詩・短歌  (二十歳、三十代、六十代+七十代)



 まっ黒い  

 
まっ黒い
 せきりょうの中に
透明な
 立体幾何が
  存在し
ぼくはその上から
 すべりおりた
    ・・・・・
ぼくは無機の
   空間に
 たんのように
  はき出された



 夜が        

夜が
 ズシリと
  ずり落ちる
私の
 おびえた魂は
  その振動に
 えぐられる

何もない
 何もない
ポッカリ
 穴があき
  何もない
       


廃鉱 −宇部−


さびれた鉱山の
 目にいたい緑の下の
鉄路の
 さびを落として
薄っぺらの耳を置こう

そして 全神経を
 一つの耳にしよう
 〈耳であることの
  不安とときめき〉

おお
 日常の円環の
 腐食した亀裂から
 あのゴーという
 鈍色の叫び

言葉にならなかった言葉の
なみだにならなかったなみだの
いかりにならなかったいかりの
あきらめにならなかったあきらめの
 重い情念を満載した
  トロッコが
   ・・・・・・
 すぎ去った時

ぼくの頭には
 ちっぽけな血がにじみ

そのそばには
 名も知らぬ花

 

 夜 窓を


夜 窓を
 ガタリと
  しめる

それは
 粗密波となり
作用 反作用で
 ついに
とめどもない
 大海原を
現出する

その中に
 浮かんでいる
  犬や
  猫や
  ぼくは
   すでに
 溺死しているのでは
  ないのか



 街角の


街角の公園の
 砂場で
子供心のなつかしさに
 トンネルを掘る

手が砂に
 すいこまれ
追憶を掘りあてる

ああ これは
 子供の時の虫歯
ああ これは
 子供の時の言葉
ああ これは
 子供の時の反吐

しめった眼で
 掘っていたら
ポッカリ穴があく

向こうでは
 合図する子もなく

年老いた
 猫が
大人の敗残を
 たべていた
 


 背中を  


背中を
 ねこの舌がなめるのを
おれは実感した

おれのトーチカからの
 長いみはりの期間は
内攻の反すうに
 ついやされた

おれが前方の無力さを
 痛感している時
背中に
 ねこの息がかかるのを
実感した



 おれの心は


おれの心は
おれはうまくいえない
ひらくことができたら
こうして胸をひらきたい
そうしたら
おれの言う事パノラマのように
 出てくるだろう

そこで 仲間の一人が
ナイフで
グサリと
胸をきりひらいたが
心臓が はずかしそうに
 死んでいた

 

 のりかえ駅にて


つりかわに
 ぶらさげられているのは
新聞に
 にらまれているのは

 ・・・・・

電車は消えて行く
レールが
 消えているかも
 知れないところに

ああ 自称
 猶予のぼくだって
四角い箱につめられて
 紛失した荷物となって
  ここにある
 のかもしれない

電車があらわれ
砂鉄のように
 吸いよせられる

あれは人だろうか
 

(『二十歳詩片』(1964年二十歳。その後和文タイプで入力そしてコピー〉・全十六篇)より八篇)

