつもアコちゃんが
ミカンの木の下に立っているんです。とってもよいにおいです。アコちゃんの立っている方からやってきます。アコちゃんと
いってもわからないでしょう。”麻子”て書くんです。隣の家の子なんです。
 学年は同じでしてね。本を二、三冊かかえてたっています。アコちゃんは垣根の少しやぶれた所から入ってくるんです。僕
達はよく数学の問題なんか一諸にします。僕はもともと数学なんてきらいなんですが、アコちゃんとなら、楽しくなります。
難問でもとけてしまうから不思議です。
 アコちゃんの髪の毛はふさふさしています。あまり長くのばしていません。が、手入れのゆきとどいたウエーヴなんか芸術
品ですね。アゴの角ばった所なんか、少しいじっぱりだなと思えます。鼻なんて出鱈目に高くはありません。まゆげが少し濃
くて、太いんです。目はパチリとしています。そんな所には茶目気があふれています。目は青いんです。日本人ばなれしてい
ますね。
 アコちゃんと一緒にいると、とっても楽しいんです。祖母が時々、菓子を持ってくるんです。そういう時、祖母はアコちゃ
んに向かっていうのです。「剛は名前だけで頭の方はテンデ弱いんですから、よろしくね。」「私も弱いの。二人合わせて一
人前ね。」とアコちゃんは祖母を笑わせます。
 僕とアコちゃんが友達になったのは、つい半年前なんです。アコちゃんがとなりへ引っ越してきたのが、一年前なんです。
ひっこして来た時、僕の家に、挨拶に来たんです。その時、一目見て美しい人だなと思いました。それと同時に、うれしくも
なりました。その時「よろしく」といっただけで、その後は話すチャンスがなかったんです。
 僕の家から本通りまで三〇〇メートルぐらいあります。H銀行のB支店の横にでるんです。細い少々うねうねした道がそこ
まで続いています。学校の行き帰りなんか出会います。出会うといっても、方向は同じなので正面きってあうことはあまりあ
りません。学校に行く時なんか追い越そうと思っても追いこせません。ただアコちゃんの後をついていくだけです。ふさふさ
した髪を波打たせながら、まるでモデルのように軽くあるくんです。もちろん極端に体を振りませんがね。本道に出ると、ア
コちゃんは右側の方にまがってバスストップへ。僕は左側へまがってやはりバスストップへ。そこが二つのバスストップの中
間なんです。どちらに行っても同じなんです。しかしアコちゃんのバスストップへ行くのはどうかありましてね。帰る時銀行
の前で、時々向こうからくるアコちゃんに出合うんです。そういう時なんか自然と頭がさがるんです。そんな時も、アコちゃ
んの曲がるのを待ってまがるんです。アコちゃんはずっと入って行きます。僕はシュロのところで曲ります。そこが入口です
からね。アコちゃんの家の入口はその奥の方にあります。毎日単調でしたが幸せでした。
 半年前なんです、日曜日でたいくつでしたので映画に行くことにしました。映画館の前の写真を見ていました。すると後ろ
の方で声がするんです。アコちゃんでした。「生徒手帳忘れたの。券買って下さらない。」丁度僕ももっていなかったんです
けど、手帳がなくても四十円ではいられることを知っていたので、百円を受け取って二枚買って一枚渡しました。切符を入口
で渡して、いよいよ暗室に入ろうとすると、また声がするではありませんか。アコちゃんでした。「なんですか。」というと
「おつりを受けとっていなかったの。」「そうでしたね。」と六十円かえしました。場内に入って、てっとりばやいイスが二
つしか見つからぬので、二人ですわるという結果になりました。場内には禁煙とあったんですが、大人はとに角破り易いもの
ですね。後からタバコの煙が来ました。顔をまもる為に顔を横に向けました。その時やわらかいものを感じました。髪の毛で
した。フサフサして匂いの良い気持ちの良い髪でした。アコちゃんは「禁煙なのに、不道徳ですね。」やや大きめの声で僕に
言いました。それが効いたのでしょうか。それからは煙がこなくなりました。休憩時間に、席を取っていてくれと言ってチュ
ーインガムを買ってきて、「召し上がれ。」と僕にくれました。アコちゃんの家は隣といっても今まで話した事がないので少
々上がり気味でした。隣だからもう少し仲良くしたい。そんな事をアコちゃんは言いました。僕は学校でも友達と話しはあま
りしませんし、時々舌がもつれました。しかし何となく話せる勇気は出ました。アコちゃんはアランドロンが好きだと言いま
した。「○○○○」の主役ですねと言うと、「おばかさんね、あれはアラン、ラッドでしょう。」と笑います。「おばかさ
ん」という言葉を理解しかねました。しかられたのか、どうされたのか。皆目見当がつきません。この時彼女の名は麻子と言
ってアコちゃんと呼ばれていると言ったんです。次の映画が始まりました。今度は映画に集中出来なくなりました。画面が明
るい時には横を向きました。時々目が合う時があるんです。画面が暗くなって、見えなくなると画面を見ました。結局ストー
リーもわからぬうちに終りました。
 外は夕焼けでした。二人並んで帰りました。「今度から、僕の家にきては。」とさそいました。
 それから楽しくなりました。ミカンの匂いが、一段と強まったのは、その頃からでした。豊富な髪で、健康そうな小麦色の
若肌で、パッチリした目で、ミカンの木の下に立ちます。アコちゃんの来ない時なんか本をよく読みます。ポーも好きな一人
です。アコちゃんも大好きなんです。とに角毎日が幸せです。張り合いがあります。
 だけど一つだけ悩みがsります。大学進学の事です。その中についても相談したいんです。もう時間があまりないようです
から、又明日聞いて下さい。」
 そう言って太陽しかない単調な空を柔らかい目で見ている。
 あっけにとられたのは、真一である。してやられたという感もわく。自分でしゃべるだけしゃべって今度は、勝手に空の青
さにほれている。教室での陰うつな久我の顔。今のはつらつとした顔。美しい話。何だかわからぬ。わけをわからす為に、ホ
ッペタを打ってみた。肉が震えて音が出て、そのショックが脳に伝わって、痛いという感じが起った。夢ではない。今居る所
は世俗を離れた所。話は現実と未来の中間を行っている。あの久我がこんなにも美しい秘密を持っていたのか。心温る。
 真一も、久我と同じように、青い空の一番遠い所を見た。授業の始まる時間がいよいよせまったので、土の上に落ちていた
尻を持ち上げて、浮世にもどる為に山を下りた。
 放課後本を貸してくれた。ポーの「アッシャー家の・・」だった。丁寧に礼を言って借りた。
 次の日、真一は、飯を食うとすぐ裏山に登って久我が来るのを待つことにした。一人で登って行った。空は昨日と少し変わ
っている。昨日ほしかった雲が二つあるだけ変わっていた。昨日の所へ坐って雲を見た。始め西の方に向っていたのに、今度
は北の方に向う。二つの雲は久我とアコちゃんのように、程良い間隔で同じ行動をする。
 まもなく久我が、ノートを小脇に大事そうにかかえて現れた。腰を下しながら、真一にノートを渡した。
 「僕、詩を作るんです。」