                           トップへ

  **********


 独吟駿河四十首


就寝の儀式の檀にかざりたる妻の乳房はやわらかき桃

赫々と血の色さえて火星(マルス)輝く我が胸の闇

白き刃のこぼれるごとき細き月その鮮血をたれかあびなん

脳の闇 綺羅・綺羅星は死にたえて暗黒星雲にじみいづ

    クリムトのダナエを詠める
黄金の雫したたり滝となり滝壷子宮(ワギナ)恍惚放射 

街角に赤き信号つらなりて ひそかにはなつ紅(くれない)の毒

独白の長き白夜のあかつきに大渦のごと密語旋回

さびしさは酒気消えいたるししむらに清水のごとくわきいずるかも

体内にはりめぐらせし赤き糸もつれもつれて神経病む

冬の田に白鷺一羽にごり目で真白き富士をながめておれり

店頭のテレビこぞりて巨大なる乳房うつせり刹那のハレム

冬枯れの欅一本すくとたち三日月まさにそを殺(そ)がんとす

脳髄をあふれんばかりに渦ありて おぼれてゆかむ言の葉(ことのは)どもよ

言霊の幸はふ国の中にいて言霊もとめトイレまで彷徨

乙女らはガラスふきおり 鮮血の刃かくして澄めるガラスを

海しずみたり海しずみたり 大いなるいかりをだきて 海 静みたり

肩先に粉雪ふりぬひそやかに灰白質の剥落する日に

横たわり仮死を演ずるわれなるも いのちわきたち妻をおそいぬ

道端にほのかに光る露ありて 映しゆく映しゆく われらの煉獄

陽はすでにこえいたりしかしかざるか 子午線くきりと青空に見ゆ

信号の赤きをあえて渡らんとふみだす脚(あし)に蒼き静脈

右うでと頭欠けたる木仏がしじまの中にたちてまします

魂をゆるがすごとき音をたてハイビスカスの落つる夕暮れ

芭蕉
 焦燥
  壮絶
   絶無
    無明

    終夜ねむらず
陽がのぼり街が黄金(こがね)にそまる朝 さまよいつかれしわがまなこかな


(『ヴァリエテ』(1982年 春期号)「独吟駿河四十首」より。
 1979年作。「駿河」は居住地とともに「するけれど」の意も含む。)
 
                           トップへ

  **********


詩五篇(「森の中のモンテーニュ」より)

     角をまがれば (2009.12.7.)

 角をまがったら  大きな富士がくっきりと  悠然とそびえていると  思いながら曲がると  富士はなく  常識常識と脈絡もなく無意味にわめき続ける  非常識人がいて  よけいな時間をくってしまう  相手にしてしまったのが不覚だ  しばらく歩いて  その次の角をまがると  富士はいた  真っ白な富士が広い裾野を左右に広げ  悠然とすわっていた



     陶淵明にならって  (2009.12.31.)

 帰りなん、いざ、田園いま荒れなんとする。  はたして帰るべき田園はあるのか。  ぼくは次男なのだ。  帰ってもいいのかしれないけれど、  そこでは、長男が、田園のまん中にいて、知らぬふりをしている。  とりあえず、ぼくの帰るべき田園はない。  長男を恨んでいるわけではない。  その心もわかる。長男夫婦も両親を支え、つらい時を耐えたのだ。  田園といっても、ちっぽけなものさ。  ぼくは故郷から遠くにいて、少しは心配し続けたが  長男の苦労にくらべれば、ほとんど零だ。    帰りなん、いざ。田園いま荒れなんとする。  ぼくは田園に帰らない。  森へ帰る。森の中へ。  小鳥たちと虫たちと木々たちと野草たちの森へ。  そして妻の小さな菜園の野菜たちのもとへ。  田園の中にも鬱はある。鬱よりもみじめな躁も。  森の中にも鬱はある。鬱よりもみじめな躁も。  明るい躁を、田園に、森に、響かせよう。  小鳥たちと虫たちと木々たちと野草たちとともに。  そして妻の小さな菜園の野菜たちとともに。  悠々として見る、裏の山。  自ら楽しもう。  山河いま荒れなんとする。  荒れているのは山河なのか  人の心なのか。  躁・鬱の風が吹きまくる。  森の中に、そして田園に帰った人たちは  なにかを取り戻そうとしたはずだ。  取り戻した人もいる、取り戻せなかった人もいる。  そのさまざまな彼らにも、時は流れる。時は流れる。  帰りなん、いざ。田園いま荒れなんとする。  帰りなん、いざ。山河いま荒れなんとする。



     地球に死なれてしまうよ  (2010.2.11.)

 多い。賢い人が多い、自分の方がすぐれていると思っている賢い人が。  少なくとも、自分はすばらしいグループに属していると思っている人が。  他のグループは劣っている。  それもいいだろう。  だが、あまり極端にはいきすぎないでよ。  本は書かれる。理論は生産され、増殖する。  哲学者は語る。哲学は、進まない。  政治家は語る。反対派を断罪する。断罪された側が相手を断罪する。  無限地獄の応酬だ。  世界経済の時代だと資本家たちはうそぶく。グローバルの時代だと。  貧しさを背景に、自分達だけの正しさを声高に叫ぶ宗派。  そして、貧しさを、滅び行く生き物を救おうと正義の人達がさらに破壊的になっていく。  環境破壊・・、関係者たちも、市民たちも、自分達以外のものたちの責任だと思い続ける。  人間って、弱いよな。  人間はしかたないのか。  普通のやさしさで生きることはできないのか。  比べながら生きるほかは。  非難しあいながら生きるほかには。  富士山は堂々とそびえている。  地球の上に根をはって。  だけれども、人間、こんなことやってたら、    そのうち    富士山だけでなく、  地球に死なれてしまうよ。 



     戦争についてのありふれた思い  (2011.8.25.)