  *    *    *

 太陽の愛を受ける為に 
   その少女は裸になりました。
 やさしい太陽は 
   おのれの愛をそそぎます
 少女はその愛のもとで
   軽やかに踊ります。
 黒雲が近づいてきます。
   着物を着なくては
 しかし
   太陽の愛は 
    その黒雲まで
   やさしい少女にしてしまいました。
 二人の少女は太陽の愛により
   少女に変りました。

  *    *    *

 一寸まごついた。
 何が言いたいんだろう。”少女の裸”が何を意味するのか。表紙を見なおした。”詩集、太陽と月の結合”とある。久我は
何を考えているのか、ただ一人になると、詩が出来るのか、二人でいると、詩が出来るのか。「この詩には詩があるね。」真
一は自分でもわからぬ事を言った。「どういう事ですか。」説明が十分出来ない。○○大臣のように失言取消では雰囲気が悪
くなる。「詩は誰でも作る。作った詩には余裕がない。自分の苦しみ、無能の嘆き、それも必要だ。しかし、想像力と結びつ
いた詩程すばらしいものはない。人は自分の苦しみを意識して詩に表わそうとしている。真の詩人は違う。自分が坐って、目
をつぶっただけで、詩がわいてくる。元来詩は夢であるべきだ。夢と結びついた詩程すばらしく、清らかなものはない。」自
分でまいた種に苦しんだ。自分でも責任のとれないことを言ってしまった。この詩を弁護するために、そうなってしまった。
 「夢ですね。詩ですね。」久我は目を大きくあけて言う。さっきの雲がもうほとんど真上に来ている。
 「あの雲は何に見えますか。」 
 「アベックだね。」 
 「天使二人ですね。」
 「君とアコちゃんだろう。」
 「雲には詩がありますね。」
 「男って詩人だね。」
 「なぜです。」
 「元来男って言うのは、ロマンティストなんだ。女はリアリストなんだ。世間と言う鏡に写っているのは反対だが。女は、
ロマンティストでないから、そうありたいと努力し、ロマンティックな夢を無理矢理に持とうとする。詩は元来男のものだ。
」三日前に読んだ四文小説と白い雲と青い空が真一にこう言わせる。
 「違いますね。」
 「どうして。」
 「アコちゃんは詩人です。」
 そこまできて話が終った。まずくなった。真一は自分の心にもない事を言ってしまった。空が悪いのだ。
「雲には詩がありますね。」もう一度こう言って、久我は目を閉じた。
 次の日、同じようにノートを持ってきた。
「僕作曲するんです。」
 あけて見た。オタマジヤクシが泳いでいてからすがとんでいて、クエスチョンマークみたいなのがあって、平行線が一杯あ
る。真一には楽符はそれしか意味しない。
「僕弱いんでね、君調子をつけてくれ給え。」
ハミングでやった。どこかで聞いた事があるようだが、思い出せない。「すばらしいね。僕なんかドレミがやっとなのに。」
 今日は昨日より雲が多い。
「音楽にも夢がありますね。詩がありますね。」明るい声で久我は言う。
 次の日も又何か持ってきた。
「僕絵も書くんです。」
 いつもの調子で言う。
久我の言ったアコちゃんとそっくりである。髪は長くはないが、フサフサしている。目が本当に青く描いてある。
「この発想は詩ですね。」勝手な事を言って笑っている。
 次の日もノートを持ってきた。
 「僕創作するんです。」
 ページをめくってみて驚いた。久我の話がそっくりそのままこのノートの上で、うまくはないが、丁寧な字に変化している
。自分の幸福が夢みたいなので、あまりに物語的なので、創作としてかいたのだろう。日本には特有の私小説というものがあ
るから。真一が読む間中、久我は空を見ている。下の方でだらだらと動いている人間様には見向きもしない。ただ青い空と、
詩のある雲を見ている。
 読み終って思い切って質問してみた。
 「君の家に言ってみたい。アコちゃんにも会ってみたいな。」
 久我の目が、まあるくなって瞳が大きくなり、それがしぼんで線となった。口もとがふるえている。顔が青くなる。一週間
前の久我に逆もどりと思えるほど青い。目を三か月型にひらく。不興の色の青があまりにも濃い。
 それから先は一言もしゃべらなかった。
 白い雲を白とうけとれなくなったらしく、久我はおりると言い出した。


            (三)


 次の日は日曜日で、その次の日から久我は学校にこなくなった。
 真一はおとといの二十五字が、今日の欠席に関係あるんだろうと思って見た。しかし想像は結論に達し得ないのでやめた。
それにしても久我は俺に大学受験の相談をしたいと言ったのに、そんな俗世的なものに一つもふれず、夢のような事にふれた
だけである。大学受験なんてすっかりわすれたのかな。久我の欠席は、級にとってはノミの爪ほどの変化も示さない。英語の
リーダーは次の課に入ったし、化学も次の章に進んだ。
 そして二週間後に、主任のH先生が久我は○○○○○○○○○○○で死んだと、迷惑そうな顔をして言った。○○○○○○
○○○○○の中には何かむつかしい病名が入るのであるが、どもりで早口のH先生にかかったら、たんなる雑音にかわるので
聞きとれない。しかし誰もそれを気にしない。 
 さびしさにさびしさに胸の思いもはかなくて死んだのさと、いうのがMである。あいつの体では今までもったのがふしぎな
のさと、二十貫のWがいう。そんないいかげんな程度ですまされている。真一まで、久我の死は当然で今まで体がよわかった
ので、ちょっとの病気で死んだのだろうという結論に達した。久我の死はあわれみより不満をこの組にのこした。H先生にし
てみれば、久我をこの組から抹殺する手続きで、かわいい女房のまっている家に帰るのが三分おくれた。みんなにしてみれば
、香典金二十円也をそれぞれしぼりとられた。勉強家の委員諸君は、かけがえのない時間を、お経とセンコウのミックスの中
で過さねばならなかった。
 世界はその他は変らない。以前のペースで進んでいく。
 それから一週間たった日曜日。真一は、朝二時間の学習には、どうやら参加したものの、時計の長針が十二のところで短針
に追いつく頃になると、腹の中では胃と十二指腸と肝臓がオーケストラをかなでるようになる。やつらのオーケストラをやめ
らすためには、飯を一ぱいつめこんで動けなくしてやったらよい。
 そこで実行した。実行した後は何をしようかととまどった。机の上に”ポー”がある。久我のだ。久我のうちに訪ねてみた
いと思った。しかし何の理由もない。訪ねて何をするのか。おたくの息子さんは死なれたそうですね。この本は家においてお
ってもじゃまになるので返します。あなたは親ですからこれを地獄の息子さんにもどしてください。そんな事は言われない。
負債も財産であるからこの”ポー”は俺のである。いや、やっぱり久我のである。死人のものを返しに行くのはどうかある。
 ちょうど机の上にサイコロがあったので、それにきめらせることにした。こういう場合意志のない奴がいい。意志があると
腹がたつ。結果はサイコロの四つの目玉が天井をにらんでとまった。俗にいう”チョウ”である。”チョウ”となったら義務
を感ずるようになった。
 「俺は行く義務があるんだ。」
 陽気はよい。しかし肝心の住所がわからない。だがH銀行B支店のところを入ってシュロの木がある所をまがったらいいと
か、久我の話を思いだした。
 バス代二十円を捨ててB支店の前まで来た。民家を前の方だけ改築した家がH銀行B支店である。なるほどその横に、はば
一間ばかりの道がつづいている。人があまり通らないらしく道の上がやわらかい。入っていった。銀行の後が森になっていて
、その中を道がはしっている。昼というのに日の光がとどかないほどスゴイ。坂を上って下りた。距離感のにぶい真一にはは
っきりしなかった。が二、三〇〇メートル位きたらしい。やっと森がつきて林となった。林がつきて視界がひらけた。シュロ
がある。相当年期が入っているらしいシュロを左目で見てまがった。ドキ!消えている。ない。草はら。広い。無い。大きな