 夏が来た  夏、なにかと戦争のことが思われる夏  知識でしかない戦争 聞いたことでしかない戦争  それでも  戦争の中で死んでいったものを思う  傷ついたものを思う  兵、戦士だけではない、庶民たち、父、母、子どもたち、若者  南方の島 満州、広島 大東亜     無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死    生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず  無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死  逃げる途中わが子を殺さざるをえなかった母  戦場では鬼にならねば生きられなかったと語る八十翁  彼らもすでに死んだか、死のうとしている  生き残った悔い、恥じ、おろおろ生き続け、死のうとしている  知識でしかない戦争 聞いたことでしかない戦争  突然涙が出る 偽善の涙だろうか  ぼくは 一歳で戦争の記憶はない  そのぼくがすでに老人なのだ  空襲の中、逃げ惑う母に負ぶわれていたという  母の背中の記憶はない  父親が戦死した友達も多かった  家族が原爆でなくなった友達もいた  満州から引き揚げた友達も多かった  少年時代、祭りの夜、傷痍軍人がならんで、募金箱を首にかけていた  一歳の時 戦争が終わっていなかったら  僕らは、軍国少年として、成長したかもしれない  恐ろしいことだ 悪夢だ  無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死    生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず  無残な死、無益な死、苦しい死、国家に押しつけられた死  突然涙が出る 偽善の涙だろうか  偽善の涙だろうか 涙が出る   偽善の涙ではない  が、涙は出る ともすると乾いてしまう涙がでる  涙が湧く   湧けばいいものではないが 涙が湧く  夏の底から 真夏の底から  日本の過去の水脈から   その涙は今も各地で起こっている戦乱とも無縁ではない  今から起こるかもしれない戦争とは無縁ではない  人間の闇に続く深い深い水脈から  涙が湧いて出る  湧けばいいものではない 湧いてそれで終わるものではない  夏が来た  夏、なにかと戦争のことが思われる夏



     四年前、2010年だったが  (2014.6.15.)

 四年前、2010年だったが、  「人間はしかたないのか。  普通のやさしさで生きることはできないのか。  比べながら生きるほかは。  非難しあいながら生きるほかには。    (中略)  だけれども、人間、こんなことやってたら、    そのうち    富士山だけでなく、  地球に死なれてしまうよ。」という詩句を含む   「地球に死なれてしまうよ」という詩を作った。  一年後、「東日本大震災」がおこった。  その後、高野ムツオ主宰の俳句誌「小熊座」から、一句鑑賞の原稿依頼をうけた。  いろいろ考えた末、   「骸骨のうへを粧(よそ)ひて花見かな」 上島鬼貫  についての文を送った。  これを引用する。果たして「詩」といえるものになるのかなとは  思わないでもないが、こんな詩もあっていいかなと思い、以下その  引用を含めて一つの「詩」と名づけたい。     ☆  「骸骨のうへを粧(よそ)ひて花見かな」 上島鬼貫  依頼を受け直ちに高野ムツオの句「車にも仰臥という死春の月」をと思ったが  「小熊座以外の作品」をということで困った。  地震、津波は、たとえ想像力という文学の武器を使ったとしても、  ニュースや伝聞だけではぼくには詠めない。  ただ、つくられた句に感銘することはありうる。  上掲の高野ムツオの句を読んだとき、暫し唸ることになった。  現代の津波の風景が象徴的に凝縮されていた。  季語には「春の月」しかないように思えた。  芒洋として、しかも悲惨を含め確実に何かを照らす月。  ところで「現代句」ではないが、現代的な面を秘める鬼貫の    「骸骨のうへを粧(よそ)ひて花見かな」  は気になる句である。  とくに「マントルの上を粧ひて地球かな」とかいった無季の様々な「ざれ句」  へとぼくを誘発させるものがある。死(骸骨)という不可避なものを、  マントルというどうしようもなく死を内包する自然物に置き換えると、  文明という化粧をほどこしながら生きて行く人間の行き着く先の不安定さも  見えくるというものである。       ☆  四年前、2010年だったが、  「地球に死なれてしまうよ」という詩を作った。  今年の秋には東北に行く予定だ。                            トップへ



「佐々木敏光ページ」へ

「ホームページ」へ

(2012.8. 更新)
(97.5.29 開設)