家があるかわりに大きな草はらがある。進んでみた。ぼうぼうとした草にかかわらず敷地のあとは明確にわかる。窪地があっ
てその中に水があったと思われる。窪地の中に水があったら何になる。
 池になる。池の横に木がある。その木はミカンらしい。ギョッ。ある。池。ミカン。ある。狐につままれたようだ。同じで
違う。違うが同じ。三週間で変化したのか。おどろくために直径十五センチのでっかい口をひらいた。
 目というのは便利なものである。焦点を十メートルから三十五メートルの世界がそこにあらわれる。三十五メートルの世界
の中に家がある。洋館建てである。屋根は赤い。アコちゃんが住んでいるのだ。ピンと来た。
 三分後にその家のベルをおした。
 「いらっしゃいな」意外なあいさつである。出てきたのは女の子である。久我のアコちゃんと同じではないか。目が青くな
い。そこだけ違う。目はやっぱり日本人らしく黒い。意外な侵入者に驚いたのか、目をパッチリとしている。真一も意外な美
しさに肝が収縮した。
 「となりについてききたいんですが。」
 「おとなり?」さらに目を拡げて答える。
 「そうです。家があったらしいですね。」
 「父がすぐ帰りますから。父が知っていましょう。お上りになってお待ちなすって下さい。」
 玄関のとなりが応接間だった。ちょっとまごついた。西洋風のマントルピース。カウンターまで作ってある。ソファーのや
わらかさにびっくりした。少女はとなりの部屋に入ってピアノをひき出した。つい最近聞いたような気がする。軽いメロディ
ーである。音楽に弱いという悲しさで思い出せない。
 表のとびらがあいて「ただいま」という声がした。「おとうさまおかえりなさい。」少女は飛んでいく。「おとうさま、こ
の方がおとなりについて聞きたいっておっしゃるんです。」と彼女はかっぷくのよい紳士にいう。話しが始った。
 五、六年前までとなりに大きな家があった。ふとした火事で主人も奥さんも死んで、おばあさんと坊やだけはすくわれた。
当時小学五、六年生ぐらいの坊やでおばあさんと一緒に近くの親類にひきとられた。そのおばあさんも二、三年前死んで男の
子は今一人親せきでくらしている。
 彼女のおとうさんも、一年ばかり前この家にうつってきたのでそのくらいの程度しかしらない。
 少女もこういった。「日曜日なんかおとなりのミカンの木のにおいが私の部屋までくるの。私、そんな時ミカンの木の下ま
で行くの。いいにおいなの。素てき。だけど、この頃香りが急になくなってしまったの。枯れていくみたい。」
 少女のおとうさんは十七才の真一にジンフィズをしきりにすすめる。「アコちゃんは強いんです。君はどうですか。」
 それをていねいに辞して家を出た。標札をあらためてみた。父親の名のよこに”麻子”と書いてある。もう一度ミカンの木
の下にいった。本当に枯れていくような肌をしている。もはやにおいなんて何もない。背中が変にぞくぞくする。秋でないの
に葉が落ちる。久我のいったアコちゃんと、今あった”麻子”ちゃんを思い出してみる。目の違いだ。青と黒の違いである。
 とにかくあの男の子が久我である事は真実らしい。しかし”麻子”との結びつきは不可解である。夢を持つ男久我。それと
もこの香樹が久我に夢をもたせたのか。一秒一秒枯れていく香樹。右手を出して、落ちていく葉を手のひらにうけた。なんと
いうことか。葉は久我の力ない顔に見えた。あともふりかえらず、一目さんにかけだした。
 「さびしいんです。」
 久我の声が後を追う。







(『ゆうかり』(山口県宇部高校文芸部発行)1961年) 
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